皆さんのお役に立てば幸いです

色々の無料ホームページからお役に立て様な記事を探して掲載します。主に健康・くらしです。

老化細胞(ゾンビ細胞)の謎が分かった新型コロナの重症化も若い人にも発生

2021-12-11 15:30:00 | 日記

下記の記事をビヨンドヘルス様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

老化研究の世界でいま、注目を集めるキーワードがある。それは、「老化細胞」だ。老化細胞が老化を加速させ、様々な病気の発症に影響を与えていることが分かってきており、この細胞に着目した老化制御研究も盛り上がりをみせている。若い人の体にも存在する老化細胞とはどんな細胞で、どのような研究が進んでいるのか。この分野の研究の第一人者である大阪大学微生物病研究所遺伝子生物学分野の原英二教授に聞いた。

大阪大学微生物病研究所遺伝子生物学分野の原英二教授

老化細胞の蓄積による慢性炎症が老化を加速させる

普段意識することはないが、私たちの体には約37兆個の細胞があり、一部の細胞は、日々、分裂を繰り返している。

「その過程で、DNAが修復不可能なほど大きなダメージを受けたときに、細胞分裂を停止してがん化を防ぐ『細胞老化』と呼ばれる仕組みが備わっています。細胞老化は、自分の体の細胞をがん化させないために、人間を含む高等動物が進化の過程で獲得した安全装置の1つです」と原教授は説明する。

通常、古い細胞が分裂を停止して新しい細胞に置き換わるときには、自ら死んで壊れるアポトーシス(細胞死)を起こすか、免疫細胞に食べられて体内から消える。ところが、細胞老化によって分裂を停止した細胞の中には、なぜか死なずに、臓器や組織の中に残ってたまっていくものがあるのだという。

「この、細胞分裂を停止したのに死なずに組織にたまっていく細胞が『老化細胞』です。老化細胞は蓄積すると、SASP(サスプ:細胞老化随伴分泌現象/Senescence-Associated Secretory Phenotype)という現象を引き起こします。老化細胞の存在は60年くらい前から知られていたのですが、過度のSASPが慢性炎症を誘発し、がんや動脈硬化など加齢に伴って増える病気を発症させることが近年の研究で分かり、注目を集めるようになりました」と原教授は話す。

SASPは、周囲の正常な細胞の細胞老化を引き起こし、さらに老化を加速させる。米国の科学ジャーナリストは、英科学誌の『ネイチャー』のコラムで、分裂をしないが死にもしない奇妙なこの老化細胞を「ゾンビ細胞」と表現した。まるで死体が蘇るように、炎症を起こす物質を出して周囲の細胞の老化を加速させて仲間を増やし、組織や臓器の機能を低下させるゾンビのような細胞というわけだ。

図1●年齢とSASP・加齢性疾患の発生率(イメージ)

加齢により老化細胞が増え過度のSASPが発生、加齢性疾患の発症率も上がる傾向がある(出所:「100年ライフのサイエンス」日経BP)

新型コロナの重症化も老化細胞の蓄積が要因に

老化細胞が蓄積することで過度なSASPが起こると、がん、心血管疾患、糖尿病、白内障、慢性閉そく性肺疾患、アルツハイマー型認知症、骨粗しょう症、変形性膝関節症など、加齢によって増える様々な病気につながることも分かっている。

最近では、新型コロナウイルスで高齢者や糖尿病などの基礎疾患がある人が重症化しやすいのは、老化細胞が蓄積し過度なSASPが起こっていることが一因である可能性が指摘された。ドイツのグループは、2021年9月、新型コロナウイルスをハムスターに感染させた研究から、細胞老化の誘導が新型コロナウイルス感染症の病態にも関係しているのではないかと報告している。ハムスターが新型コロナウイルスに感染すると、感染初期にSASPを起こした老化細胞が出現するが、セノリティクス(老化細胞を特異的に除去するとされる薬)で処理すると老化細胞が減少し、SASPによると思われる炎症反応も減弱したという(※1)。

ただし、老化細胞は単なる悪役ではなく、正の側面も持っていることも知っておきたい。「SASPには、免疫細胞を呼び込んで不要になった老化細胞を死滅させたり、周囲の細胞を活性化させて傷ついた組織の修復を促したりして体を守る働きもあります。老化細胞は若い人にも発生しており、若いときにはがんの抑制や傷の修復など体を守る働きのほうが強いと考えられます」と原教授は語る。

人間が自分の体の細胞を正常に保つ仕組みは我々が考えている以上に複雑だ。若いときには体を守っていたはずのSASPは、中高年になると老化をさらに加速させる悪役の面が強くなっていくというわけだ。

「人間の寿命が延びたのは、ここ120年くらいのこと。もっと長い年月をかけて延びたのであれば、ヒトは老化細胞やSASPによる副作用が出ないように進化したのかもしれません。急速な寿命の延びに人間の進化が追い付かず、平均寿命が50歳くらいだったときには目立たなかった老化細胞の負の側面が表面化したのではないかと考えています。同じ年齢の人でも、老化細胞のたまり方には個人差があります。この老化細胞をどうコントロールしていくか、それが老化制御の大きな研究テーマです」

