今年(2014年)10月25日の、学生有志が肝煎りであるSASPLデモの動画から、私は、さまざまなことを考えさせられた。私は、この学生を中心とする有志について、まったく知らないから、誤解も多々、あるだろうが、関係者にはお許しを乞いたい。
彼らはおそらく、どこにでもいる今の日本人として、世界及びその中の日本の歩みを、それを研究している者もいるかもしれないが、ほとんどの者は、とくに念入りに調べ上げたり、考えたりした経験があるばかりの者でもないだろうと思う。
また、戦後日本に於ける、さまざまな混乱、動きや運動、うねり、日本も含む世界の学生や市民のありよう(有りよう)や、さま(思想や姿勢や様子)、当時の時代の空気等についても多分、あまりよくは知らないと、これも「おそらくは」と、想像する。日本の高度成長やバブル期の世相がどんなものだったかも皆目、見当もつかないだろうし、ロスト・ジェネレーションでもない。
だが、というのはむしろ適切ではなく、「それ故に」彼らは彼らなりに、「動い」た。特定秘密保護法が自分達の今と将来にどのように影響するものか、身に食い入るようにして感じ、そして生身の、自分の言葉でそれぞれ、その思いを語り、非暴力に基づき、デモ行進を護って下さる警察官の方々にも感謝の念を忘れず、デモをした。
これは、大変なことだ。こんな知恵あるデモが、他ならぬ「時代の当事者」である、しかもこの世代から出てきたことに、素直に感動する。こんなことをしたからといって、これは何も彼らの自己犠牲の思いや美学から出たものでもなければ、彼らにとって何の得になることでもなかったはずだ。ただ、アタマ(頭、頭脳)よりもカラダ(体、身体)のほうが動いた、というのが、実態に即してるのではないかと思う。
亡くなられた、作家で市民運動家の小田実氏は、「人々は、『いくら何でも、酷(ひど)過ぎる』というとき、誰からということもなく、おのがじじ、歩きはじめる」というようなことを仰っていたように記憶するが、今回の学生有志も、どのように動き始めたかはともかく、その動機、ことの発端は同じようなものであったのではないか。ともかく、彼らはカラダの動きとして、自らの思想を、サウンド・デモという形で体現した、そう感じる。
私はおよそ教養もなければナントカ主義を名乗れるほどの者でもないが、たとえば共産主義運動の、究極の目標は、共産主義社会を現出させることだ。そしてこれも非常に乱暴な言い方をすれば、それを学問体系からのアプローチというよりも、カラダの動きの面から体系思想化したのが、アナキズムと言えば、これも無理をすれば言えないこともないかもしれない。もちろん、SASPLの有志学生がアナキストなどというつもりはない。ただ、私が感じているのは、どちらも「カラダの動きの面からの言動、行動ではないか」ということだ。
作家で僧侶の瀬戸内寂聴氏は若かりし頃、内山愚童の法要の場で、傍にいた方に、「真の仏教者は、革命家なのよネ」と口にしたというハナシを聞いたことがある。また最近の、ある対談本を読むと、「小田実のようなヒーローが、今はいないのよ。あなた、なりなさいよ」と、若い対談者相手に、いたずらっぽく、冗談っぽく、ちゃっかり「そそのかしてみたり」と、ともかく氏は、その言動の光景を垣間、想像するだけでも、愉快だ。そんな氏がいま、特定秘密保護法をはじめとする日本の動きに深く悲しみ、憂慮されているのが、メディアを通して、若い私にもさまざま、伝わってくる。
だが、ほんの一部を除いて、日本の、殆どの仏教団体は、このような現在の政府の動きに、口を閉ざしたままだ。これは戦前もそうで、浄土真宗でも、現在に於いて「戦時教学」と呼ばれるものが当時形成されたが、救いは少なくとも今の浄土真宗大谷派が、現政権の施策に対し、公式に疑念を表していることだ。
