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小室圭さんの実家に変化 ポリスボックス撤去、佳代さんも洋菓子店退職

2021-12-04 09:18:47 | 日記

下記の記事をNEWSポストセブン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

小室佳代さんや実家に変化

小室圭さん(30才)と秋篠宮家の長女・眞子さん(30才)がニューヨークへと旅立ってから約半月が経過した11月末、横浜市内の小室さんの実家マンションに変化があった。

2017年に眞子さんとの関係が報じられて以降、実に4年にわたって設置されていたポリスボックス(警察官の待機所)が撤去された。結婚から1か月以上が経過し、小室夫妻も日本を離れた。警備に多額の税金が投入されることへの批判も続いていたが、一区切りがつけられたのだ。

9月末、小室さんが一時帰国したときには、周辺一帯が騒然とした。

「日本一注目されていた場所といっていいでしょう。各メディアが小室さんの一挙一動を追って自宅マンション前に集まりました。ポリスボックスには制服警官が交代で常駐し、さらに別の警察官が数人で周辺を巡回していました。まさに24時間の厳重な警備体制が敷かれていた。その目をかいくぐり、YouTuberが突撃しようとして逮捕されるという一件もありました」(皇室記者)

そんな騒がしさとは打って変わって、現在、周辺はひっそりと静まりかえっている。

11月12日には、小室さんの母・佳代さんと元婚約者Aさんとの間で長らくくすぶっていた金銭トラブルの幕引きがなされた。小室さんが佳代さんに代わってAさんと対面し、3日後には409万3000円の解決金が支払われた。ただ、“佳代さんと直接会って話がしたい”というAさんの希望は聞き入れられず、小室さんはその理由を、結婚会見で「ドクターストップ」と説明した。

晴れてトラブルから解放された佳代さんは、息子の結婚後も自宅にこもりきりのようだ。仕事は辞めた。今年7月から、15年間勤めていた老舗洋菓子店を欠勤していたが、正式に退職したという。

「佳代さんは、勤務先のロッカールームで足にけがをしたとして、労災認定を求めていました。しかし、洋菓子店側は、そうした事実は認められないと断固争う姿勢だった。佳代さんは結局、弁護士を通して退職の意思を伝えてきたそうです」(別の皇室記者)

佳代さんの生活は、同居する父親の年金や、小室さんが10才のときに亡くなった夫・敏勝さんの遺族年金に支えられていることになる。

 


まったく外出しない小室佳代さん、テレビ電話で眞子さんと頻繁に連絡か

2021-12-04 09:09:13 | 日記

下記の記事をNEWSポストセブン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

NYにいる眞子さんに佳代さんはテレビ電話をかけているという

写真116枚

小室圭さん(30才)と眞子さん(30才)がニューヨークに旅立ったのが11月14日のこと。小室さんの実家マンション周辺では、2人の結婚以来、母親・佳代さんの姿はまったく見かけられていない。外出もままならないほど伏せっているのかと思いきや、小室家を知る人物は、意外なことを口にするのだ。

「たしかに、生鮮食品や日用品の買い物などは、父親に任せたりネット通販を利用するなど一切外出しないようにしていますが、佳代さんは“籠城生活”を楽しんでいるようなんです。その理由の1つは、毎晩のように行っている、眞子さんとのテレビ電話です」

佳代さんは“働く女性”の大先輩

ニューヨークでの眞子さんの生活には、海外メディアも大きく注目している。イギリスの大衆紙「デイリー・メール」は、眞子さんがひとりで大型スーパーへと買い出しに出かける姿を写真つきで報じた。購入したハンガーの本数まで報道するなど、“本場のパパラッチ”は執拗だ。

「眞子さんの相談相手になれる唯一の存在が佳代さんなんです。佳代さん自身、金銭トラブルが報じられてから取材攻勢を受けました。一方の眞子さんはこれまでも皇族として注目は集めていましたが、国に護られてきた面も大きい。眞子さんには、カメラの避け方や、メディア対応のアドバイスをしているようです」(小室家を知る人物)

仕事についても同様だ。ニューヨークの美術館勤務が内定していると報じられているが、これまでフルタイムでの勤務経験がなく、複雑性PTSDを抱える眞子さんにとって、不安要素は山積みだろう。

