1,はじめに
今回も、尾本惠市著「ヒトと文明」から、歴史研究者(アマチュアの)の私が、教示された問題に関して、コラムという形で論述するが、人類学は奥行きが深く、尾本名誉教授の示唆する「問題提起」をきちんと消化して伝える自信は、現在では、ほとんどないと言ってよい。
何故か。尾本氏は、この著書を今までの研究(成果など)の「集大成」として、提示しているからだ。その広範な研究業績に関して、ビギナーの私に、その「全体像の提示」は無理なのである。
2,そこで、今回は、第7章の「先住民族の人権」の章を中心に、日本の「先住民族」とされているアイヌ民族と琉球民族に関して、論述する。なお、前者のアイヌ人は政府も「先住民族」と認定するも、後者の琉球人は、先住民族と認定されていない。
さて、「先住民族」とは、一体、何者なのか。これが前提条件として、一番重要な問題であり、「定義」である。
尾本氏の著書では、次のように、説明される。
『「国連では、ホセ・マルチネス・コーポによって、先住民族の条件として「祖先伝来の土地」、「祖先の共有」、「固有の言語」、「独特の文化」、「アイデンティティ」等が規定されている。』
続けて、『政治学や国際法の立場からすれば、先住民族は「近代国家」の成立によって生じると言われる。しかし、人類学者の私は、とりあえず、先住民族の概念をより広くとらえ、必ずしも国家の成立を前提とせずに、考えたい。』という。
そして、氏は、その具体的な歴史のケースとして、縄文人と弥生人の関係を示唆している。
つまり、氏によれば、一万数千年前から、日本列島には、縄文人が住んでいたが、約3千年前に弥生人が西日本に渡来して、水田耕作によってコメを主食とする早期の農耕文明を確立させた。(中略)この場合の先住民は、明らかに縄文人である、という。
さらに、尾本氏は、『人類学の立場から、一般的な「先住民族の概念」には大きな問題がある』として、「先住性」については、最も明らかな集団である「狩猟採集民」が一番の「先住民族」であり、国連が、狩猟採集民を、その定義では「考慮されていない」と批判している。尾本氏のその理由と共に、重大な問題提起であると、私は尾本氏の見解に同感している。
今回は、尾本氏の「問題提起」に焦点を当てているので、肝心なアイヌ民族と沖縄民族の「現在の置かれた窮地」(後者では、沖縄県は、米軍基地の占領継続で、重要な環境破壊が問題になっている)が十分に言及できなかったが、詳細は次回投稿に譲るとして、最後に「アイヌ新法」の問題に触れておく。
3,終わりに
尾本氏の著書では、「アイヌ新法と萱野茂氏の思い出」という見出しで、次のように述べている。
『1997年5月、明治32年施行の「北海道旧土人保護法」がついに廃止され、「アイヌ新法」が制定され、遅まきながら文化・民族の多様性を認める社会への一歩が踏み出された。』
不覚にも、筆者はこの「アイヌ新法」に関して、ほとんど不知であり、萱野茂元参議院議員のことはよく存じていたが、萱野氏の活躍と運動には、全く「不案内」であった。
自戒を込めて、次回「投稿」では、萱野茂氏の著書「アイヌ語が国会に響く」を読み、感想を交えて言及したい。
「護憲+コラム」より
名無しの探偵