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「息子はね、玄関で亡くなりました」中年ひきこもりの息子を支えた"母親の後悔"
家族が自室にひきこもり、行政などの支援を頑なに拒んでしまう場合、どうすればいいのか。NHKスペシャル取材班の著書『NHKスペシャル ルポ 中高年ひきこもり 親亡き後の現実』(宝島社新書)より、亡くなる直前までひきこもりの息子を支え続けた母親のエピソードを紹介しよう――。(第2回)
「息子はね、ここで亡くなりました」
岐阜県美濃加茂市。ダムへと続く山間の細い道を上っていくと、古い平屋の一軒家があった。道沿いには数軒の民家が並んでいたが、ほとんど車の往来もない。とても静かな場所で、聞こえてくる音といえば、民家の裏手を流れる小川のせせらぎや、鳥のさえずりくらいだった。
ここで「ひきこもり」の息子と二人で暮らしていたかと思うと、その孤独は想像するにかたくない。築40年になるという木造住宅の軒先には物干しがあり、男性ものとおぼしきトレーナーが3枚、風に揺られていた。
まったく人気(ひとけ)はないのだが、玄関越しに声をかけてみる。
「ごめんくださーい。いらっしゃいますか?」
するとまもなく、背中の丸まった小柄な女性が出てきてくれた。
「あらま、どうしたん?」
息子を看取った実母、美濃羽(みのわ)千枝子さんだった。75歳の千枝子さんは、自宅を訪問した私を、不思議そうな顔で見つめていた。聞けば、人が訪ねてきたのは1週間ぶりだという。自己紹介とともに取材の趣旨を伝えると、ニコッと優しい笑顔をつくり、「そうか、んじゃ入ってよ」と淡々とした口調で自宅に招き入れてくれた。
そして、私が足を踏み入れた途端、驚くことを口にした。
「息子はね、ここで亡くなりました」
「えっ!? ここですか?」
思わず、聞き返してしまった。「ここ」とは玄関である。千枝子さんが、ぼそっとつぶやいた。
「もう、ここしか仕方がなかったもんで……」
諦めとも後悔ともつかない、複雑な感情が入り交じった言葉だった。私は息子さんが息を引き取った場所で手を合わせ、お宅に上がらせてもらった。
医療を受けることを頑なに拒否し続けた息子
玄関を入って左手の和室に、手作りの「仏壇」が見えた。膝丈ほどの小さな机の上に青い風呂敷がかけられている。位牌やりん、香炉が揃えられ、毎朝用意しているとわかる「お供え膳」が据えられていた。写真も飾られている。遠目から息子さんだろうと察しがついた。
2019年8月、千枝子さんは息子の治(おさむ)さんを亡くした。治さんは、49歳だった。30年近くにわたって自宅にひきこもっていたという。御線香をあげさせてほしいと頼み、6畳ほどの和室に入ろうとしたところで、千枝子さんの声が飛んできた。
「あー、アカンて!!」
私の足下を指さしていた。驚いて視線を下ろすと、畳1畳分ほどのスペースにタオルが敷かれている。
「そこは治がずっと寝とったから、床が抜けてしまっとるでね」
和室の入口付近の畳が、腐って抜けているという。実は、治さんは晩年、がんを患っていた。だが、医療を受けることを頑なに拒否。千枝子さんは一人、この畳の部屋で治さんの看病を続けていたという。
病状が悪化していくと、体からがんの進行による腹水(ふくすい)が漏れ出し、たびたび布団と畳が水浸しになってしまった。その結果、床が抜け、今はタオルで応急処置をしていたのだ。
千枝子さんもただ傍観していたわけではない。治さんに医療を受けさせようと、何度もタクシーで病院の前まで連れていった。しかし、現地へ着いても治さんは決して車から降りようとしなかった。そのたびに、運転手に謝りながら自宅へ引き返したという。
20歳のときにバイク事故を起こし足を切断
「一人の大人が嫌だと言えば、無理やり連れていくことはかなわない。どうしようもないよ」
畳1畳分をまたぎ、和室に入る。窓がないためか、まだ昼間なのに薄暗かった。天井からぶら下がる蛍光灯の紐を引っ張ると、仏壇に飾られた写真がはっきり見えた。振り向きざまに笑顔を見せる治さんの姿が写っている。
この畳の部屋にあぐらをかき、手にはゲーム機が握られていた。ただ、その遺影はとても若かった。「もうね、写真は、中学生のときが最後だよ。そのなかから、笑っているものを探したんだ」