「夫の死後、女手ひとつで小室さんを育ててきた“働く女性”の大先輩として話をすることもあると聞いています。週に何日働けばいいかなど、パートタイムでの勤務の仕方を具体的にレクチャーすることもあるようです」(前出・小室家を知る人物)

皇室という“鳥籠”から自分を救い出してくれた小室さん。その小室さんが全幅の信頼を置く佳代さんに、眞子さんもまた信頼を寄せるようになるのは時間の問題だったのだろう。

「佳代さんは周囲に“眞子さんは紀子さまよりも私のことが好き”と漏らしていたといいます。皇室という究極の温室で育った眞子さんにとって、あらゆる手段で人生を切り開いてきた佳代さんは、力強く、魅力的な女性に映るのでしょう」(皇室ジャーナリスト)

眞子さんと佳代さんには、精神的な不安を抱えているという共通点もある。

「佳代さんは以前、適応障害を理由に休職をしていたことがあります。結婚を前に複雑性PTSDであることを公表した眞子さんにしてみれば、自分のストレスや精神のゆらぎを理解してくれる人が身近にいることを心強く感じているに違いありません」(皇室記者)

育まれた絆は、“義母と娘”という関係に変わったことで、さらにゆるぎないものとなった。


小室眞子さんと圭さんの結婚で思い出される、ミッチーブームと美智子さまの努力

2021-12-04 08:58:17 | 日記

下記の記事を週間女性プライム様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

憧れの存在であり続ける美智子さま

【写真】'98年、美智子さまと6歳の眞子さん

女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、皇室のご成婚について。

美智子さまは皇室の枠を広げた

眞子内親王殿下と小室圭氏が結婚された。おふたりが婚約内定会見をされたのは、2017年の9月。以降、さまざまな報道が飛び交い、4年の月日が流れた。結婚に伴い、眞子内親王殿下は皇籍を離脱し、“眞子さん”となった。新しい道を歩む、彼女の前途が明るいことを願っている。

 皇室のご成婚で思い出されるのは、やはり1959年の上皇さまと美智子さまだろうか。私は、女優になったばかりのころだったけど、こんなに上品できれいなお嬢さまがいるのかと日本中が驚いたことを覚えている。

 

松竹の時代劇に出演するために京都で撮影をしていたら、戦前から活躍する“歌う映画スター”と呼ばれた俳優の高田浩吉さんが、「こういう女性が女優になってくれたらなぁ」

 

そうしみじみと語っていた。大スターの目から見ても、美智子さまの存在は際立っていたようで、しきりに高田さんは「素晴らしい、素晴らしい」と繰り返していた。

当時の美智子さまは、初めての民間出身の皇太子妃─。われわれ一般庶民が想像を絶するようなご苦労があったに違いない。でも、女性週刊誌の表紙は、いつも美智子さま。憧れやすく、まねをして取り入れたくなるようなファッションをされていたところも絶妙だったなぁ。例えば、ショールにしても、スカートにしても、お金を貯めればOLさんでも買うことができるスタイルのものをお召しになられていた。

社長令嬢ではあったけど、親しみやすさがあったからこそ、「ミッチー・ブーム」という社会現象を生み出したのではないかしら。女性たちの憧れの的だった。

なんでも主婦と生活社が2年前に発売した美智子さまの写真集は、とても好評だったそうだ。今なお、多くの女性から支持を集めているのだから、いかに色褪(あ)せていないかを物語っている。

池田山にあった正田邸も古い洋館で素敵だった。建物の保存を求める要望書や署名活動が盛んに行われていたけど、最終的には解体され、今は「ねむの木の庭」という公園になってしまった。民間初のプリンセスがお住まいになられていた場所なのだし、形にとどめておくことはできなかったのか─などと思ってしまう。

 

私の元亭主の脚本家・林秀彦は、学習院高等科を中退している。ほかの生徒たちに「町っ子」といわれ、おもしろくなかったらしい。でも、学友に上皇さまがいらして、将棋をさしたことがあるとジマンしていたっけ。その後、元夫は渡欧し、フランスのモンペリエ大学に留学する。この大学は、あのノストラダムスが卒業している母校でもあるため、彼はよく「ノストラダムスは自分の先輩だ」なんて、これまたジマン。

話を戻しましょう。美智子さまが、公務に勤(いそ)しんでいた姿も忘れがたい。先の戦争で1万余の将兵が散華したという太平洋の島国・パラオのペリリュー島への慰霊など、ご高齢にもかかわらず各地を行脚するお姿を見ると、背筋がピンとなる。