図2●老化細胞の誘発とSASPの発生

細胞分裂の過程で細胞周期チェックポイントがDNAダメージを感知すると、細胞老化が進み、組織の中に老化細胞として残ることがある。これがSASPを誘発、慢性炎症を引き起こし発がんの原因になることがある(出所:「100年ライフのサイエンス」日経BP)

腸内細菌叢に悪玉物質が増えると老化細胞が蓄積

老化細胞に着目した老化制御としてまず注目されるのが、老化細胞がたまることを防ぐための研究とその成果だ。

老化細胞がたまらないようにするにはどうしたらよいのだろうか。原教授が第一に勧めるのは、肥満を防ぐことだ。原研究室では、マウスを用いた研究で、高脂肪食を食べ過ぎて肥満になると、腸内細菌が変化して悪玉物質が産出され、それが肝臓に運ばれることによって老化細胞がたまって過度のSASPが発生し、肝臓がんが発症するリスクが高まることを解明した。そして、さらに怖いのは、高脂肪食で飼育されたマウスの約3割は、肝臓がんだけではなく肺がんも併発していたことだ。

また、肥満や脂質異常症などで、脂肪が肝臓に蓄積する脂肪肝から非アルコール性脂肪性肝炎(NASH)になり、肝臓がんを発症した患者の腫瘍を調べたところ、約3割の患者の肝星細胞が細胞老化とSASPを起こしていた。一般的に、NASHから肝臓がんになる場合は肝硬変を経て発症するが、老化細胞が蓄積していた患者の中には、肝硬変を経ずにいきなりがんを発症していた患者もいたという(※2)。

「私たちの体の中には、30兆から100兆個の腸内細菌が存在しており、その構成は食事の内容や栄養状態によって変化します。高脂肪食や過食が続くと、腸内細菌叢が変化して悪玉物質が増加し、肝臓がん以外にも大腸がんの発症の引き金になる可能性があるので要注意です(※3)」と原教授。さらに、高脂肪食によって腸内細菌叢に悪玉菌が増えると、がん以外にも、うつ病、認知症、糖尿病などにつながる恐れもある。

ただ、定期的に適度な運動を続ければ、老化細胞の蓄積を抑えられる可能性もある。中年マウスを高脂肪食で飼育すると脂肪組織に老化細胞が蓄積してインスリンの分泌が低下し血糖値が上がりやすくなるが、有酸素運動をさせると老化細胞がたまりにくくなり、糖尿病リスクも改善するという(※4)。ウォーキング、ジョギング、水泳などの有酸素運動は生活習慣病を防ぎ健康維持に役立つばかりか、老化細胞の蓄積を防ぐことにもつながるわけだ。

もう一つ、老化細胞の蓄積を防ぐために原教授が重視するのは、DNAを傷つけないようにする「体に優しい生活」だ。「喫煙、PM2.5(微小粒子状物質)、過度の紫外線、過度の飲酒は、修復不可能なDNAダメージを引き起こし、老化細胞を蓄積させ、発がんを誘発します。家族や同僚などの喫煙による受動喫煙も含めて、DNAダメージの要因になることはできるだけ避けましょう」と原教授は強調する。

老化細胞を除去する薬の開発も進行中

一方、老化細胞を除去する薬(セノリティクス/老化細胞除去薬)により、過度のSASPによって発症する加齢性疾患を減らし、寿命を延ばす研究も進められ、期待が高まっている。

セノリティクスが、世界的な注目を集めるきっかけとなったのは、特定の薬を投与すると老化細胞を除去できるように遺伝子改変されたマウスの研究だった。遺伝子改変された高齢マウスに、週2回、老化細胞除去を引き起こす薬を投与した研究では、脂肪、腎臓、心臓などの組織から老化細胞がなくなり、毛並みもふさふさして見た目が若返って元気に動き回るようになって、健康寿命も延びた(※5、6)。米国では、この研究の結果が報告された2011年以降、老化制御ビジネスを進めるベンチャー企業が次々と設立された。その代表格が、同研究を進めていたメイヨークリニックのヤン・ファン・ドゥールセン博士らが設立し、米アマゾン創業者のジェフ・ベゾフ氏が投資したことでも知られる米ユニティ・バイオテクノロジーだ。

日本では、原教授の研究グループが、約4万7000の化合物を調べた結果、ARV825というがんの増殖阻害剤をベースにした化合物が有望な老化細胞除去薬候補に選ばれた。肥満が原因で肝臓がんになりやすいマウスにARV825を注射すると、細胞内の不要な物質を除去するオートファジー経路が活性化され、肝臓にたまった老化細胞が除去された。その結果、肝臓がんの発症が抑えられたという。ヒトの大腸がん細胞を用いた実験でも、ARV825が老化細胞を除去する効果が確認されている(※7)。

とはいえ原教授は、「セノリティクスの社会実装には、越さなければならいハードルが多数あり、ここ1~2年で実用化されるというような段階ではありません。最も実用化が近そうだったのがユニティ・バイオテクノロジーの変形性膝関節症に対する老化細胞除去薬ですが、その開発のために行われていた治験は、当初期待された結果が出なかったために中止されました。また、仮に老化細胞の除去に成功したとして、正常な細胞まで攻撃したり、SASPの良い面が失われたりする弊害はないのかなどのエビデンスも必要で、研究は慎重に進めていかなければなりません」と指摘する。

セノリティクスは“老化制御の切り札“との見方もあり、開発は世界中で進められている。医療界のみならず、ビジネス界からの期待が高い研究・開発テーマだからこそ、冷静な目でウオッチすることが大切なようだ。

※1 Nature. 2021 Nov;599(7884):283-289.