「息子はね、玄関で亡くなりました」中年ひきこもりの息子を支えた"母親の後悔"
御線香をあげ顔を上げると、千枝子さんがその写真を手に取り、懐かしそうに眺めていた。治さんは中学卒業後、ラーメン店や縫製工場で働いていた。生活が一変したのは、20歳のときだった。バイク事故を起こし、足を切断する大けがをした。事故以来、ふさぎ込むようになり、自室から出てこなくなったという。
「思うように動けなくなったことで希望がなくなったのかね……。本人の口からちゃんと理由は聞けんかったな」
千枝子さんは、ひきこもる息子の生活を変えられないかと、市役所や民生委員にたびたび相談していた。だが、心配して訪ねてくる人たちを、治さんは毎回追い返してしまったという。
「何しに来たんや、来んでいい、って怒鳴るやろ。すごいんよ、勢いが。それで、どうしようもなくて。何一つ、頼めなかった」
山奥まで足を運んでくれる支援員らに申し訳ない気持ちが募り、相談することを諦めた。
「家でライオンかトラでも飼っているかのようだったよ」
「やっぱりさ、人に話してもさ、どうしようもしてくれないよ。できない、できない。気の毒やねって言葉はかけるかもしれないけどさ。家のなかに入ってまで手助けしようなんて人はおらんよ」
他人に迷惑をかけるわけにはいかない。千枝子さんは、家のなかだけで問題を抱え込むようになっていった。そして、母親を追い詰めていった要因はこれだけではなかった。千枝子さんから「見てほしいものがある」と言われ、再び玄関に案内された。下駄箱脇に置かれた木製の棚だった。
千枝子さんは、「ほれ」と言って、棚にかけられていたクロスをめくる。驚いた。天板に大きな穴が一つ、空いている。
「こんなもん、叩いて割れるもんじゃないやろ。かーっとなって拳で、バーン。治の手も血だらけや。何度も話そうとしたよ。聞かないんよ。ホントに」
千枝子さん自身も、作業所で仕事をすることを勧めるなど、治さんの生活を変えられないかと説得を試みたという。だが、反発する息子との関係は日に日に悪化していった。時に治さんは暴力を振るいながら、社会とつながることを頑なに拒み続けた。
15年前に夫が病気で亡くなると、一層手がつけられなくなる。強い態度で接することはできなくなった。穴が空いていたのは、玄関前の棚だけではない。家の壁、そして治さんの部屋のドアもでこぼこだった。
「家でライオンかトラでも飼っているかのようだったよ。怒ると怖くて、何も言い出せなくなってな。普段は優しいんだよ。だけど、生活をうんぬん言うと、もうだめなんだ」
千枝子さんは次第に、息子がいら立ちを爆発させ、いつか他人(ひと)様に迷惑をかけるのではないかと恐怖心を募らせていったという。
息子が亡くなってからも聞こえてくる「オイ」という呼び声
治さんから目を離せなくなり、趣味だった詩の会や町内会の集まりに参加することもなくなっていく。治さんのいた和室から、玄関を挟んで対面にある居間が、千枝子さんの定位置となった。年中出しっぱなしのこたつに座り、絵を描きながら、治さんの様子を見守った。
治さんは、用があると「オイ」と母を呼んだという。足が不自由だったことに加え、病気が進行すると、生活の多くを母に頼るようになった。千枝子さんは自分の時間を持てなくなったが、それも親としての務めだと話してくれた。
「やっぱり自分の子やからね。最期まで見ないと。誰も世話してくれない。そやけどな、いつかわかってくれるだろうと思っとったんだけどねぇ……」
夫が亡くなったことで、経済的にも苦しくなっていた。それでも、親としての責任を強く感じていた千枝子さんは、誰にも相談することなく、一人で背負い込んだ。千枝子さんは今も、一日のほとんどをこたつで過ごしている。もう習慣化していて、一番落ち着くそうだ。
ラジオを聞きながら、歌を歌ったり、体操をしたり。ただ、「オイ」という声は、ずっと耳に残り続けている。時々呼ばれた気がして、和室のほうを振り向くが、そこに治さんの姿がないことに慣れることができないという。
「ああ、自由になったんだなと思うよ」
と言いながら、千枝子さんは、どこか寂しそうだった。
カレンダーに書き込まれていた「死」の文字