 

51歳のときには、子宮筋腫の摘出手術を受け、病名などを包み隠さず公表されたことにも驚いた。それまで皇室の方がそういったことを公にすることなんてなかったから。

振り返れば、美智子さまは皇室の枠を広げていった存在だった。楽しそうなご一家の写真や、子育ての姿を発信したり、ときにはエプロン姿でお料理を作ったり。そう考えると、今の皇室って美智子さまのときより秘匿性が増しているような気がする。だから、国民が悪い意味で勘ぐってしまうのかもしれない。

今回のご結婚に関しても、皇室の未来が心配になるような出来事が少なくなかった。美智子さまがご苦労を重ねて広げた可能性を狭めてしまわないためにも、宮内庁を含めもっと国民のために誠意を持ってオープンになっていくことが必要なのではないかしら。

眞子さんは民間人となった。平穏な愛の暮らしが、長く続くことを祈っている。

〈構成/我妻弘崇〉

冨士眞奈美

 冨士眞奈美 ●ふじ・まなみ 静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。


ウイルスを使ってがん細胞を破壊する…悪性脳腫瘍の新薬承認 生存率高められる可能性

2021-12-04 08:30:00 | 日記

下記の記事をヨミドクター様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

特殊なウイルスを使った悪性脳腫瘍の新薬が条件付きで承認され、今年8月、公的医療保険の対象となりました。ウイルスを使ったがん治療薬が国内で実用化されるのは初めてで、今後、生存率を高められる可能性があります。(安藤奈々)

がん細胞だけ破壊

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脳腫瘍は、脳の細胞や神経などにできるがんです。手術でがん細胞を切除したり、放射線を当ててがんを小さくしたりして治療します。抗がん剤もありますが、悪性度が高い場合、がんが増殖するスピードが速く、治療が難しいのが現状です。

新たに開発されたのは、がん細胞だけで増えて破壊する特殊なウイルスを使った薬「テセルパツレブ」です。感染力が強く、細胞を殺す力が比較的強い「単純ヘルペスウイルス1型」の遺伝子を改変しています。新薬の開発に関わった東大医科学研究所教授の藤堂 具紀

ともき

 さんは「周囲の正常な細胞は傷つけず、がん細胞に対する免疫を高めることができます」と説明します。

この薬は、直接、腫瘍に注入します。頭を器具でしっかり固定し、頭蓋骨に小さな穴を開けます。そこから針を刺し、腫瘍のある部分に投与します。1回目と2回目は5~14日の間隔、3回目以降は4週間ごとに、最大6回注入します。

新薬の対象は、「 膠芽腫

こうがしゅ

 」など、悪性度が高い「神経膠腫」の患者です。放射線治療など、標準的な治療を実施しても、十分な効果が得られなかったり、再発してしまったりした場合に使います。

治療データ集積へ

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治験では、悪性神経膠腫のうち、膠芽腫の患者19人に新薬を投与し、1年後の生存率を調べました。このうち13人を解析したところ、生存率は92・3%でした。膠芽腫の場合、標準的な治療をしても、1年後の生存率は15%程度と考えられています。従来の治療法と比べて高い結果が示されたことを受け、今回承認されました。

ただし、治験に参加した人が少なかったため、今後も新薬で治療した患者のデータを集め、7年を期限に有効性と安全性を確認していくことになっています。

横浜市の会社役員の男性(58)は、2016年に膠芽腫と診断され、手術や放射線治療を受けました。しかし翌17年に再発し、新薬の治験に参加しました。同年に計6回新薬を注入しました。

それからこれまで4年半の間、転移や再発はありません。投与すると、翌日に高熱が出ましたが、その後、特に副作用に悩まされることはなかったと言います。男性は「新しい薬のおかげで今も仕事を続けられています。本当に幸せです」と話しています。

がんのウイルス療法に詳しい鳥取大准教授(遺伝子治療学)の中村貴史さんは「脳腫瘍の治療は難しいですが、新薬が登場したことで選択肢が増えました。ただ、今後も治療の効果や安全性について慎重に検証していくことが重要です」と指摘しています。

新薬は今のところ、治験を実施した東大医科研病院(東京都港区)でのみ使用されています。製造販売元の第一三共は順次、ほかの医療機関でも投与できるようにしていきたいとしています。