里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

身体検査の日

2011年12月28日 | その他
今日は、身体検査の日なのだそうだ。
1888(明治21)年の12月28日に、当時の文部省が各学校に対して生徒の身体検査
の実施を訓令した事から、そう呼ぶようになったらしい。

ところで、身体検査の日だからという訳ではないが、今日は病院へ行ってきた。
10月の初旬から、腹痛や軽いぎっくり腰に悩まされ、その後腰痛はなくなったものの、
今度は腹痛に加え背中の痛みが起きて夜も眠れなくなったからだ。

病院での検査結果については、
 ・胃の内視鏡とピロリ菌の検査では異常はなく、
 ・胸・背中・肋骨・腰を押えても痛みはなく、X線検査でも年齢相応に老化がみられる
  が、痛みの原因となる異常はない。
 ・血液と尿、胸部CT検査の結果と併せ、来年の1月4日に話します。
という事になった。

取り敢えず痛み止めの飲み薬を貰って帰ったが、この調子では寝ると余計に痛いので
恒例の寝正月も一寸厳しそうだ。

ところで、今日のX線による被曝量は、
 骨の検査+胸の検査=(0.6?) × 10 + 6.9 = 12.9 mSv/年
といったあたりで、100mSv以下なので特に影響はないらしい?

しかし、福島県の人達については、何の対策もとられなかったら、今後もこういった
レベルの被曝を受け続ける事になってしまう。
出来るだけ早く除染をした方がよいと思うのだが、汚染土の仮置き場がネックの一つ
らしい。
地方自治体は「国が決めるべきだ」として国に下駄を預けているが、どこに決めるに
しても住民が反対するだろうし、下駄を預けられた国も困っているに違いない。
市民も自治体も国も譲り合って、何とか合理的な解決方法を見つけてほしいものだ!


福島第一原発にかかわる政府事故調の中間報告について

2011年12月27日 | その他
26日に、政府の「事故調査・検証委員会」の中間報告が公表されたが、
『巨大津波や全電源喪失に対する備えが無かった』 
『原子炉冷却について、現場に誤認や判断ミスがあった』
『水素爆発や放射性物質の拡散などによる被害拡大が想定出来なかった』
『東電と政府、或いは政府内の連携不足があった』
『住民の避難について、放射性物質の拡散を予測するSPEEDIの活用が出来ず、
 自治体や住民に適切な指示が出来ず混乱が生じた』
等々の手厳しい内容だったらしい。

いずれも、結果が如実に証明している事ばかりだけに、政府や東電などには一切弁解
の余地は無く、今後は当然の事ながら安全対策を講じ賠償責任を負わなければならな
いと思う。

しかし、マスコミや世論に政府や東電を批判する声が満ち溢れているのは当然だとしても、一方であまりにもヒステリックな批判する人達が居るのには少し抵抗感もある。

私も現役当時には、何度も起きた火災や爆発に伴い、
 ・事故の原因が分からず、なおも事故の拡大や被災者の救護にあたる最中でも、
 ・本社や市役所・警察・消防などから、事故の原因・被害状況・今後の対策等の説明
  を求められ、
 ・事故後も、事故対策委員会を設け、事故の検証・原因の究明・今後の対策等に
  ついて関係機関に報告して承認を受けなければならず、
 ・並行して、死傷者に対する対応や、災害現場の復旧も進める必要があり、
この間、事故を起こしてしまった側の一員として責任がある事から、いかなる批判にも耐え、何日も不眠不休であたった経験がある。

こういった経験から、何が起きているか、どうしたらよいか判断に苦しむ状況下でとった処置を、結果からだけ見て徒に批判するのは一寸酷な気がする。
何も政府や東電や私の事を擁護する積りは無いが、人は過ちを犯すものだし、誰が対応したとしても過ちを犯す可能性がある。
過ちは過ちとして今後対策を講じるのは当然だが、誰かを血祭りに上げるかの如き議論が起きている事には納得出来ない!