そして、余生を楽しむ周囲と比べ、自分の人生は「みじめだった」と振り返った。ふと千枝子さんが寄りかかっている壁を見ると、カレンダーがかけられていることに気がついた。気になったのには理由がある。
地方の企業名が入った、なんの変哲もないカレンダーだが、1年前の8月のものだった。治さんが亡くなった月である。命日の欄をみると、「死」と書き込まれていた。「それね、捨てれんでね。治が亡くなる1カ月くらい前から、カレンダーにメモを取り始めたんよ。いよいよかなぁと思ったで」遡って見せてもらう。
7月22日 治の世話で大変
7月23日 治の世話で汗びっしょり
7月24日 治の世話が大変。汗出た
7月25日 治の世話、汗かいた
……
ひと月近く、同じような書き込みが続いた末に、「死」とあった。
自宅で看病する覚悟を決めたものの、日に日に弱っていく治さんの世話は、高齢の親にとってかなりの負担だった。小柄な千枝子さんと息子の身長差は30センチ近くあった。治さんが歩くこともままならなくなると、千枝子さんの力では、ほとんど動かすことができなくなる。
最期の2カ月は、玄関に寝かせ、三和土(たたき)との段差を利用して、用を足させるしか方法がなかった。
「こんな僕でごめん。もう叩かないから、手を握ってお母さん」
医療にかかることを極端に嫌がった治さんは、最後の最後まで、救急車を呼ぶことすら認めなかった。「『救急車呼ばったらアカンで』って、受話器ちょっと持てば敏感に。音がすれば、『どこへかける』って言うもんで、これはもうアカンなと諦めた」
千枝子さんは、息子の息が絶えたことを確認してから助けを呼んだ。亡くなる間際、治さんは、とても優しい顔をしていたという。そして、消え入りそうな声で、こう言い残した。
「こんな僕でごめん。もう叩かないから、手を握ってお母さん」
治さん自身もまた、一人で思い悩んでいた。千枝子さんは、このとき初めて息子の心の内を知ることができたと振り返る。だが、二人の会話はこれが最後となった。治さんの死から1年。千枝子さんは、いまだに息子の遺骨を手元に置いている。お墓に入れる予定はないという。理由を尋ねると、それまで淡々と話していた千枝子さんが突然、嗚咽(おえつ)し始めた。
「子どもは子どもやもんな。できることなかったか。思い出されてねぇ」
千枝子さんは、息子の気持ちと向き合いきれなかった後悔を抱えながら、毎朝、手を合わせている。治さんは幼い頃、素直で運動神経がよく、自慢の息子だった。運動会では、いつも先頭を走っていた。その息子がなぜ変わってしまったのか。今も、千枝子さんにはその答えがわからない。
仏壇には遺骨とともに、治さんが遺した言葉を書き記したメモが置かれている。
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大切な血管を守るため、日頃から心がけるべき有酸素運動とは
運動によって心身を健康に保つためには、どうしたらいいのか。命を守るために最も重要なインフラである血管について考える。血管にダメージを与えるものとして近年話題なのが、食後に血糖値が急激に上がる「食後高血糖」だ。その防止策とは。(マガジンハウス『ターザン』2021年6月10日号特集「運動は、なぜ脳に効くのか?」より転載)
大切な血管を傷つけてしまう
「食後高血糖」の怖さ
血管にダメージを与えるものとして近年話題なのが、食後に血糖値が急激に上がること。食後高血糖(血糖値スパイク)だ。食後高血糖が起こると、有害な活性酸素が生じやすくなり、動脈を傷つけて動脈硬化が起こりやすい。
血糖値が上がり、下がらなくなるのが、糖尿病。他の生活習慣病と同じように、かなり進行するまで痛みや不快感などの自覚症状はない。
糖尿病の判定には、空腹時の血糖値や、過去2ヵ月間の血糖値の平均値を示すヘモグロビンA1c(HbA1c)が用いられる。だが、空腹時血糖やHbA1cが正常でも、食後高血糖が起こっている可能性は否定できない。とくに食後に眠くなる人は、食後高血糖が生じ、その反動で血糖値が急に下がっている恐れがある。
糖尿病ではない健常者を対象とした実験。食後の血糖値の上昇を比べると、運動をした群の方が有意に低く抑えられている。Chinmay Manohar et al., Diabetes Care 2012 Des; 35(12): 2493-2499.
