今日昼に銀座界隈で行われた表題デモに急遽参加してきました。
http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/977.html
このところ、「政治家・小澤一郎」に纏わる一連の動き、特に得体の知れない告訴人「真実を求める会」や、匿名性に守られた検察審議会が、あたかも「市民」の代表のような顔をして、いとも易々と「強制起訴」を決定し、それに対しマスコミが、その胡散臭さや不透明性を問うこともなく、「市民感覚は全ての上にある」といわんばかりに報道するありように、非常に危うさと居心地の悪さを感じ、モヤモヤし続けてきました。
そうした日々の中で、たまたま訪れた「阿修羅・掲示板」に、今日のデモの情報を見つけ、家でモヤモヤしているよりとりあえず様子を見てこよう、と出かけることにしました。
出かける間際まで迷っていたこともあって、集合場所の水谷橋公園に着いたのは、デモ出発時間の12時半近くになっていました。水谷橋公園というのは200人位しか集まれない小さな公園ですが、私が着いた時には公園は人で溢れ返っていました。
見ると「・・労組」とか「・・する会」といった団体の旗は全く無く、夫々が今日の集まりに託す思いを書いた小さな看板を手にしているという状態。個人個人が思い余って集まってきているという雰囲気に溢れていました。
これなら私の気持ちにも馴染むと思い、「様子見」から「参加」に変更。水谷橋から日比谷公園までの約1時間のデモは、ほとんどシュプレヒコールも無く、大人しく、紳士・淑女的に、(今流行の)粛々と(←主催者の表現)進み、日比谷公園で流れ解散。参加者は500~1000人とのことでした。(この数の大雑把さも、手作りデモならではで、好感が持てます。)
デモンストレーションとしてはある意味アッサリして地味なものでしたが、「官製・市民参加」が大手を振るう今日この頃、自然発生的な真の「市民参加」の姿を示す小さな一歩を踏み出すことができたような気がして、久し振りに鬱々感が晴れました。
「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/977.html
このところ、「政治家・小澤一郎」に纏わる一連の動き、特に得体の知れない告訴人「真実を求める会」や、匿名性に守られた検察審議会が、あたかも「市民」の代表のような顔をして、いとも易々と「強制起訴」を決定し、それに対しマスコミが、その胡散臭さや不透明性を問うこともなく、「市民感覚は全ての上にある」といわんばかりに報道するありように、非常に危うさと居心地の悪さを感じ、モヤモヤし続けてきました。
そうした日々の中で、たまたま訪れた「阿修羅・掲示板」に、今日のデモの情報を見つけ、家でモヤモヤしているよりとりあえず様子を見てこよう、と出かけることにしました。
出かける間際まで迷っていたこともあって、集合場所の水谷橋公園に着いたのは、デモ出発時間の12時半近くになっていました。水谷橋公園というのは200人位しか集まれない小さな公園ですが、私が着いた時には公園は人で溢れ返っていました。
見ると「・・労組」とか「・・する会」といった団体の旗は全く無く、夫々が今日の集まりに託す思いを書いた小さな看板を手にしているという状態。個人個人が思い余って集まってきているという雰囲気に溢れていました。
これなら私の気持ちにも馴染むと思い、「様子見」から「参加」に変更。水谷橋から日比谷公園までの約1時間のデモは、ほとんどシュプレヒコールも無く、大人しく、紳士・淑女的に、(今流行の)粛々と(←主催者の表現)進み、日比谷公園で流れ解散。参加者は500~1000人とのことでした。(この数の大雑把さも、手作りデモならではで、好感が持てます。)
デモンストレーションとしてはある意味アッサリして地味なものでしたが、「官製・市民参加」が大手を振るう今日この頃、自然発生的な真の「市民参加」の姿を示す小さな一歩を踏み出すことができたような気がして、久し振りに鬱々感が晴れました。
「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
ネットがこれほどの威力があったのかという現実が、事実、起こったのだ。
人びとの怒りはわたしの想像の10倍もすさまじかった。
知的で、静かな、1000人のサイレントデモだ。
美しいデモだった。
病んだ体制が破壊されるまで、つづくだろう。
そして、時代は、たぶん、まちがいなく変わるだろう。
全国から(仙台や青森から)かけつけたおおぜいの人たち及びわたしの友――朝霞の壺井さん、八王子の白子さん、入間の坂田さんに心からなる感謝を捧げたい。
2回目、3回目と3000名、一万名と増えて行く事を期待して居ります。
コメント有難うございます。お返事が遅くなりました。
結果として、まるで何も無かったようにマスコミは黙殺し、実際の政治にも何の波紋も起きていないという現実を前に、再び気持ちが沈みかかっています。
が、今回は「自分が納得するため」、次回は「一石を投じるため」、その次は「何かを変えるため」と、長期的視野で息長く続けて行くしかないのかもしれませんね。
お二人のコメントを読みながら、そんな風に思い直すことにしました。