別段、同派を称揚するつもりはないが、日本会議が現政権を支える一大勢力であることを考えれば、これは、現在の日本に於いて、たいへんに勇気の要ることだ。ちなみに、この日本会議の代表委員には、日本医師会会長も名を連ねていると聞く。
私は凡庸な人間ながら常々、二つの「ソウゾウ」が必要だと考える。一つは、「想像する(Imagine)」だ。理想や夢とまでは行かなくとも、「こんな世界、あったらいいな」と想像するのは、誰でもできそうなことだし、楽しいことでもある。
もう一つは、「創造する(Create)」である。つまりは、想像したことを自由に、たとえば口にしたり文章にしたり絵にかいたり音楽にしたり踊ったり、さまざま創造する、そういう場はいつの、何処の時代、国でも、人間が生きる上で必要な、酸素のようなものだ。デモ行進も、その一つだろう。
ところが、秘密保護法施行との関わり合いも考慮しながら、これからの時代を「想像」してみると、どうだろう。まず、現在に於いて既に、教育が国策の道具になる方向で、ことが進んでいるように見える。つまりは、人々が自由にものを考える(つまり、想像し創造する)精神の芽が、摘み取られようとしているのだ。これには、ネットも含む、政治や資本等と結びついたマスメディアも、加担していると言わねばならない。
そして、集会、結社、言論、表現の自由についても、これからどうなるだろう。秘密保護法一つとっても、法案検討の段階で警察をもが、「自分達にも権限を」と迫り、盛り込まれた。つまり、市民生活の隅々にまで、権力の目が光るのだ。ネットだって、安心できない。それは、たとえば中国のネット事情を観れば、容易にわかることだ。米国でも特に、9・11以降、アメリカ社会の隅々にまで政府の目が光っている、そのあたりのことはむしろ、皆様のほうがよくご存じのことだ。日本でも電子政府や、国政や地方に於ける、ネットによる投票システムを提言する者なども、またぞろ出てきているが、技術面だけから言っても、とんでもないことだ。
ニュースなどで誰もが知っているところで言うと、いま、たとえば香港でデモが起こっている。応援しているが、しかし、いつの時代の、どんな権力も、それは空怖ろしいものだ。自らの必要に応じて、どのようなことでも、やってのける。天安門事件で「動いた」学生は、いま世界に散らばって、現中国共産党政権が倒れない限り、本国に帰れないそうだと、これは友人から聞いたことだ。
この件、この友人は、ある中国人から、「裏ビデオを観ないか」と言われて何かと思ったら、同事件に於いて人民解放軍がデモの学生に対して射撃しているシーンが映ったビデオを観せられたとのこと、「確かにこれは、『裏ビデオ』だよなぁ」と笑っていた。しかし、これが笑いごとでなくなる日が来ないと、誰が言えるだろうか。これも、「想像する」ことの一面だ。
中国と言うことで言えば、先に上げた瀬戸内寂聴氏は、これも同上の対談で、「日本が中国と戦端を開いたら、日本は中国と米国の二つに分割されるわよ」と仰っていた。実際そうなるかどうかはともかく、そのように「想像する」ことが、まず大切なことなのは、言うまでもないだろう。戦前の日本人の誰が敗戦後、天皇とマッカーサーが並んで新聞上に写真として載るなどと考えたろう。とにかく、「国体を護る」ことに、「必死に(必ず、しかも何の意味もなく殺し殺される状況に)」、追い込まれた。
これも話を加えれば、たとえばある、世界をほっつき歩いていた作家が皇帝時代のイランを訪れていた時、氏は現地の、日本有数の大商社の、商社マンの人たちとも出会う。彼らは勿論、非常に有能で、それぞれにたいへんな情報通であった。ただ、氏は彼らに問う。「皇帝は、大丈夫ですかね」
氏は、イラン各地をもほっつき歩いていて、人々の間で公然とホメイニ氏の名が口にされていたのでそう尋ねたのだが、彼らは、「大丈夫ですよ。皇帝の人気は抜群だし、他に人はいないですから」。しかし、間もなくイラン革命が起こって、ホメイニ政権ができた。