食後高血糖から血管を守るのは、筋トレと有酸素運動の組み合わせ
血糖の最大の引き受け手になるのは、筋肉。筋トレで筋肉を肥大させると、血糖の貯蔵庫が広がるので、食後高血糖が抑えられる。
加えて、食後にウォーキングや階段昇降などの軽い有酸素運動を行うと、運動のエネルギー源として血糖が消費される。それにより、食後高血糖は避けられるのだ。
1日8000歩から
有酸素運動を始めよう
血管を守り、体脂肪を減らすには、有酸素運動をどのくらいやればいいのか。WHO(世界保健機関)では、成人に必要な運動の指針として、1週間に激しい有酸素を75分以上か、緩やかな有酸素を150分以上行うことを薦める。前者なら毎日10分以上、後者なら毎日20分以上なので、クリアするのは大変。
ハードルが高すぎると、継続は難しくなる。そこで、筑波大学人間総合科学学術院の久野譜也先生は、よりわかりやすく、手軽なウォーキングで1日8000歩以上歩くことを薦めている。
日本の成人男性の平均歩数は1日7000歩、成人女性は6000歩とされている。1000歩は約10分の歩行に相当するから、男性なら10分、女性なら20分の歩行をプラスすれば、1日最低8000歩がクリアできそう。
「ハードルを下げるために、歩き溜めはできると考えてOK。1日単位ではなく、1週間平均で1日8000歩をクリアしましょう。6000歩しか歩けない日があったなら、翌日頑張って1万歩歩けばいいのです」
(取材・文/井上健二、イラストレーション/しりあがり寿、監修/久野譜也【筑波大学人間総合科学学術院】)
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「炭水化物を抜いているはずなのに、痩せない……」。老若男女問わず、多くの人が悩む“ダイエット”。生活習慣病の専門医として20万人を診てきた牧田善二さんは「糖質制限をしても効果がないと言う人は、意外な食品に含まれている糖質を見逃してしっかり摂取してしまっていることが多い」と指摘します――。
※本稿は、牧田善二『医者が教えるダイエット 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しいやせ方』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。
なぜやせない?「隠れ糖質食材」に注意
「大好きなケーキも我慢して頑張っているのに、体重が落ちません」
「ご飯もパンも麺類もほとんど食べていないのに、どうも効果が得られません」
糖質制限を行っている人から、こんな相談を受けることがよくあります。
そこで、数日間の食事内容を細かく教えてもらうと、しっかり糖質を摂っているのがわかります。
彼らは意外な食品に含まれている糖質を見逃していたり、「これは大丈夫だろう」と勝手に思い込んだりしているのです。
糖質依存症は、タバコや薬物の依存症と違い、「原因物質に近づかなければOK」という単純な方法がとれません。
さまざまな食品に多少なりとも糖質が含まれていることから、まったくゼロにするのは不可能。また、偏った食事は健康を害しますから、「いろいろなものを食べながら極力、含まれている糖質を減らしていく」というやり方しかありません。
ここが、糖質制限の難しいところでもあり、また面白いところでもあります。
糖質制限を始めれば、食品表示にも興味が湧いてくるでしょう。
そして、食品表示をしっかり見るようになると、思いもしなかった食品が糖質たっぷりだったことに驚くことでしょう。
そうした「隠れ糖質」についておさらいし、糖質制限をより確固たるものにしていきましょう。
隠れ糖質食材の代表例
ジャガイモ・カボチャ
野菜は総じてビタミン、ミネラル、食物繊維、そして強力な抗酸化作用を持つファイトケミカルが豊富で、糖質制限中に大いに摂って欲しい食材です。
ただし、ジャガイモ、サツマイモなどのイモ類、カボチャは糖質がたっぷりなので除きましょう。焼き芋やスイートポテトなど甘味を楽しむ食べ方でのサツマイモは、慣れてくれば「糖質の塊だな」とすぐわかるでしょう。
でも、塩味のチップスのジャガイモ、サラダに入ったカボチャ、煮ころがしのサトイモなどは見逃しがちです。
どのように料理されているとしても、イモ類やカボチャは糖質過多。
野菜の煮物や肉じゃがなど、家庭的で健康そうな惣菜に、糖質たっぷりの野菜が入っているので注意が必要です。
牛乳・ヨーグルト