食品中に含まれる放射性物質の新たな規制値

2011年12月23日 | その他
厚労省は、福島第1原発事故による深刻な放射能漏れが起きた為に、
急遽H23年3月に、食品中に含まれる放射性物質の暫定基制値を定めたが、
今回、放射性セシウムについて、新たな基準案(H24.4.1 から適用)を発表した。

暫定規制値、単位:ベクレル/Kg〕…厚労省のHPから引用
核    種
乳幼児用食品
飲料水・牛乳・乳製品
野菜類
穀類・肉・卵・魚等
放射性ヨウ素
300
2,000
放射性セシウム
200
500
500
ウラン
20
20
100
100
プルトニウム、超U元素のα核種
10
10

新たな規制値、単位:ベクレル/Kg〕…H23.12.23 付け朝日新聞から引用
核    種
乳幼児用食品
飲料水
牛乳
一般食品(※)
放射性セシウム        
50
10
50
100
 (※)一般食品の内、
    ・野菜類、穀類、肉、卵、魚、その他については、H24. 4.1 から適用され、
    ・米と牛肉については、                H24.10  から、
    ・大豆については、                  H25. 1   から適用の予定。


どうやら、放射性のヨウ素ウランなどは検出されないので、放射性セシウム
対象に、より規制値を厳しくしたらしく、厚労省は、
 『これにより許容被曝線量は、暫定規制値の5mSv/年から1mSv/年に下がる
 『新基準は、国際的にみても厳しい値になっていて、飲料水はWHO基準と同じ
と言っているそうだ。

しかし、ネットで検索すると、
 『食品による内部被曝を1mSvとするだけでは不十分なので、
  外部被曝を含めて1mSvにすべき。 子供の基準をより厳格に設定すべき』
として、早速厚労省へ抗議文を出す団体もいるそうだ。

言うまでもなく規制値は厳しいほど安全だとは思うが、一方で、守れない規制値を決め
ても意味が無いのではないかとも思う。
我々素人には、なかなか理解できない話だ。
規制値が緩すぎても苦情が出るし、厳しすぎても苦情が出るし、政府も大変だ。

WHOの飲料水基準値、単位:ベクレル/L〕…WHO飲料水水質ガイドラインから引用
核    種
飲料水
ヨウ素   131
10
セシウム 137
10
ウラン
プルトニウム、超U元素のα核種



原子力発電によらない生き方を求めて

2011年12月21日 | その他
昨日の朝日新聞に、『原発 もの申す宗教界』 という記事が載っていたので、
各宗教団体のHPを覗いてみた。

すると、
全日本仏教会は、
『原発に依らない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指す』 と宣言し、

カトリック中央協議会では、日本カトリック司教団が、
『今すぐ原発を廃止する』 事を呼びかけると同時に、

どちらもが、
『過去に原爆で多くの人々のいのちが奪われ、原発事故で多くの人々がいのち
 脅かされている現状に鑑み、人類が制御できない危険な原発に依る事なく、自然
 エネルギーなどの安全な代替エネルギーに転換するべきで、
 人々も、利便性や経済性のみを追求せず、過剰な物質的欲望から脱して一人一人
 が質素で謙虚な生活を実現し、安心で安全な社会を築くべきである』
と述べているようだ。

私も日頃から、
昨今の「お金を稼ぐ為ならどんな事でもやる」という風潮には辟易していて、
お金を持って死ねるわけではないので、毎日健康で食べていければ幸せだ
と考えていたので、質素な生活に変えるべきだという点については全く同感だ。

ただ原発については、今までも、危険なので出来れば再生可能エネルギーに転換
すべきだとは考えていたが、科学を過信し、
 ・急には再生可能エネルギーに転換出来ない事と、
 ・当面、莫大な石油等の輸入代金を支払わなければならない事と、 
 ・国内輸出産業が空洞化している事から原発を輸出できないか、と考えてしまった。

今回の福島第一原発事故の影響の大きさから、宗教者ならずとも大いに反省させられ、
今後の自分の生き様やどんな社会を築くべきかについて改めて考えさせられた。


除染区域の指定

2011年12月20日 | 政 治
19日に環境省は、
『福島第一原発から20km圏内の警戒区域と、線量が20mSv/年を超える計画的
 避難区域
11市町村については、国が直接除染する“除染特別地域”に指定し、

 東北・関東地方8県102市町村の地表から1mの所の、
 線量が0.23μSv/時以上の区域を対象に、国から除染の財政支援が受けられる
 “汚染状況重点調査地域”に指定し、来年1月以降に除染実施計画を策定する』
と発表した。
〔環境省が放射線量を0.23μSv/1時間に設定した根拠〕
自然界の放射線量+事故による追加被曝放射線量=0.04 + 0.19 (μSv/時)

1日の内で、屋外に8時間、遮へい効果(0.4倍)のある木造家屋内に16時間居る
と仮定して被曝放射線量を求めると、
0.19 ×(1.0×8 + 0.4×16)× 365≒999(μSv/年)≒1 (mSv/年) となり、
医療と自然由来を除いた一般の人の年間限度量1mSvをクリアーできる。

