成羽川沿いに313号線を下って行くと“かぐら橋”という橋があり、右岸と左岸に神楽の装束
を着けた像が立っていた。
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![]() | 商店街の入り口 更に下って成羽町の商店街に入ると、神楽に登場する神々の小さな像が点々と立っていて、その役柄の説明が書かれていた。 どうやら、成羽町が備中神楽発祥の地である事から、神楽で町おこしをしようと考えたらしい。 片っ端から見て回ったが、神楽でお馴染みの神々が様々なポーズで出迎えてくれ、面白かった! |
![]() | 八岐大蛇(ヤマタのオロチ) 出雲の仙神山の大滝に棲む、頭が八つ、尾も八つの大蛇。 神話では悪行非道者とされているが、一方では雨乞いの神とも伝えられている。 |
![]() | 室尾明神(ムロオミョウジン) “酒造り”の手伝いの神。 諸願助力の神ともされている。 |
![]() | 松尾明神(マツノオミョウジン) 八岐の大蛇に飲ませる大量の酒を造ったとされる。 酒造りの守護神で、亀は眷属神。 「文化発展・業務繁栄」の神とも言われ、崇められている。 |
![]() | 奇稲田姫(クシイナダヒメのミコト) 足名槌命と手名槌命の息女。 八岐の大蛇に飲まれんとするところを素戔鳴命に助けられ、二神はめでたく結婚。 稲作豊穣・愛情・恋愛・結婚の神ともされる。 |
![]() | 足名槌命(アシナヅチのミコト)は、出雲の斐伊川の上流の住神で、大山津見の神の御子。 妻の手名槌命(テナヅチのミコト)との間に8人の娘を授かり八岐の大蛇に7人まで飲みとられるが、末娘の奇稲田姫命は素戔鳴命に大蛇を退治して貰い、結婚する。 足名槌命は、後に素戔鳴命の御殿の長となり、安らかな国造りに助力する。 神楽では、夫妻と素戔鳴命との出会いと受難の語り、そして夫妻の滑稽な会話が人々を楽しませる。 |
![]() | 素戔鳴命(スサノオのミコト) 伊弉諾尊・伊奘冉尊ニ柱の命の御子。 天照大御神の弟神で、“大蛇退治”の主人公。 八岐の大蛇を退治して奇稲田姫命を娶る一方で、一刀の宝剣を得て、これを姉神天照大御神に捧げて正義の証とする。 悪疫退散・疫払い・勇気・愛の神・治水の神として崇められ、須佐鳴男神社・祇園社などとして祭られている。 |
![]() | 建御名方命(タケミナカタのミコト) 大国主命の御子。 “国譲り”を妨げる為に鬼の姿になって、高天原の勅使と戦った事から“鬼神”とも言われるが、本来は実直で武勇にたけた神である。 人々に勇気と勢いを授ける神として崇められている。 諏訪神社・御前神社などに祀られている。 |
![]() | 事代主命(コトシロヌシのミコト) 大国主命の御子。 この神の進言によって国譲りが成立する。 忠孝善美の神。 商売繁昌・海上安全・漁業の守護神として崇められている。 母神美保津姫命と合祀。 美保両神社として祀られている。 |
![]() | 稲背脛命(イナセハギのミコト) 高天原にある時は、「武夷鳥命」と称されていたが、地上界に天下って稲背脛命と改名し、大国主命の家来となる。 その後、経津主、武甕槌命の両神の天降りにより、勅命の本筋に立ち返り、顕幽分界に尽力する。 神楽では、両神とのやりとりの場面や事代主命を迎えに行く場面など、滑稽な様で観衆を楽しませてくれる。 |
![]() | 大国主命(オオクニヌシのミコト) “国譲り”の主人公で、豊葦原中津国の国造りの主宰神。 寿福幸いをもたらし、縁結びの神として世に知られている。 出雲大社を本宮として、全国に杵築大社等々の名で祀られている。 医療・医薬の守護神でもある。 |
![]() | 手力男命(タチカラオのミコト) 「天の岩戸開き」の際、天照大神(日の神)がおかくれになった「天の岩戸」の大岩の戸を強力で押し開き、日の神のご出現に尽力したと言う力持ちの神である。 神楽では、岩戸開きに掛かる前の「太鼓叩きとのやり取りの面白さ」そして「岩戸に掛かる時の勇壮な舞い」が観衆を楽しませている。 |
![]() | 思兼命(オモイガネのミコト) 「天の岩戸開き」にあたり、思慮をめぐらせて計画を立て、知恵を授けられた神。 そして、その計画に従って八百万の神々が働かれ、めでたく岩戸が開き世の中は明るさを取り戻した。 知恵・思慮工夫の神、会議・設計等の守護神でもある。 |
![]() | 猿田彦命(サルタヒコのミコト) 天孫降臨にあたり、先祓いをつとめ、道清めをされた神。 天下泰平・国家安穏をはじめ、魔払い・厄除け・災禍消除・交通安全の神としても崇められている。 |
備中神楽…wikipedia から引用
備中地方では古来より荒神に奉納する神楽として荒神神楽が行われていたが、これは主に猿田彦の舞・剣舞を中心としており、現在の備中神楽のように郷土芸能というよりはより神事に近いもので、神職のみが行っていた。
しかし、文化・文政年間に京都で国学を学んでいた西林国橋が古事記・日本書紀・古今和歌集などを参考に、能・狂言・歌舞伎など成熟しつつある芸能を取り入れて演芸性の高い神代神楽を加え、それまで神職のみが行っていたものを神職外の神楽太夫などが奉納するようになった。
特に茶利である松尾大明神と太鼓奏者との漫才のような掛け合いが独特で人気がある。
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