糖質制限にチャレンジするときに、案外多いのが「デザート代わりにヨーグルトを食べることにした」という人です。
ジュースや清涼飲料水をやめて牛乳に換えたという人もいます。
まず、ヨーグルトですが、少しでも砂糖で味付けがしてあるものはNGです。「微糖」などという言葉に騙されてはいけません。無糖タイプのプレーンヨーグルトをそのまま食べてください。
ただ、プレーンヨーグルトも牛乳も、もともと「乳糖」という糖質を含んでいます。だから、たくさん摂取すればそれだけ糖質も摂ってしまいます。
基本を守って糖質制限しているのに体重が減らないようなら、しばらくヨーグルトや牛乳はカットしてみましょう。
そば
私の患者さんたちは、食事の度に血糖値を測定しており、なにを食べればどれだけ血糖値が上がるか(つまり太るか)について、専門家と言えるほど把握しています。
その患者さんたちが揃って驚くのが「そば」です。
そばはいかにも健康そうだし、量も少なめ。それなのに、ざるそば一枚食べただけで、血糖値が急上昇するのです。
考えてみれば当たり前で、そば粉は炭水化物です。二八そばなどは小麦粉が足されていますが、同じことです。
しかも、そばは時間をかけずにささっと素早く食べるもの。ほぼ糖質だけの食べ物を短時間でかき込めば、血糖値は急上昇します。そして、それに対応すべくインスリンも大量に出るので太るわけです。
同じ茶碗一杯のご飯を食べるなら、白米よりも玄米をすすめます。
玄米に残っているミネラルや食物繊維などの栄養分が、白米に精製する段階で落とされてしまうからです。
血糖値を抑える食物繊維が、玄米には4倍以上多く含まれています。
同様のことが白いパンと全粒粉パンやライ麦パン、白いパスタと全粒粉パスタなどにも言えます。
精製していないほうが栄養的には優れています。
しかし、玄米も全粒粉の小麦粉も、炭水化物であることには変わりません。
ミネラルや食物繊維が残っているからといって、糖質がなくなるわけではありません。
植物性食品が圧倒的に摂れていない
米や小麦は、糖質を効率的に摂るために人間が後からつくりだしたものです。
私たちの遠い祖先は、ときどき仕留めることができた肉や魚を除き、木の実や山菜、野草など採取した植物類を主に食べて命をつないできました。それだけで、さまざまな栄養素はバランス良く摂れていたのです。
牧田善二『医者が教えるダイエット 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しいやせ方』(ダイヤモンド社)
当時と比べて、現代人の食事に圧倒的に少なくなっているのが植物性食品です。ダイエットのみならず、健康のためにも、野菜(糖質の多いイモやカボチャは除く)、豆類、海藻、キノコといった植物性食品をもっと摂りましょう。
植物は動物と違って移動は不可能なので、紫外線を避けたり、昆虫など外敵から逃げることができません。そういう状態にありながら身を守るために、色素や香り、ネバネバした成分など「ファイトケミカル」と呼ばれる強力な抗酸化成分を持っています。
ファイトケミカルは、アントシアニン、イソフラボン、リコピン、クロロフィル、イソチオシアネートなどの免疫活性化物質の総称で、植物性食品を食べることで、私たちはそれらの効果を享受できます。すなわち、免疫力を高め、感染症や生活習慣病から身を守ることができるのです。
ファイトケミカルは、色素の強いものが多く、色によって大まかな成分と作用がわかります。どれか一つに偏るのではなく、いろいろな色を取り入れるつもりで食べるといいでしょう。
野菜はもちろん、豆類、キノコ、海藻も積極的に摂って欲しい植物性食品です。
私の患者さんには、大豆製品の豆腐をご飯代わりに食べている人もいます。納豆は、優れた発酵食品として知られています。
キノコや海藻は、糖質はほぼゼロで、まったく太る心配はありません。その上、腸内環境を整えてくれる食物繊維がたっぷりです。
野菜は1日350gを目指して
糖質制限を行うと便秘になる人がいるのですが、それはご飯などに含まれる食物繊維が減ったためと思われます。植物性食品をたくさん食べて、不足した分の食物繊維を補いましょう。
ちなみに、「MEC(meat/egg/cheese)食」という、肉と卵とチーズを中心に食べるダイエット法が一部で流行しています。糖質が少ないのでたしかに体重は減るかも知れませんが、タンパク質過多となり健康を害します。