ところが、環境省が事前に市町村に指定を受けるかどうか打診したところ、
 ・除染計画を前倒しで策定している自治体がある一方で、
 ・「風評被害に拍車がかかる」「線量が高いのは山林で、市民生活に影響しない」
  として、指定を希望しない自治体も多いらしい。

市民や学者に「放射線量を下げるべきだ」という意見が多い一方で、風評被害を心
配して除染に及び腰の自治体が多いらしいのには驚いた。
汚染土の仮置き場の確保に困る、或いは山林の除染が難しい、などという技術的な
問題を議論するならともかく、「風評被害が心配」と言うのは如何なものだろう?

仮に線量が20mSv/年の地域があるとすれば、これから先も放射線による被曝が
続いて5年後には累積被曝線量が100mSvに達し、健康被害が懸念される事になら
ないのだろうか?
世の中には、
「除染や避難などにかかわるコスト負担を、どの程度の被曝まで我慢出来るか?」
比較して結論を出すという考え方もあるらしいが、例えそうだとしても、単に農業や
観光業に風評被害が出るから指定を受けないと言うのでは、何の利益も得られない
一般の市民は我慢を強いられるだけだ。

健康被害が懸念される地域は、これを機会に除染を行って放射線量を下げ、堂々と
データを発表して安全を訴えて行く方が国民の支持を得られるのではないだろうか?
風評被害を恐れてこのまま臭いものに蓋をしても、利益を得られる筈の農業者や観
光業者も健康被害を被る事になってしまう。


福島における避難区域の再編成

2011年12月19日 | 政 治
政府は16日に、
福島第一原発事故そのものは収束に至ったと判断される」 として、
18日に、福島県と11の市町村に対し、避難区域を再編成する方針を説明した。

これまでの、原発からの距離を基準に、
 ・半径20km圏内を警戒区域とし、
 ・半径20km圏外に計画的避難区域を設けていたものを、
年間被曝線量を基準にして、来年4月をめどに3区域に再編成するのだそうだ。

[新しい避難区域の基準〕
区 域 名
基  準
避難指示解除準備区域
20mSv 未満
居住制限区域
20~50mSv 未満
帰還困難区域
50mSv 以上

ところが、説明を受けた関係自治体などを筆頭に、
『大きな方向性が示された事は評価する』 という一方で、
『本来ならば首相が説明に来てもいい重い話』『地域が分断される事への懸念』 
『収束と言うには程遠い』 『問責だ!』
『来年4月には、20mSv未満の地域の住民は戻れるというが安全なのか?』
『20mSv未満なら戻れるとする結論を出すのが早すぎる』
等々、否定的な反応が多かったらしい。
地上1mにおける放射線の分布状況(※)を見ると広範囲に汚染されていて、被災者の方々には気の毒でならず、出来れば1mSv以下まで除染して皆さんを帰してあげたい!
   (※asahi.com から引用)
しかし、一方では除染には膨大な時間と費用・技術が必要で、一般会計の内の借金(国公債)の比率が半分近い有様では予算面も相当に厳しい。
「増税や地域分断はダメ」「20mSv未満では高すぎる」…などと否定的な事ばかり言わずに、皆が我慢して妥協出来ないのであろうか?  私としては、被災者の方々には酷かも知れないが、ICRPの提案等を基に策定した政府案で進めるのも一法だと思うのだが…?

国際放射線防護委員会(ICRP)の日本政府に対するH23.3.21提案
『原発事故後に周辺に住む人達の年間被曝限度量については、2,007年勧告(下表)
 に基づき1~20mSvを限度とし、長期的には1mSv未満を目指すべき』
とする声明を発表した。
区   分
年間被曝限度量
緊急時
20~100mSv
緊急事故後の復旧時
1〜20mSv
平常時
1mSv未満



オキナワスズメウリの実

2011年12月17日 | 山野草の繁殖
友人からオキナワスズメウリの実を貰った。
大きさは、緑色の方が2.5×3cmくらいだ。

ツルが6mも伸びるので、夏の日除けにしたり、可愛い実を観賞用に飾るらしい。
種は大きさが約5×8mmくらいで、まるで米粒を紐で縛ったような面白い形をしていて、心なしかカラスウリの種の形に似ている。