※2 Nature.2013 Jul 4,499(7456):97-101.

※3 Nat Commun.2021 Sep 28;12(1):5674

※4 Diabetes.2016 Jun,65(6):1606-15.

※5 Nature. 2011 Nov 2;479(7372):232-6.

※6 Nature. 2016 Feb 11;530(7589):184-9.

※7 Nat Commun.2020 Apr 22;11(1):1935.

原 英二(はら・えいじ)氏

大阪大学微生物病研究所遺伝子生物学分野教授

長崎県出身。1993年、東京理科大学大学院博士課程修了。英国のPaterson Institute for Cancer Research, Christie Hospitalのラボヘッド、徳島大学ゲノム機能研究センター教授などを経て、2008年、公益財団法人がん研究会 がん研究所・部長。2015年より現職、同大免疫学フロンティア研究センター老化生物学教授兼任。細胞老化を誘導するメカニズムの解明とその制御法の確立を目指す。


女優大空眞弓「9度のがんも乗り越えて。81歳で住み慣れた東京を離れ、石垣島に移住するま

2021-12-11 13:30:00 | 日記

婦人公論.jp様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

81歳で住み慣れた土地を離れ、沖縄・石垣島へ──。肩の荷を下ろして、残りの人生を謳歌したいと語る大空眞弓さんの今の暮らしぶりとは。(構成=丸山あかね 写真提供=大空さん)
第一線からは退こうかなと思った時期と重なって
余生を穏やかな景色の中で過ごしたいというたっての願いから、2021年4月に石垣島へ移住しました。それまで住んでいたのは、東京の千代田区富士見。小学生のころから暮らしていた場所なのですが、富士見というくらいで、昔は家から富士山を望むことができたのに、いつの間にやらビル街に変わり、見えなくなってしまって。なんとなく息苦しさを感じだしたのは50代のころでした。

大自然に囲まれた土地に移住しようと、具体的に夢見るようになったのは70の声を聞いてから。セリフを覚えるのがしんどくなってきて、もう第一線からは退こうかなと思った時期と重なります。

でも、落胆なんかしませんでした。だって、老いは誰にでも平等に訪れる自然現象ですから。そのときに芽生えていたのは、希望です。私はもう十分にやってきたのだから、肩の荷を下ろして楽になりたい。そうしてもっと軽やかに、残りの人生を謳歌したいと考えていました。

母と歌舞伎座へ行った折にスカウトされ、石井ふく子プロデューサーによるTBSドラマ『愛と死をみつめて』で初めてヒロインを演じたのは24歳のときでした。あれから何年経つのかしら。とにかく私は81歳になりました。
結婚、離婚、9度のがん…悲喜こもごもに生きてきた
あっという間だったという気がするのも事実なのだけれど、改めて過去を振り返ってみるといろいろな時期があり、「悲喜こもごもに生きてきたな」と思います。28歳で結婚、36歳で一人息子を授かり、でも42歳のときには離婚して。おかげさまで女優としては充実していましたが、そのぶん息子には寂しい思いをさせたことを猛省したり……。

いつの世も生きていくのって大変なんですよね。特に、私たちの時代の女はとかく我慢を強いられて、結婚と仕事を両立するのがまだまだ難しかった。30代か40代のころかしら。あるとき『婦人公論』を読んで、専業主婦も職業婦人も、子どもがいてもいなくても、女はみんなさまざまな悩みを抱えながら暮らしているのだなと痛感したことがありましたね。私も頑張らなくてはと奮起したものです。

もっとも私は基本的に楽天家で、苦しい局面もサバサバと乗り越えてしまうタイプ。健康面では多重がん(2個以上の臓器に独立して発生するがん)に翻弄され続けてきましたが、グジュグジュと思い悩んだことは一度もありません。

58歳のときに乳がんで左乳房を全摘出し、3年後に胃がんを、その2年後には食道がんを発症。胃がんと食道がんが再発したり、昨年は皮膚がんも見つかって手術を受けました。今も元気に生きているのは早期発見・早期治療の賜物。定期検診を受けて初期段階で見つけることができれば、がんは怖くないのです。この年齢になると、がんのほうものんびりしていますしね。(笑)

そもそもわが家はがん家系。両親も姉もがんで他界したので、おそらく私もと覚悟していたのです。ですから最初に乳がんと診断されたときも、淡々と受け止めることができました。医師から乳頭を残す温存法と、全摘手術のどちらにするかと選択を迫られ、迷わず全摘手術を選んだのは、舞台を控えていたから。全摘すれば抗がん剤治療や放射線治療のために通院する必要がないと説明を受けて決断しました。

いつも私は即決なんです。考えるのが面倒くさいのね。だから直感でパッと決めてしまう。その先に失敗が待ち受けていることもありますけれど、私の知る限り、失敗のない人生を生きる人なんていない。うまくいくかどうかなんてやってみなくちゃわからないんですよ。「下手の考え休むに似たり」という言葉もあるでしょう?