それよりも、ファイトケミカル豊富な植物性食品をたくさん食べてください。
厚生労働省は1日に350gの野菜を摂るように推奨しており、私も毎日それ以上しっかり食べています。
しかしながら、たいていの人は350gにはとうてい足りていないはずです。一度、秤で量って、どのくらいの野菜を食べるべきなのか、おおよそのところを把握しておくと良いでしょう。
生のサラダに限りません。おひたしや温野菜にするなど火を通せば量が食べられます。
鍋も植物性食品をたくさん摂れるメニューですから、大いに食卓にのせてください。
牧田 善二(まきた・ぜんじ)
AGE牧田クリニック院長
1979年、北海道大学医学部卒業。地域医療に従事した後、ニューヨークのロックフェラー大学医生化学講座などで、糖尿病合併症の原因として注目されているAGEの研究を約5年間行う。
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「眞子さん問題のひとつは“皇族の特権で困難は乗り越えられる”と現在も考えていることかもしれません。その意味では、自分の力で乗り越える教育が秋篠宮家には欠けている気がします。その秋篠宮家の子供への“過保護という弱さ”を、未来の天皇陛下となられる悠仁さまの今後に影響させないことが大切でしょう」
そう話すのは、静岡福祉大学の名誉教授で近現代の皇室制度に詳しい小田部雄次さん。
11月30日に公となった秋篠宮さまのお誕生日会見。その中では、小室圭さんと結婚された長女、眞子さんをフォローされる場面が多く見受けられた。
皇室が特権を享受できる理由
「結婚会見で双方向の会見にならなかった理由の1つとして、眞子さんが『複雑性PTSD』を患っていることを挙げ、“会見している際に発作などが起きることも考えられるでしょうから、やはり難しくなったのかなと思います”と、眞子さんが記者との問答ができない状態だったとフォローされました。
“眞子さんが『公』よりも『私』を優先している”という世間の風潮にも納得されていないご様子で“私よりも公を優先しなければならないなら、10年たっても20年たっても結婚することができなくなる”という趣旨のおことばも飛び出しました」(皇室担当記者)
皇族も『私』の部分はあって然るべきだが、公的立場であるという前提があるからこそ、皇室という存在が成り立っているという。
「皇族がプライベートを求めること自体は当然ですが、まずは公的立場にあることが前提です。だからこそ多くの特権を享受しているのです。皇族として生まれた以上、その運命から逃れることは難しい。
しかし、国民も自分の運命と向き合いながら懸命に生きています。むしろ国民の多くは運命に直面することはあるにしろ、特権はない。“特権も手放したくないし、運命からは自由になりたい”という、国民の苦労を意識しない考えを秋篠宮家の方々が強調し続ける限り、風当たりは弱まらないでしょう」(小田部教授、以下同)
皇族の運命から自由になりたいーー。その考え方は、いつ結婚されてもおかしくない秋篠宮家の次女・佳子さまにも引き継がれている可能性がある。
「これほどの騒ぎになった秋篠宮家と縁戚になることへの信念が求められるので、結婚のハードルは自然と高まるでしょう。それでも、佳子さまへの愛情で乗り越えてくださる方がおられることを願うのみです。
いちばん心配されるのは、佳子さまはお姉さまの眞子さんと心が通っておられるので、眞子さんと似たような皇室観、結婚観をお持ちだと想像されます。
国民に寄り添う皇室の一員としての自覚より、皇室という“籠”から逃げ出したいとお考えかもしれませんし、眞子さんと同じ騒動を佳子さまも引き起こされる可能性は否定できません」
今回の眞子さんの結婚騒動は少なからず、皇室にも影響を及ぼしている。
「国民に寄り添う平成までの皇室を敬愛してきた国民にとって、現在の秋篠宮家のなさりようは驚きの“エゴイズム”に映るでしょう。眞子さんは皇族としての苦悩があったのかもしれませんが、それを国民に吐露するのではなく、強引な皇室離脱という形で解決しようとしたことは大きな失敗だったと思います。
幸いにも、国民の多くは秋篠宮家の教育方針の問題としてとらえているので、皇室全体への影響は今のところ広がっていません。とはいえ、眞子さんの問題が皇族への特権的待遇や、皇室に対する忖度の根強さなどを広く世間に知らしめてしまいました」
リーズ大学内の食堂で日本人男性と親しそうに会話する佳子さまも自由恋愛を?