彼ら非常に有能で情報量もたいへんなものだった商社マンが何故、完全に予測を誤ったか。究極のところ、それは「想像力の欠如」だったろう。この世が変わり得るもの、変わるもの、ましてや一国あるいは体制、政府が崩壊するなどということは、そもそも彼らの発想の中になかった。そういうことだ。
私が調べたところによると、先の大戦後、天皇を裁判にかけて処刑すべし、という声は、極東委員会等からマッカーサーのほうに、矢のように届いた。一方、米国は「真珠湾」直後から、日本を占領したあとどうするか、検討を重ねていた。
そして、「天皇は日本を国として纏め、立ち直らせるために必要」との、本国の意向をも受けて、マッカーサーは「うるさい」極東委員会等の声を退けようと、日本政府に「マッカーサー・メモ」を示して、日本国憲法の制定を急がせたというのが、私の調べた、現日本国憲法成立の、一面だ。
ただ、戦中戦後談と言えば、このあいだNHKのテレビを観ていたら、これも笑えないハナシがあった。ある、戦中戦後を生きた男女それぞれ一人づつの、概ね次のような、「漏らした言葉」だ。
男性のほうは、こう言う。「終戦(敗戦)になって自由になったとき、人々は口々に、こう叫んでいた。『私達は、騙されていた!』」。しかしこの男性は、こう続けるのだ。「この人々は、次に時代が変わったときにもまた、『私達は、騙されていた!』と叫ぶのだろうか」と。
女性の方は、こう呟く。「いま、目の前の神宮競技場で、あの戦争のことなど何もなかったように、東京オリンピックが開かれ、日の丸がひるがえっている。私はかつてここ同じ神宮競技場で、学徒出陣する人々を見送った。この二つの光景を、私はどう重ね合わせ、表現すれば良いのか……」
以上二つは、現政権を支持する、すべての方々に向けての言葉だ。学生有志にエールを送るのにも、苦い思いをしなければならないのが、辛い。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
P.P.G
彼らはおそらく、どこにでもいる今の日本人として、世界及びその中の日本の歩みを、それを研究している者もいるかもしれないが、ほとんどの者は、とくに念入りに調べ上げたり、考えたりした経験があるばかりの者でもないだろうと思う。
また、戦後日本に於ける、さまざまな混乱、動きや運動、うねり、日本も含む世界の学生や市民のありよう(有りよう)や、さま(思想や姿勢や様子)、当時の時代の空気等についても多分、あまりよくは知らないと、これも「おそらくは」と、想像する。日本の高度成長やバブル期の世相がどんなものだったかも皆目、見当もつかないだろうし、ロスト・ジェネレーションでもない。
だが、というのはむしろ適切ではなく、「それ故に」彼らは彼らなりに、「動い」た。特定秘密保護法が自分達の今と将来にどのように影響するものか、身に食い入るようにして感じ、そして生身の、自分の言葉でそれぞれ、その思いを語り、非暴力に基づき、デモ行進を護って下さる警察官の方々にも感謝の念を忘れず、デモをした。
これは、大変なことだ。こんな知恵あるデモが、他ならぬ「時代の当事者」である、しかもこの世代から出てきたことに、素直に感動する。こんなことをしたからといって、これは何も彼らの自己犠牲の思いや美学から出たものでもなければ、彼らにとって何の得になることでもなかったはずだ。ただ、アタマ(頭、頭脳)よりもカラダ(体、身体)のほうが動いた、というのが、実態に即してるのではないかと思う。
亡くなられた、作家で市民運動家の小田実氏は、「人々は、『いくら何でも、酷(ひど)過ぎる』というとき、誰からということもなく、おのがじじ、歩きはじめる」というようなことを仰っていたように記憶するが、今回の学生有志も、どのように動き始めたかはともかく、その動機、ことの発端は同じようなものであったのではないか。ともかく、彼らはカラダの動きとして、自らの思想を、サウンド・デモという形で体現した、そう感じる。