それに、失敗したと思ったら、反省を踏まえてやり直せばよいのではないでしょうか。いずれにしても、うまくいくだろうかと悩んでいる時間ほど惜しいものはないと私は思うのです。悩んでいたら、やり直す時間がなくなってしまうじゃありませんか。
息子夫婦に「一緒に行かない?」と持ちかけたら
「思い立ったが吉日」がモットーの私が、移住先に石垣島を選んだのは、父の出身地である沖縄に親しみを抱いていたから。とりわけ石垣島には息子の友人が暮らしており、幾度か訪ねたことがあって大好きな場所だったのです。

とはいえ、高齢者となった私が一人で移住するなんて不可能。 そこでまず、息子夫婦に「一緒に行かない?」と持ちかけました。たぶん断られるだろうな、そうだったら諦めようと思っていたのですけれど、息子夫婦はすんなりと「いいよ」と言ってくれまして。母のわがままにつきあってくれるのかと本当に嬉しかった。

今は借家住まいなのですけれど、いずれ家を建てる予定です。二世帯住宅ではなく、息子夫婦と共に暮らす平屋の家。設計に関しては息子に任せています。私が車いす生活になることも見越してバリアフリーにするなど、いろいろと考えてくれているようです。

私はなーんにも考えず、お料理上手なお嫁さんが作ってくれるご飯を食べて、2匹の犬と戯れる毎日を送っています。犬たちを連れて、家の前の海に遊びに行くのが日課。

窓の外に広がる海を見たり、朝日や夕日を眺めたりする生活に憧れて移住したのですが、実際には思い描いていた以上の大自然でした。空気がきれいで、満天の星が夢のように美しい。島で出会う人たちはみんな朗らかで優しいし、沖縄料理は美味しいし、言うことなし! 大満足! 自慢に聞こえるかもしれないけれど、これはもう自慢よね。(笑)
移住前に行ったこと。断捨離と墓じまい
移住までの準備期間は3ヵ月ほどでした。家を借りるとか、住民票を移すといったことは息子が引き受けてくれましたが、引っ越しをするにあたり、自分のものは自分で整理する必要がありました。

断捨離に着手して思ったのは、ものってどうしてこうも増えるのかしら、という素朴な疑問。今にして思えば、ものに埋もれて暮らしていたようなものよね。たくさん所有していた着物は、似合いそうな何人かの方に差し上げることに。バッグや服も、欲しいと言ってくれる友人がいたので助かりました。

困ったのは、大事にしていた家具たち。たとえ清水の舞台から飛び降りるようにして買ったものでも、石垣島での生活にはそぐわない。かといって人様にもらっていただくには古すぎる。でも処分するのは忍びない……と、悩ましいなんてものじゃない。

結局のところ、断腸の思いで処分したのですが、手放してしまったら不思議なくらい何の未練もないの。愛着のあった鍋や食器も、「今までありがとう」と別れを惜しみつつ、「必要なら新調するけど。ごめんね」と伝えて、どんどんごみ袋に入れていきました。

もう一つ移住前にしたことが、墓じまい。毎月29日に欠かさずお墓参りをしてきたのですが、石垣島から通うのは大変でしょう? お墓参りができないというストレスを抱えるのはいやだし、今後、墓守を息子にゆだねるのも可哀そうだなと思って決断しました。

私の死後はどうしてくれてもいいの、気持ちの問題ですから。息子たちがやりやすいようにしてほしい。仏壇に手を合わせてくれれば十分だと思っています。
年齢のことなど気にする必要はなし
人が幸せに生きるために必要なのは、お金やものや地位や名誉なんかじゃなく、上質な人間関係に尽きると思います。上質というのはセレブという意味ではなく、信頼とか尊敬、慈しみの心で結ばれた人間関係のこと。たとえば私が女優を続けてこられたのは、よい人たちとの縁に恵まれたから。あるいは、私は9度もがんになったけれど、信頼できるお医者さまと出会うことで救われてきました。

石垣島での快適な暮らしも、コミュニケーション力あればこそと言えそうです。私は出会う方々にどんどん話しかけて、すぐに仲良くなってしまうの。そうやって美味しいお店を開拓したり、素敵なアクセサリーを作っている男性と知り合ったり。生きていくうえでは情報が宝だけれど、その情報をもたらしてくれるのは人なんですよね。そこに年齢は関係ないし、自分自身も年齢のことなど気にする必要はないのではないでしょうか。

もちろん、東京にいる友達との絆も大切にしています。移住してもLINEで気軽にやりとりしたり、Zoomで顔を見ながらお話ししたりできるので寂しくありません。考えてみれば、東京にいたときも頻繁に会っていたわけではないのよね。でも今は、「コロナが落ち着いたら遊びに行くね」ってみんな言ってくれています。

いくつになってもやりたいことがあるなら、躊躇せずにやればいいと私は思います。もちろん周囲の人に迷惑をかけてはいけないけれど、もう歳だからと諦めてしまうのはナンセンス。何らかの事情で中断してしまった趣味を再開するとか、お料理教室に通ってみるとか……。