国民が小室圭さんに対して不信感を抱き、眞子さんとの結婚を案じていたのは小室家のお金にまつわるトラブルや疑惑の数々が報じられたことも大きな要因である。
さらに、一部では“皇室利用”を指摘する声も。少なくとも皇室のお金を利用していないことを証明するために「使途明細を公表するべきなのでは」と小田部教授は提案する。
「適切な皇位継承者がいなくなる」
「愛子さまが紀宮さま(現・黒田清子さん)のティアラを借用されるという話題は、よかったと思います。国民への寄り添いという意味では、内廷費や皇族費の使途明細の公表も重要かもしれません。
オンラインでのご公務が増えた分、警備費用などはかなり浮いている状態です。宮内庁は、それが眞子さんの警備費用のために使われていないことくらいは、発表したほうがいいかもしれません。
金銭問題は無礼なテーマでもありますが、経済的苦境にある人々にとっては切実な問題です。内廷費や皇族費などからコロナ禍の国民支援のための費用を捻出すれば、皇室への敬愛はさらに高まるでしょう。一方で、コロナ禍で難儀する国民への寄り添うことなく、国外に脱出してNYのマンションでセレブ生活を満喫するというのは、一番の悪手です」
秋篠宮家の“個人の意思を尊重する”という教育方針が招いたと言われる、眞子さんの結婚騒動。次代の天皇家である秋篠宮家に対する風当たりは強まる中、目下政府が進めている皇位継承問題にも大きな影響を与え、いずれは「適切な皇位継承者がいなくなる危険性すら生じている」と小田部教授が続ける。
殿下のお誕生日に際して公表されたお写真。お父さまが亡くなり、服喪期間のため紀子さまはご不在(11月12日・赤坂)
「今の天皇ご一家の節度あるふるまいで、皇室制度の崩壊が今すぐ起こるとは思いません。しかし、秋篠宮家への国民の不信感や、眞子さんのお相手選びの強引さなどから、今後の皇位継承問題に大きな影響を与え、令和以後の皇室制度の崩壊を促す可能性が生まれてしまいました。
愛子さまの皇位継承の容認、旧宮家の男系男子の皇室への復帰などが叫ばれていますが、そうした議論はすでに小泉純一郎内閣から続いており、いまだに決着していません。よほどの国民的危機感や政治的実行力がなければ、議論だけで終わるでしょう。
そのころには愛子さまも結婚されてしまい、旧宮家の方々への国民的シンパシーも希薄になって、適切な皇位継承者がいない状態になるかもしれません」
国民からの敬愛を取り戻すため、最大の危機を迎えている秋篠宮家の今後のなさりように期待するほかないだろうーー。
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'21年12月5日、成年行事でティアラとローブデコルテのドレスをお召しになった愛子さま
「成年を迎えられた愛子さまは現在、『学習院大学』の2年生。しかし、いまだに入学式以外で登校されたことはありません。これは、コロナ禍で国民を案じられている両陛下のご意向が影響しています。
大学の授業はオンラインで受講されており、試験やレポート提出も同様にオンラインで行われています。ほかの同級生たちは大学に通い、サークルや部活動などを楽しむ中、愛子さまは想像していたキャンパスライフではない日々に、少し残念ながられてるいるご様子で……。
ただ、逆に言えば、外出できないからこそ、お住まいで“ご趣味”を楽しみながらリフレッシュされていると思いますよ」(侍従職関係者)
成年会見が来年3月に後ろ倒し
12月5日は成年行事として、皇居内にある宮中三殿を参拝された愛子さま。
