この5月に、三女がスペインで結婚式を挙げました。どうしてそんな遠くで。。。 それはパートナーがスペインの人だからです。
大学を卒業してから、仕事やら留学やら6年間はスペインに入り浸っていましたので、
自然といえば自然の成り行きです。この6年の間、娘が遠くで暮らしていても寂しいと
思ったことはありませんでした。だって、いずれは帰国することが分かっていたからです。
それに、今はインターネットのおかげでインフラさえ整っているところなら
地球の裏側にいようと隣の部屋にいようと同じようにネットで繋がることができ
顔を見て話をすることもできます。
でも、結婚式を終えて帰国するとき、初めて寂しいと感じました。
お相手は、ウイリアム王子のような雰囲気の若者で、優しさもユーモアもある好青年です。
そのご家族もとても暖かい人たちで、おちゃめなお父さん、話好きなお母さん、サッカー選手の弟
そして、お祖母さん、従兄弟、おじさん、おばさん。。。皆、陽気で楽しい人たちです。
娘は、現地で就職しパートナーも得、温かい家族に迎えられ、120パーセント幸せそうでした。
娘を残して日本に帰国する時、これっぽっちも不安はありませんでした。だからこそ尚更
私の心はある種の寂しさを感じたのです。あ~、娘はスペインの文化に絡め取られたと。。。
親心って我儘なものですね。でも、娘はしっかりと自分の居場所を探し当てたと思います。
スペインは旅行で訪れたことはありましたが、今回は旅人の視線ではなく、娘の第二の母国として
訪れました。ラテンのノリは凄いです。そして、彼らの挨拶のスタイルがとても気に入りました。
男性同士はしないのですが、男性と女性、そして女性同士は、挨拶の時、ハグだけでなく、
両方の頬にチュッ、チュッとキスらしきものを交わします。これはなかなか親密感を表現するのに
いいです。6日間この習慣に慣れ親しむと、お辞儀を交わすタダの挨拶は、殺風景な感じがするから
不思議です。
20パーセントを越える高い失業率を抱えながらも、ラテンの人々は大らかです。
昼の12時に始まった教会での結婚式を終えるとパーティ会場に移動です。
ここの中庭でまずはカクテルパーティ。参加者がそれぞれによもやま話と自己紹介。
娘が初めてスペインでボランティアをした時以来の友人だという素敵な女性たちに会い、
彼女たちは遥遥フランスから駆けつけてくれたとか。空はあくまで五月晴れ。清々しい時間でした。
それからおもむろに食事会。
そして、午後六時頃、待ちに待ったダンスパーティの始まりです。
まずは、主役のふたりが踊り、しばらくすると周りの皆が踊りだします。それもバリバリラテン系。
静かなのは最初だけ。若者たちだけでなく、足腰の達者な人は老若男女踊り好き。それも上手!
日本で踊る機会などなかった私はあっけらかん。。。 これが延々と真夜中まで続きました。。。
結婚式という特別な場合だということを差し引いても、全てに大らかで気さくで陽気な文化に触れて、
やっぱり世界は広いと改めて実感。新郎の叔父にあたる人は、フランコ独裁体制下で一時南米に逃れていたと聞き
大変な時期も乗り越えてのことなのだと感慨深い思いをしました。
町に出れば、カラフルなポスト。
世界遺産(セゴビア旧市街の水道橋)とも隣り合わせ。
レアルマドリッドのスタジアムには、ハイテクを駆使した見事なサッカー博物館があり、サッカー好きの人には
たまらないでしょう。
これは、私たちが宿泊したコルメナルビエホ唯一のホテル。
新郎の幼馴染の牧場にも案内してもらいました。父から受け継いだという牧場で、見渡す限りが彼の土地だそうです。
牧場といっても乳牛ではありません。スペインですから闘牛です。闘牛の群れの中で彼が命じると牛の群れが
移動するのは圧巻でした。
彼のお父様は彫刻家で、広い居間に沢山の作品が飾ってありました。もう亡くなられているので、
作品の管理も彼の役目だそうです。このドンキホーテもお父様の作品です。
久しぶりのヨーロッパだったので、帰りに2泊ほどローマに寄りました。
バチカンの三日月が迎えてくれました。
なんだか現実離れした11日間。あっという間に過ぎ帰国の途。時間に追われ、やらなければならないことに追われ、
やりたいことをいつもいつも後回しにしている日々の生活が馬鹿らしく思えてきました。「人生は楽しまなくっちゃ!」
というラテンの哲学が私の心の中で芽生え始めています。