心がときめくことにチャレンジできる体力があるうちにやってみる、というのが大事なのではないでしょうか。恋愛だって、年齢は関係ありませんよ。どれだけ心を華やがせて、ワクワクできるかということが大切なのだから、一方通行だっていいんです。

私はといえば、新しいお家に1年は住みたいなと考えているので、あと2年くらいは生きたいわね。寂しいことを言っているつもりはないの。だって、あの世も楽しそうだから。先立った人たちが「なるべく早く来てね」って、うるさいんですよ(笑)。

歴代のボーイフレンドに囲まれて旅立ちたいけれど、やはり元気でいるときがすべてだという気がします。この先どうなるのかは《神のみぞ知る》なのだから、私たちができるのは今を精一杯に生きることだけなのでしょう。

目下の楽しみは、大好きな桑田佳祐さんのコンサートへ行くこと。暮れに横浜まで見に行く予定です。女優としても、桑田さんと同じくらい魅力的な仕事なら、お引き受けするつもりでいます。(笑)

構成: 丸山あかね
写真提供:大空さん
出典=『婦人公論』2021年11月9日号
大空眞弓
女優
1940年東京生まれ。東洋音楽高校卒業後、58年に新東宝に入社。『坊ちゃん天国』でデビューし、60年以上にわたり、ドラマ・映画・舞台で活躍を続ける。多重がんの闘病を通じて、全国でトークショーなども行っている


ALS患者の嘱託殺人事件から、「死ぬ権利」「安楽死」について考える

2021-12-11 12:00:00 | 日記

下記の記事をヨミドクター様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

難病の筋 萎縮いしゅく 性側索硬化症(ALS)の患者から依頼を受け、薬物を投与した医師2人が嘱託殺人容疑で逮捕された事件が大きな波紋を呼んでいます。この事件には、法律に違反した、「死ぬ権利」の行使というだけではない、いくつもの問題がありますが、私の率直な受け止め方は、もう日本も「安楽死」についてきちんと議論を進めるべき時に来ているのではないか、ということです。今回の事件は、起こるべくして起こったもので、今後もまた起こるかもしれないからです。

自分の考えを実践するために実行?

逮捕された2人の医師は、患者の主治医ではなく、患者の容体を判断できる立場にはありませんでした。患者とはSNSで知り合い、「死にたい」という要望をかなえただけですから、嘱託殺人に違いないでしょう。しかも、彼らは自分たちの行為が、日本では法に触れることを知っており、発覚しないように注意を払っているようです。

さらに、患者から報酬まで受け取っています。読売新聞でもその額は130万円と報道されていますが、医師が人生を棒に振るほどの額とはとても思えません。詳しい動機は、今後の調べを待たなければわかりませんが、自分たちの考えを実行することに重点を置いていたのではないかと思えてなりません。

大久保愉一容疑者は、ブログに「私は、治療を頑張りたいという方はサポートしますし、『もうそろそろ、いいかな』という方には、撤退戦をサポートする そんな医者でありたいと思っています」と投稿しています。そこまでは理解できます。しかし、大久保容疑者がペンネームで編集し、共犯の山本直樹容疑者が著者になった電子書籍「扱いに困った高齢者を『枯らす』技術:誰も教えなかった、病院での枯らし方」となると、望ましい命と望ましくない命を選別する「優生思想」に近いものです。

患者と医師のニーズが一致

従って、多くの医療関係者は、この事件を「安楽死」に関係した事件として扱うことに抵抗を覚えて、議論することさえ嫌がります。しかし、一つだけはっきりしていることがあります。それは、今回のケースは、患者のニーズと医者のニーズがぴったりと一致していたことです。

患者女性は「(人生を)早く終わらせてしまいたい」「話し合いで死ぬ権利を認めてもらいたい。疲れ果てました」などと周囲に漏らしていたといい、おカネを払ってまで自ら死のうとしていたからです。もし、彼女が日本ではなく、安楽死を認めているスイスのような国にいたら、今回のことは問題なく行われていたのかもしれません。

尊厳死の議論は続いてきたが……

日本では、これまで尊厳死に関しての議論がずっと続いてきました。尊厳死というのは、自分の意思で延命治療を控えたり、中止したりして死を選ぶこと。薬物を投与して積極的に命を終える安楽死とは異なりますが、尊厳死の延長線上に安楽死があると言えます。

欧米では口から食べられなくなったら、ゆるやかに死を準備するという考え方があります。一方、日本では、食べられなくなったら「胃ろう」で栄養を取り、「人工呼吸器」で呼吸を維持し、「人工透析」で腎臓の代わりをさせる……という形で医療機器を総動員し、徹底して生かすことに注力してきました。この三つのどれかを止めれば、死が訪れますが、それを止めることは医師の判断ではできません。家族が判断するのも難しいでしょう。本人にしか決められません。

終末期でも意識が明確なら、こうした治療を自分で拒否することはできます。しかし、意思表示が難しくなる時も来ます。そうなる前に十分に家族や医療者と話をしておかないと、どんなに苦しくとも、患者は生かされ続けることになるのです。この事件で亡くなったALS患者も生かされる苦痛をSNSで発信していました。尊厳死を実現しようということで、本人と家族、医療者がよく話し合っておく「人生会議」を厚労省も推奨しています。

安楽死が許容される基準は?