私はおよそ教養もなければナントカ主義を名乗れるほどの者でもないが、たとえば共産主義運動の、究極の目標は、共産主義社会を現出させることだ。そしてこれも非常に乱暴な言い方をすれば、それを学問体系からのアプローチというよりも、カラダの動きの面から体系思想化したのが、アナキズムと言えば、これも無理をすれば言えないこともないかもしれない。もちろん、SASPLの有志学生がアナキストなどというつもりはない。ただ、私が感じているのは、どちらも「カラダの動きの面からの言動、行動ではないか」ということだ。
作家で僧侶の瀬戸内寂聴氏は若かりし頃、内山愚童の法要の場で、傍にいた方に、「真の仏教者は、革命家なのよネ」と口にしたというハナシを聞いたことがある。また最近の、ある対談本を読むと、「小田実のようなヒーローが、今はいないのよ。あなた、なりなさいよ」と、若い対談者相手に、いたずらっぽく、冗談っぽく、ちゃっかり「そそのかしてみたり」と、ともかく氏は、その言動の光景を垣間、想像するだけでも、愉快だ。そんな氏がいま、特定秘密保護法をはじめとする日本の動きに深く悲しみ、憂慮されているのが、メディアを通して、若い私にもさまざま、伝わってくる。
だが、ほんの一部を除いて、日本の、殆どの仏教団体は、このような現在の政府の動きに、口を閉ざしたままだ。これは戦前もそうで、浄土真宗でも、現在に於いて「戦時教学」と呼ばれるものが当時形成されたが、救いは少なくとも今の浄土真宗大谷派が、現政権の施策に対し、公式に疑念を表していることだ。
別段、同派を称揚するつもりはないが、日本会議が現政権を支える一大勢力であることを考えれば、これは、現在の日本に於いて、たいへんに勇気の要ることだ。ちなみに、この日本会議の代表委員には、日本医師会会長も名を連ねていると聞く。
私は凡庸な人間ながら常々、二つの「ソウゾウ」が必要だと考える。一つは、「想像する(Imagine)」だ。理想や夢とまでは行かなくとも、「こんな世界、あったらいいな」と想像するのは、誰でもできそうなことだし、楽しいことでもある。
もう一つは、「創造する(Create)」である。つまりは、想像したことを自由に、たとえば口にしたり文章にしたり絵にかいたり音楽にしたり踊ったり、さまざま創造する、そういう場はいつの、何処の時代、国でも、人間が生きる上で必要な、酸素のようなものだ。デモ行進も、その一つだろう。
ところが、秘密保護法施行との関わり合いも考慮しながら、これからの時代を「想像」してみると、どうだろう。まず、現在に於いて既に、教育が国策の道具になる方向で、ことが進んでいるように見える。つまりは、人々が自由にものを考える(つまり、想像し創造する)精神の芽が、摘み取られようとしているのだ。これには、ネットも含む、政治や資本等と結びついたマスメディアも、加担していると言わねばならない。
そして、集会、結社、言論、表現の自由についても、これからどうなるだろう。秘密保護法一つとっても、法案検討の段階で警察をもが、「自分達にも権限を」と迫り、盛り込まれた。つまり、市民生活の隅々にまで、権力の目が光るのだ。ネットだって、安心できない。それは、たとえば中国のネット事情を観れば、容易にわかることだ。米国でも特に、9・11以降、アメリカ社会の隅々にまで政府の目が光っている、そのあたりのことはむしろ、皆様のほうがよくご存じのことだ。日本でも電子政府や、国政や地方に於ける、ネットによる投票システムを提言する者なども、またぞろ出てきているが、技術面だけから言っても、とんでもないことだ。