実の形が面白いので育ててみる事にしたが、播種は来春なので無くさないように保存するとしよう。
こちらはカラスウリの種で長さは約1.2cmだ。

独特な形からカマキリの頭とか、打ちでの小槌大黒様の顔などと呼ばれ、財布に入れておけばお金がたまると言われているそうだ。

オキナワスズメウリ、沖縄雀瓜(ウリ科、オキナワスズメウリ属)
沖縄を含む南西諸島で、日当りの良い路傍や林縁などに自生するツル性の一年草。
葉は心形で掌状に5~7裂し、先は鋭く尖り縁には細かい鋸歯がある。
花期は6~9月で、葉腋に淡黄色で径が約1cmの花をつける。 雌雄同株。
実は球形で、径約2cm。 赤や緑に白色の縦縞模様が入っている。

〔鉢植えの育て方〕
 1.実が赤く完熟したら、約10粒入っている種を取り出して良く水洗いし、
   陰干したのちに保存。
 2.春に気温が20℃以上になったら播種し、5~10mmの土をかける。
 3.乾燥させないように管理すると、2~3週間で発芽するするので適当に間引く。
 4.行燈つくりにし脇芽を切らずに育てると、ツルが2m以上になると黄色い花が咲く。
 5.7月頃から実がつきはじめ、8月末頃から実が緑から赤に変わる。


ササユリ “袋播き法”、発根

2011年12月15日 | 山野草の繁殖
>
ヤフオクをチェックしていたら、
“ササユリ種子の袋播き栽培法付き”というのがあった。
どんな栽培法なのか興味があったので買ってみたら、発根種子と未発根種子に加え、栽培法のメモを送って来た。
H22.12.28、播種。
そこで、早速その栽培法に従い、山土へ未発根種子を“袋播き”してみた。
H23.12.15、発根。
播種して1年経ったので発根状況を見る為に掘り出してみたところ、栽培法へ書いてあったように、何とたくさん発根していた!
100%発根するというのも、まんざら嘘ではないらしい。
次いで、発根種子を全部取り出し、ビニール袋を取り出した後の用土(山土)へ移植したが、来年6月頃の発芽が楽しみだ!

〔栽培法〕
1.少し湿らせた両手一杯の用土とササユリの種子をビニール袋へ入れて撹拌し、
2.発砲スチロール箱の少し湿った用土へ埋めて箱に蓋をし、軒下の日陰か室内に置く。
3.すると翌年の秋にはほぼ100%発根するので、ビニール袋から取り出して移植する。
4.この栽培法だと、播種後4~6年で開花する。


野呂往還を歩く (1)

2011年12月12日 | 歴 史
備陽史探訪の会」が、新市町柏に通じる山道“野呂往還”を数回に分けて踏破する計画で、第1回目の戸手駅から柏城跡まで歩く参加者を募集していた。

以前に「その昔、藤尾の鉱山から戸手に至る“野呂往還”という銀を運ぶルートがあった」と聞いて探索した事があったが、その時には肝心な所がイマイチ分からなかったので、渡りに船で参加した。
〔今回歩いたコース〕
1.戸手駅
2.信岡家住宅
3.大佐山白塚古墳
4.柏の牛地蔵道標
5.柏北観音道標
6.蛇切峠(じゃきりとうげ)
7.柏観音寺
8.観音山城跡
9.甲山城跡
10.村境の道標
11.大坊福盛寺(だいぼう ふくじょうじ)
12.仁王門
1.JR福塩線・戸手駅前に集合。
野呂というのは、山の尾根のなだらかな所
 を指し、往還は主要な道路を指す。
 今回歩く野呂往還は、神石郡坂瀬川から
 新市町戸手までの尾根道で、昭和30年代
 まで使われていた。 今は途中が不明や不
 通になった場所もあるが、周辺の遺跡など
 を見ながら、何回かに分けて走破する』
という事であった。  何だか面白そうだ!
2.信岡家住宅
先ず最初に、戸手駅北西のすぐ近くにある信岡家住宅を訪ねた。

家は、代々品治(ほんち)郡戸手村の庄屋で、現存する主家など8件が国の登録有形文化財として指定されている。

江戸時代後期の庄屋信岡平六(名は祐義)は、自費で戸手用水を造ったり、千田村庄屋河相周兵衛の呼びかけに応じて銀50貫を拠出して福符義倉の設立に参加し、飢饉に喘ぐ農民を救済したという。
上戸手の艮神社境内には、信岡平六の頌徳碑が建てられている。
3.大佐山白塚古墳
戸手川沿いに北上し、大佐池の手前で右折。
約800m進むと古墳に上がる階段に到着する。