1995年に東海大医学部付属病院で起きた安楽死事件では、末期がんの患者に担当医が薬物を投与して患者が死亡し、医師が殺人罪に問われました。この判決では、安楽死が許される要件4点を示しました。その4点とは、(1)耐えがたい肉体的苦痛がある(2)死期が迫っている(3)肉体的苦痛を除去する他の方法がない(4)患者の明らかな意思表示がある……です。

私は、この4点では、医療現場の実態に合わないと思います。本人の意思に基づいて、死期が迫っている患者の耐えがたい肉体的苦痛を除去する場合ということですが、人間としての尊厳をどう考えるのか。それぞれの価値観という面があるのではないでしょうか。もう一歩、踏み込んで議論を深めていく必要があると思います。

「先生、死なせてください!」

なぜ、そう思うか? 終末期治療の現場で、「先生、死なせてください」と患者さんに言われる痛切な経験をしてきたからです。寝たきりで動けず、胃ろうで栄養を流し込まれているだけ。人工呼吸器をつけて、もちろん排せつも人の手を借りる。そうして生きている方も少なくありません。

「自分はそうならずに命を終えたい」と思ってしまいます。ただ、単純ではない点もあります。元気な今は「人工呼吸器につながれたまま生きているのは……」と思いますが、実際に自分がそうなった時は、今の私と同じように感じるかどうかわかりません。延命治療は受けたくないと話していた患者さんが、実際に延命治療が必要な状態になった時に「治療を控えます」と伝えると、「死にたくない」と言い出したという話も耳にします。患者の意思表示といっても、それ自体が変わることがあります。

オランダやスイスなど安楽死が合法化されている国では、患者の意思はいつでも撤回できるようになっています。患者の意思を繰り返し確認したうえでの「死ぬ権利」の行使です。

尊厳死、さらにその先にある安楽死。日本は、目の前で問題が起こっているのに、それに向き合わないで今日まで来てしまいました。高齢者が増え、多死社会を迎えている今、納得のいく死に方について議論をもう一歩進める必要があると思います。(富家孝 医師)


「必ず男子を生まなくてはならない」悠仁さまの"将来のお相手探し"が大苦戦必至である理由 2

2021-12-11 11:00:00 | 日記

下記の記事をプレジデントオンライン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

16年ほど前に政府で本格化していた皇室典範改正の動きは、秋篠宮家長男の悠仁さま誕生とともに止まってしまった。今や、天皇陛下の次の世代で皇位継承権を持っているのは悠仁さまだけだ。神道学者で皇室研究者の高森明勅さんは「このままでは皇室には、悠仁親王殿下だけが残ることになってしまう」と危惧する――。

「必ず男子を1人以上生まなければならない」

私は何度でも言う。今の制度のままなら、皇室にはやがて悠仁

ひさひと

親王殿下たったお一方だけが残ることになってしまう。

そのことが、あらかじめはっきりと分かっている場合、畏れ多いが、悠仁殿下と結婚したいと考える国民女性がはたして現れるか、どうか。

しかも、必ず「男子」を1人以上生まなければ、長い歴史をもつ皇室を“自分のせいで”滅ぼしてしまうことになるという、“およそ想像を絶する重圧”がかかるとしたら。

内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持するが、配偶者や生まれてくる子は国民とする「一代限りの女性宮家」などという、政治的妥協の産物としか思えないような、残酷な制度を内親王方に“押し付け”た場合でも、悠仁殿下のご結婚相手が必ず「男子」を生まなければならない事情は、何ら改善されない。何故なら、それらの宮家がいくつかあったとしても、次の代には途絶えてしまうからだ。

どれだけお子様に恵まれても、それらの宮家からは、皇位継承資格者がただのお一方も現れない。ならば、悠仁殿下のご結婚相手が「男子」を生むしかない。

そんな条件のもとでは、悠仁殿下のご結婚は極端に困難になってしまう。普通の想像力があれば、そう考えるしかないだろう。

そしてもし、万が一にも悠仁殿下がご生涯、独身を通されるような事態になれば、皇室の歴史はそこで終わる。

それ以前に、不測の事故など決してあってはならないことでも、危機管理の観点から当然、織り込んでおくべき事柄だ。現に、いずれも幸い大事には至らなかったものの、平成28年(2016年)11月に、悠仁殿下が乗られたワゴン車が、中央道相模湖IC付近で渋滞の最後尾に追突する事故があり、さらに同31年(2019年)4月には、刃物を持った不審人物が悠仁殿下を狙って、お茶の水女子大学附属中学校に侵入する事件すら、起きている。しかし、政府も有識者会議も、そのような危険性からなるべく目をそらそうとしているようにしか見えない。

あまりにも無責任ではないか。

(母方から天皇の血筋を受け継ぐ)「女系天皇」を認めることは、もっと先延ばしできると錯覚していないか。

女性宮家の夫や子どもが直面する困難

しかし、女系天皇を認めなければ、制度としての整合性から、女性宮家の継承もできない。一代限りの宮家にならざるをえない。ご結婚相手は、皇族にもなれないのに、憲法が国民に保障したはずの自由も権利も、法的根拠もなく大幅に制限される可能性すらある。わが子は皇室の中で生まれたはずなのに、本人の結婚と共にか、それとも一定年齢に達したらか、どちらにしても皇籍を離れて、皇室にそのままとどまることはできない。