その後、宮殿でお父さまである天皇陛下から勲章を受け取り、午後にはローブデコルテとティアラをお召しになり、両陛下に改めてご挨拶。
注目されていた愛子さまにとって初めてとなる記者会見は、来年の3月に行われる運びとなった。
「基本的に皇族は学業優先ですからね。そもそも、今回の成年行事が愛子さまのお誕生日当日ではなく5日になったのも、大学の授業を優先されたからです。
ただ、当初会見の日取りは1月の初旬に行う予定だったんです。学業以外にも雅子さまのご体調を考慮された結果だったとか」(宮内庁関係者)
いったい、どういうことなのか。
「雅子さまは、愛子さまがおひとりで初めての会見を行うにあたり、回答内容や立ち振る舞いなどを“しっかりと準備したい”とのご意向だと聞きました。
雅子さまご自身も12月9日にお誕生日をお迎えになるにあたって、今年もご感想として文書を公表されます。そうとう推敲を重ねられており、文書の準備にお時間がかかっているそうです。
さらに、来年もお正月の新年一般参賀が中止となる代わりに、両陛下のビデオメッセージが公表される方向で進んでいます。現在も『適応障害』の療養中でいらっしゃる雅子さまはご体調と相談されながら進めておられます。
お誕生日文書とビデオメッセージの収録が重なり、十分な時間も必要なのです。これらの理由から、愛子さまの会見が来年3月まで後ろ倒しになったそうですよ」(同・前)
愛子さまが“生誕祭”まで行うアイドル
一生に一度しかない成年会見を信頼されているお母さまとご一緒に練られている愛子さま。一方で、キャンパスライフを楽しめない日々を支えているものがあるという。
2020年、ドラマ『BG』ロケ中の木村拓哉
【独自写真】愛子さま、『那須どうぶつ王国』で笑顔でラクダに騎乗される
「宮さまは元SMAPの木村拓哉さんの大ファンなんです! SMAP解散以降のキムタクは俳優業も好調で、昨年にはソロアーティストとしてデビューも果たしました。
最近はファミリー向けのCMにも多く出演しており、いわゆるSMAP世代のほかに、若い世代のファンも急増しているみたい。宮さまも2〜3年前からキムタクのファンになられたみたいで、ご自身がおやりになっているインスタグラムの名前も“木村◯◯”にされているほどです」(愛子さまの知人)
天皇陛下も20代の頃は『春なのに』などのヒット曲で知られる柏原芳恵の大ファンであることを当時、公言されていた。
'86年の10月に行われたデビュー7周年リサイタルでは、東宮御所(当時)の庭からピンクの薔薇を一輪切り取って持参し、プレゼントされるほどだった。
皇族とはいえ、愛子さまも普通の女子大生のようにお好きな芸能人はいらっしゃるのは至極当然のことである。
ジャニーズWESTの全メンバー。左から3人目が藤井流星、4人目が重岡大毅
「ジャニーズではキムタク以外にも『ジャニーズWEST』という7人組グループもお好きなんです。その中でも特に、俳優としても活躍する重岡大毅クンや藤井流星クンが“推しメン”みたい。
彼らの誕生日にはご自身が集めていらっしゃるうちわなどのグッズを並べて、ジャニーズファンがよく行う“生誕祭”という個人的なお祝いも行うほどなんです。
その生誕祭の様子を“木村名義”のインスタグラムに投稿されたこともありましたね。きっとお住まいではキムタクや『ジャニーズWEST』のライブDVDなどを鑑賞されているんじゃないかな」(同・前)
ご趣味を楽しまれながら、いずれコロナ禍が完全に終息した後、成年皇族として活躍される愛子さまのお姿を見る日が待ち遠しい。