古墳群は大佐山(標高:188m)の山頂より僅かに南に下がった場所で、一番高い所へ1号墳があり、その下方に更に6基がある。
7世紀前半の古墳時代終末期に築造されたと考えられているが、その時代の古墳は1基だけのものが多く、複数あるのは珍しいのだそうだ。
画像中央上部は古墳群の中で最大の1号墳で、右端中央に白く見えているのは2号墳。
1号墳は大佐山白塚古墳と呼ばれ、1辺が12m、高さが4mの方墳で、内部主体は巨大な花崗岩の切石を用いた奥行7.8m、幅1.8m、高さ2.3mの横穴式石室で、石室中央に間仕切があり二室に分れているのが特徴。

白塚という事から嘗ては壁面に漆喰を塗っていたと考えられているが、現在では石と石との隙間に痕跡が見られる程度。

古墳群はいずれも南向きに開口していて、眼下には嘗て支配していたであろう芦田川沿いの平野が見える。
被葬者としては、中央の王族や官人を当てる説もあるが、地元の有力豪族達とも考えられている。
4.柏の牛地蔵道標
野呂往還と言うのは、駅家町新山の野呂地区を通る事からその名がついたそうで、野呂地区へは帰りに寄る事にして柏集落の方向へ更に北上した。

お地蔵さんの台座には、
 東 ふくやま
 西 一宮
 南 とて(とで)
と書いてあるそうで、この左右(東西)の細い道路が嘗ての野呂往還だったらしい?
5.柏北観音道標
柏集落へ入る直前で左折すると、その先の峠の頂上に観音堂があり、そのお地蔵さんには、
 東 福寺
 西 一宮
と書かれているそうで、先ほどの牛地蔵道標の所から一宮方面へ進み、ここに出て白線のように直進するのがどうやら野呂往還らしい?
6.蛇切峠(じゃきりとうげ)
緩やかな峠を上ると道路わきに、
蛇切七五三帳之古跡
と刻まれた石碑が立っていた。

七五三」というのは、しめ縄の別名だが、昔、厄や禍を祓う結界として張っていたらしい?
先ほどの柏北観音堂脇の説明板には、
「蛇円山に住んでいた大蛇がこの峠を通って府中の七つ池の大蛇に会いに行く途中よく人間を飲み込んでいたので、この峠で大蛇を待ち伏せて退治し、爾来蛇切峠と呼ばれている」
と書かれていた。
「その後、七つ池の大蛇が怒って仕返しに人を飲み込むなどの悪事を働いたので、近くの青目寺の住職が人形に爆薬を仕掛けておいて、それを食べさせて大蛇を退治した。 七つ池には、大蛇が苦しんで草木をなぎ倒した蛇すりと呼ばれる場所があり、青目寺には今でも大蛇の頭骨が寺宝として残されている」
という話もあるそうだ。
7.柏観音寺
大坊福盛寺の奥の院だそうで、千手観音が祀られていた。
8.観音山城跡
柏北観音堂脇の説明板によれば、
「中世(鎌倉時代・室町時代)に、観音寺山を中心に付近の山々に築かれた、国内でも有数の大規模な山城群の城跡を柏城跡と呼ぶ。
柏村一帯は、現在の新市地域を中心に備後南部に勢力を持っていた宮下野守(宮氏惣領筋の一つ)の本拠地であると共に、中世の街道の関所として機能していたと考えられる。 それ故に柏城を舞台に何度も合戦が行われた」  
という。
観音寺山の山頂の宝篋印塔
応仁の乱が備後地方へも拡大し、宮氏などの国人衆は西軍方につき、東軍方の山名是豊(備後・安芸守護職)に反抗して1471年から足かけ3年に及んで戦ったが敗北。 その後、復活してこの石塔を供養の為に建立したと考えられている。
その後は、1521年に南下して来た尼子氏を迎え討つなどするも、1541年には尼子方につき、惣領家は遂に滅びてしまった。
9.甲山城跡
観音寺山の山頂から尾根伝いの東北には、山城群の一つである甲山城跡が見える。
行って見たが、木が茂っていて何も見る事が出来なかった。
尾根上には6ヵ所の郭が連続して築かれているそうだ。
10.村境の道標
柏の牛地蔵道標の所まで引き返し、そこから左折して東にある大坊福盛寺に向かう。
これが野呂往還だと言う事であったが、直ぐに舗装道路になってしまい野呂往還かどうか分からなくなってしまった。
この道標はその途中の峠の頂上にあり、昔の下安井村(西)と新山村(東)の村境だ。
11.大坊福盛寺
本尊は千手観世音菩薩。
大坊(大きな僧坊)という名前がついているだけに、大同元年(806年)に日大上人が天台宗として開基した当時は、境内に12の小寺院を有する名実共に備後の名刹だったそうだ。
後に、覚ばん上人の時に高野山直結の真言宗となり、皇室の祈願寺ともなって隆盛を極めたというが、現在は本坊が残っているのみ。
裏山の宝篋印塔
裏山の山頂はお椀状に窪んでいて、その中央に宝篋印塔があり、鬼の釜という木札が立てかけてあったが、その由来については?
大坊南の集落
境内から南に集落が見えるが、これが野呂往還の名前の由来の野呂集落らしい。
12.仁王門
福盛寺より約800m下った所にある仁王門で、ここが福盛寺の入口だとすると大坊と称するのもハッタリではないらしい。 それにしても、
「本尊の千手観音が、仏法弘通の為に天竺から岩の船に乗って、穴の海(現在の神辺、府中平野)を経て、服部大池の西の刈山に着いた。岩船はいまに残っている」
という伝承もあるそうだが、こちらは眉唾だ。