その子は、皇位継承資格者でも、その配偶者でもない。皇位の世襲継承にかかわりのない立場だから、いつまでも税金で生活を続けるわけにはいかないからだ。

わが子が、そんな宿命を背負うことがあらかじめ分かっている以上、そのような結婚を望む国民男性がはたしてどれだけいるだろうか。

ご結婚後、共に国民として暮らすのであれば、もちろん話は別だ。共に力を合わせて、国民として自由な生活を追求できる。しかし、妻は皇族なのに自分は“自由を奪われた”国民。わが子は先のような境遇を避けられない。となれば、結婚に二の足を踏んだとしても、誰も責められないはずだ。

 

「皇位の安定継承」にはほど遠い

つまり、「女系」継承の容認を先延ばしすると、「女性宮家」は必然的に“一代限り”になり、それはご結婚のハードルが極めて高い「野蛮な」制度になる他ない、ということだ。もしめでたくご結婚の上、お子様に恵まれられても、先に述べた通り、実にお気の毒な状態になるし、そのような犠牲を払われても、皇位の安定継承には“1ミリ”の寄与にもならない。

有識者会議の議事録を拝見すると「時間軸」という便利な言葉が多用されている。自分たちの保身のためとまでは言わないが、彼らが“火中の栗”と思い込んでいる「女系」容認には手をつけずに先延ばしをして、何となく“やっている”感をかもし出せるような、目先だけの「皇族数の確保」対策をとりあえず打ち出そうというニュアンスで、使われているようだ。しかし、そこに手をつけなければ、目先の対策自体が機能しない。

「女系天皇」は時間軸の“先”にあるテーマではない。もし「女性宮家」という制度を採用するのであれば、“同時に”セットで取り上げなければならない。

憲法違反の可能性もある「旧宮家案」

旧宮家案の問題性についても、これまで述べていない点について、言及しておこう。このプランが憲法の禁じる「門地による差別」に当たり、“国民平等”の原則に違反するとの指摘があるが、このことがもつ深刻な意味について、もう少し掘り下げておきたい。

昭和天皇、上皇陛下、そして今の天皇陛下の、長年にわたる「国民に寄り添われる」ご努力のつみ重ねによって、今や圧倒的多数の国民が、天皇・皇室の存在を受け入れ、素直な敬愛の念を抱いている。それが実情だろう。

しかし以前は、数自体はさほど多くなくても、強硬な反天皇論者がいたし、一部には反天皇感情のようなものも、わだかまっていた。昭和から平成への時代の変わり目と、平成から令和へのそれでは、基調となるムード自体が大きく変わった。

昭和の時代には、昭和天皇の“戦争責任”をめぐる論理以前の怨念のようなものが、長く尾を引いた(昭和天皇の戦争責任をめぐる論理的・実証的解明については、大原康男氏「『天皇の戦争責任』覚え書」参照)。しかし、昭和天皇と上皇陛下ご自身が自ら進んで、むしろ背負われる必要のない「責任」まで、懸命に背負い続けてこられたそのお姿によって、そうした感情はほぼ過去のものになった。

しかし、「平等」という普遍的な価値と、天皇・皇室という日本独自の存在との関係については、さまざまな批判的観点を生み出しかねない素地が、今も完全に消え去ってはいないように思える。

旧宮家案は「パンドラの箱」

私自身は、自由・平等という価値があまねく人々に保障されるためには、少なくとも現在および予想しうる将来の世界においては、国家統治のあり方が健全に保たれることが、前提として欠かせないと考えている。その前提を支える条件は、国によってさまざまだろう。わが国の場合は、天皇・皇室こそがとりわけ重要な役割を果たされているのではないか。そのように考えているので、天皇・皇室の存在を単純に平等の敵対物と見るような、硬直した旧式の考え方には賛同できない。

高森明勅『「女性天皇」の成立』(幻冬舎新書)

しかし、経済格差の拡大に歯止めがかからず、社会の各方面に不遇感やいわゆる“上級国民”への反発などが蓄積している時代傾向の中で、天皇・皇室を「平等」理念の対極にある存在と捉える見方が、もはや二度と現れないと決めてかかることはできない。

しかし、これに対しては、自由・平等の法的な意味での最後の“拠り所”と言うべき憲法それ自体が、天皇・皇室と国民の間に厳格な線引きをして、国民には「法の下の平等」を保障しながら(“国民平等”の原則)、天皇・皇室はその保障に欠かせない公的秩序の枢軸として、カテゴリー的に区別している――というクリアな説明ができる。

ところが、もし家柄・血筋を理由として、国民であるはずの旧宮家系の人々だけが皇室との養子縁組をできるという特権的な扱いを受けた場合、その“線引き”が崩れてしまいかねないだろう。すでに触れたように、旧宮家系の人々と、それ以外にも多く国民の中に存在する「皇統に属する男系の男子」との間の線引きも、どうなるか気がかりだ。そこの線引き自体が“差別”とも言いうるし、逆に線引きをしなければ、皇室と国民の線引きがとめどなく崩れてしまう危険性がある。

