阪神淡路大震災から30年の節目を迎え、「あいまいな喪失(ambiguous loss)」の概念に再び目を向けられるようになってきた。
ポーリン・ボス(Pauline Boss)博士が提唱したこの概念は、「はっきりしないまま残り、解決することも、決着を見ることも不可能な喪失体験」と定義されている。
災害時に近しい人が行方不明になるというように、心理的には存在しているが身体的には存在しない状況である「「さよなら」のない別れ」と、何らかの疾病・疾患などが原因で、身体的には存在しているが心理的には存在しない状況である「別れのない「さよなら」」の2つのタイプがある。
福島第一原発事故で住む場所やその土地での生業を失った人は、まさに「別れのない「さよなら」」を経験していることになるだろう。これまで生活していた場所はたしかに存在しているのに、ある日突然離れることになってしまったのだから。そしてこれまでの生活を失ってしまったのだから。
「あいまいな喪失」を経験した人たちが、それらに対処できるようになるための研究や実践も進められている。自分自身の気持ちを見つめ直して整理する、近しい人に話す、同じような体験をした人が集まる場に参加する、などが具体的な方法として挙げられることが多い。
喪失を経験した本人と周囲でともに生きる人たちがレジリエンス(困難を乗り越えしなやかに回復する力)を得ることは大切である。しかし、個人の問題にすり替えるべきではないだろう。
個人が抱える過度のストレスや不安、悩みが生み出される構造にも目を向けるべきであろう。原発事故の場合なども、どうしてあのような事故が起こったのか、今後同様の事故を起こさないために何ができるのかを考えないといけない。そして、万が一事故が起きてしまった場合の対応を用意しておく必要がある。
いじめの問題などと根幹は変わらない。被害者が勇気を出して訴え、精神的にも乗り越えるだけで終わりにしてはいけない。どうしてそのようなことが起きてしまうのかを社会全体の問題ととらえて向き合い、今すぐにいじめをやめて、二度と同じことを繰り返さないようにするほうが重要ではないか。
「護憲+コラム」より
見習い期間
ポーリン・ボス(Pauline Boss)博士が提唱したこの概念は、「はっきりしないまま残り、解決することも、決着を見ることも不可能な喪失体験」と定義されている。
災害時に近しい人が行方不明になるというように、心理的には存在しているが身体的には存在しない状況である「「さよなら」のない別れ」と、何らかの疾病・疾患などが原因で、身体的には存在しているが心理的には存在しない状況である「別れのない「さよなら」」の2つのタイプがある。
福島第一原発事故で住む場所やその土地での生業を失った人は、まさに「別れのない「さよなら」」を経験していることになるだろう。これまで生活していた場所はたしかに存在しているのに、ある日突然離れることになってしまったのだから。そしてこれまでの生活を失ってしまったのだから。
「あいまいな喪失」を経験した人たちが、それらに対処できるようになるための研究や実践も進められている。自分自身の気持ちを見つめ直して整理する、近しい人に話す、同じような体験をした人が集まる場に参加する、などが具体的な方法として挙げられることが多い。
喪失を経験した本人と周囲でともに生きる人たちがレジリエンス(困難を乗り越えしなやかに回復する力)を得ることは大切である。しかし、個人の問題にすり替えるべきではないだろう。
個人が抱える過度のストレスや不安、悩みが生み出される構造にも目を向けるべきであろう。原発事故の場合なども、どうしてあのような事故が起こったのか、今後同様の事故を起こさないために何ができるのかを考えないといけない。そして、万が一事故が起きてしまった場合の対応を用意しておく必要がある。
いじめの問題などと根幹は変わらない。被害者が勇気を出して訴え、精神的にも乗り越えるだけで終わりにしてはいけない。どうしてそのようなことが起きてしまうのかを社会全体の問題ととらえて向き合い、今すぐにいじめをやめて、二度と同じことを繰り返さないようにするほうが重要ではないか。
「護憲+コラム」より
見習い期間