ニュースなどで誰もが知っているところで言うと、いま、たとえば香港でデモが起こっている。応援しているが、しかし、いつの時代の、どんな権力も、それは空怖ろしいものだ。自らの必要に応じて、どのようなことでも、やってのける。天安門事件で「動いた」学生は、いま世界に散らばって、現中国共産党政権が倒れない限り、本国に帰れないそうだと、これは友人から聞いたことだ。
この件、この友人は、ある中国人から、「裏ビデオを観ないか」と言われて何かと思ったら、同事件に於いて人民解放軍がデモの学生に対して射撃しているシーンが映ったビデオを観せられたとのこと、「確かにこれは、『裏ビデオ』だよなぁ」と笑っていた。しかし、これが笑いごとでなくなる日が来ないと、誰が言えるだろうか。これも、「想像する」ことの一面だ。
中国と言うことで言えば、先に上げた瀬戸内寂聴氏は、これも同上の対談で、「日本が中国と戦端を開いたら、日本は中国と米国の二つに分割されるわよ」と仰っていた。実際そうなるかどうかはともかく、そのように「想像する」ことが、まず大切なことなのは、言うまでもないだろう。戦前の日本人の誰が敗戦後、天皇とマッカーサーが並んで新聞上に写真として載るなどと考えたろう。とにかく、「国体を護る」ことに、「必死に(必ず、しかも何の意味もなく殺し殺される状況に)」、追い込まれた。
これも話を加えれば、たとえばある、世界をほっつき歩いていた作家が皇帝時代のイランを訪れていた時、氏は現地の、日本有数の大商社の、商社マンの人たちとも出会う。彼らは勿論、非常に有能で、それぞれにたいへんな情報通であった。ただ、氏は彼らに問う。「皇帝は、大丈夫ですかね」
氏は、イラン各地をもほっつき歩いていて、人々の間で公然とホメイニ氏の名が口にされていたのでそう尋ねたのだが、彼らは、「大丈夫ですよ。皇帝の人気は抜群だし、他に人はいないですから」。しかし、間もなくイラン革命が起こって、ホメイニ政権ができた。
彼ら非常に有能で情報量もたいへんなものだった商社マンが何故、完全に予測を誤ったか。究極のところ、それは「想像力の欠如」だったろう。この世が変わり得るもの、変わるもの、ましてや一国あるいは体制、政府が崩壊するなどということは、そもそも彼らの発想の中になかった。そういうことだ。
私が調べたところによると、先の大戦後、天皇を裁判にかけて処刑すべし、という声は、極東委員会等からマッカーサーのほうに、矢のように届いた。一方、米国は「真珠湾」直後から、日本を占領したあとどうするか、検討を重ねていた。
そして、「天皇は日本を国として纏め、立ち直らせるために必要」との、本国の意向をも受けて、マッカーサーは「うるさい」極東委員会等の声を退けようと、日本政府に「マッカーサー・メモ」を示して、日本国憲法の制定を急がせたというのが、私の調べた、現日本国憲法成立の、一面だ。
ただ、戦中戦後談と言えば、このあいだNHKのテレビを観ていたら、これも笑えないハナシがあった。ある、戦中戦後を生きた男女それぞれ一人づつの、概ね次のような、「漏らした言葉」だ。
男性のほうは、こう言う。「終戦(敗戦)になって自由になったとき、人々は口々に、こう叫んでいた。『私達は、騙されていた!』」。しかしこの男性は、こう続けるのだ。「この人々は、次に時代が変わったときにもまた、『私達は、騙されていた!』と叫ぶのだろうか」と。
女性の方は、こう呟く。「いま、目の前の神宮競技場で、あの戦争のことなど何もなかったように、東京オリンピックが開かれ、日の丸がひるがえっている。私はかつてここ同じ神宮競技場で、学徒出陣する人々を見送った。この二つの光景を、私はどう重ね合わせ、表現すれば良いのか……」
以上二つは、現政権を支持する、すべての方々に向けての言葉だ。学生有志にエールを送るのにも、苦い思いをしなければならないのが、辛い。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
P.P.G