従って、旧宮家案は憲法違反と見なさざるをえないだけでなく、天皇・皇室と「平等」理念とのあやうい均衡を破る、「パンドラの箱」になりかねない。

よもや、政府がまともに取り上げることはあるまいが、くれぐれも警戒を怠ってはならないだろう。

 

高森 明勅(たかもり・あきのり)

神道学者、皇室研究者

1957年、岡山県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。神道宗教学会理事。国学院大学講師。


愛犬ココ 認知症の飼い主に忘れられても寄り添い…半年後、ついに奇跡が

2021-12-11 08:30:00 | 日記

下記の記事をヨミドクター様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

橋本幸代さん(仮名、70歳代)は、転倒骨折で入院している間に認知症が進行してしまい、愛犬のココ君のことを忘れてしまいました。私たちは、大幅に進行した橋本さんの認知症が改善するとは思えず、ココ君を思い出すことはもうないのだろうと諦めていました。

しかしココ君は諦めませんでした。

橋本さんはココ君をなでようとしませんでした。手を伸ばすことも、目を向けることもありませんでした。車いすに座る橋本さんの膝にココ君が飛びついても、キュン、キュンと鳴いても、一切反応しませんでした。

それでもココ君はいつも橋本さんと一緒にいました。

橋本さんは、すっかり車いす生活になっており、職員が押す車いすで移動していましたが、その傍らにはいつもココ君が歩いていました。ベッドの上で橋本さんに寄り添い、ひたむきに見つめていました。

ペットは人に無償の愛情を向けてくれると言われています。私たちはココ君の行動に、まさに無償の愛情を感じていました。自分のことを認識すらしてくれない飼い主さんに対し、まったく揺るがない愛情と信頼を寄せていたのです。

そして無償の愛情が奇跡を起こします。退院して半年がたった時、橋本さんは膝に抱き着いてくるココ君に目を向けると、「コ…コ…」とかすかに声をかけました。半年間、一言も言葉を発することがなかった橋本さんが、ココ君の名前を呼んだのです。ココ君は大喜びで橋本さんにしがみついていました。

橋本さんの認知症が劇的な回復を遂げた、というわけではありません。橋本さんの変化は、見た目にはごくごくわずかなものでした。ほんの少し顔を動かして、ココ君に視線を向け、かすかな声を発したにすぎません。しかしそれはまさに、小さな一歩でも大きな一歩だったのです。

それから橋本さんは、時折、ココ君に向かってかすかに呼びかけるようになりました。そしてさらに3か月がたち、ついにその時が訪れます。橋本さんが、必死に腕を動かして、ココ君をなでたのです。その場に居合わせた職員は、「思わず大声を上げて橋本さんに抱き着いてしまった」と言っていました。そして職員はココ君を橋本さんの膝の上に乗せました。橋本さんの胸にしがみついたココ君を、橋本さんは力の入らない腕で、それでもしっかりと抱きしめました。ついにココ君の無償の愛情が報われたのです。

二度と失われることはない新たな絆

無償の愛で“奇跡”を起こしたココ君

 

そこから橋本さんは徐々に回復していきます。ココ君だけでなく、職員とも少しずつ会話ができるようになっていきました。それまでの食事は、職員がスプーンで口にいれる完全介助の状態だったのですが、ゆっくりと自分で食べられるようになりました。テレビを見て笑い声も上げるようになりました。

認知症の症状が改善されると、体の状態もよくなりました。自分の意思で動けるようになったので、リハビリにも取り組んだのです。作業療法士の指導を受けて、歩行訓練に取り組み、数か月後には手すりにつかまって歩けるようにまでなりました。

歩けるようになった橋本さんは、毎日、ココ君を連れてホーム内を散歩するようになりました。一緒に長い廊下を歩く姿は、ホームの名物になりました。もちろん付き添っている職員がココ君のリードを持ち、橋本さんが引っ張られて転倒したりしないよう配慮していました。

「橋本さん、お肌つるつるですね。ココ君がなめてくれるからですか?」

「そうなの。ココちゃんが毎日なめてくれるのよ」

橋本さんは、事務職員とこんな会話を楽しめるまでに回復しました。認知症がここまで劇的な回復をした方は、私たちはほとんど見たことがありません。いえ、正確に言えば、ペットとの関わりの中では、何回か見たことがあります。「文福」という犬や、「トラ」という猫は、重度の認知症だった入居者の奇跡的な回復をもたらしました。ココ君も文福やトラと同じように奇跡を起こしたのです。

その後3年がたち、橋本さんの認知症と身体能力低下は徐々に進んでいきました。それは、高齢者が年を重ねる中で避けようのないことです。橋本さんは、今はまた車いすで生活しています。会話もだいぶ少なくなってきました。それでもココ君との絆は失われていません。ココ君の名前を呼び、ココ君をなでています。“2人”はいつも一緒です。

認知症のため、一度は失われた飼い主さんとの絆を、ココ君は無償の愛情と至高の忠誠心で再び結び直しました。

新たな絆は、きっと二度と失われることはないでしょう。

(若山三千彦 特別養護老人ホーム「さくらの里山科」施設長)