と言った具合に約10kmを歩いたが、色々な遺跡や、お寺に伝わる大蛇の頭骨や仏がインドから乗ってきた岩船などの怪しげな話を楽しませて貰った。
それにしても、肝心な野呂往還についてはその一部しか解明できなかったのが少し残念だ。  次回から、柏集落から更に北に向かって歩くらしい。 今から楽しみだ!


福山市職員の給与

2011年12月02日 | 政 治
福山市の広報誌に「人事行政の運営状況」が載っていたので、職員の給与に関する部分を読んでみた。  データ(H22.4.1現在)については広報誌などから引用した。

普通会計における一般職の正職員の人数は、教育長を除くと3,025人だそうで、
部  門
正職員
臨時職員
非常勤嘱託職員
普通会計
3,026
公営企業等会計
1,116
合  計
4,142
1,034
1,840

その給与総額(退職手当を含まない)は約189億円で、
一人当たりでは188億9,363万5,000円÷3,025人≒625万円になるそうだ。
区 分
給  料
職員手当
期末勤勉手当
合  計
2010年度126億1,461万3,000円17億6,373万8,000円45億1,528万4,000円188億9,363万5,000円

又、一般行政職の初任給やラスパイレス指数は国家公務員とほぼ同じで、
区 分
職員数
初任給
平均給料月額(平均年齢)
大学卒
1,157人
17万2,200円
33万7,600円 (42.1才)
高校卒
347人
14万0,100円
38万0,200円 (48.4才)

年   度2001200220032004200520062007200820092010
ラスパイレス指数102.9102.7102.6100.5100.299.2100.0101.1100.3100.7

期末・勤勉手当も国家公務員と同様に3.95月分支給される上に職務級により5~20%が加算され、退職手当も国家公務員と同様の基準(最高限度で59.28月分)で支給され、H22年度の実績では一人当たり平均で2,228万円支給されたという。

どうやら「国家公務員より多く貰ってないよ」「同額だよ」と主張したいらしいが、少し気になる事があった。 市役所と公営企業に勤める正職員4,142人の約70%に達する2,874人もの非正規雇用の職員の待遇だ。

彼等は、最大で1年間勤務した後に一時退職し、改めて雇用して貰わなければならないので常に雇用不安に怯えて暮らさなければならず、その上に給与面も劣悪だ。
例えば、事務補助の臨時職員は日給6,530円しかなく、仮に25日働いたとしても月給は約16万円で、期末・勤勉手当は正職員と同じ日数働いた場合にのみ支給される。
図書館に司書として勤める非常勤嘱託職員に至っては「週30時間労働、月給約14万円」と定められているので、例え正職員と同じ仕事が出来、もっと働きたいと願っても15日程度しか勤務出来ず、従って期末・勤勉手当の支給対象にはならない。

何しろ福山市の会計上では、臨時職員の給与は人件費としてではなく物件費として計上されており、人間扱いされていないのだ。
このような非正規雇用は福山市役所のみならず、今や日本の労働人口の約3分の1まで増え、年収が200万円にも満たず、常に雇用不安にさらされ、結婚も出来ない多くの若者がいる事は日本の将来にとっても大問題だ。
しかし、労働組合や企業経営者達はこれらの若者達を犠牲にする事によって生き延びようとし、国会議員達は政権争いばかりに熱中している。 このさき日本がどうなるのかと考えると心配でならない!