こもれび

悩み多き毎日。ストレス多き人生。でも、前向きに生きていきたい。だから、自然体で・・・

ロベール・ドアノー

2020年02月20日 | Weblog
写真が好きな人であれば、ロベール・ドアノーを知らない人はいないだろう。

「伝書鳩が地図を読むことを覚えたとしたら、きっと方向感覚を失ってしまうだろう。自分にとって大事なことは、大きな好奇心をもってパリの雑踏の中を自由に歩くことだ。」

そう語るドアノーはパリ以外はどこにも旅行したことがないらしい。生涯をパリの街角の風景を写し取ることに捧げ、人々に向けられた彼の眼差しはとても優しい。

横浜そごう美術館でドアノーの写真展が開かれていると知り、早速行ってみた。「恋人」「街路」「子供達」「酒場」「芸術家」の5つのセクションに区分されていた。すべてモノクロの写真は皆すべて上品なタッチとユーモアにあふれていた。ここにある写真は京都現代美術館「何必館(カヒツカン)」のコレクションだそうだ。この美術館の館長梶川芳友氏は、「ドアノーの写真にはカメラという機械を全く感じない。ドアノー自身の一瞬の瞬きであるように思われる。」と語っているが、写真を前にすると本当にそう感じる。


この写真が一番好きだ。「パビヨンの子供」というタイトルが付けられていた。何気なく見ていたら通り過ぎてしまったかもしれない写真だが、これは1945年に撮られたもので、第2次世界大戦の傷跡が生々しいパリの街に一人の天使が降り立ったと説明がされていた。どんな悲惨な状況でも、子供たちの笑顔は大人を勇気づけてくれる。


またこの写真はユーモアにあふれている。犬の散歩をしている紳士が絵描きのヌードの絵を覗いている。よく見ると画家の向こうのベンチに女性の足が見えている。カメラを向けるドアノーを見つめるフォックステリアの表情も面白い。

私の拙い説明では何とももどかしいが、是非、会場でドアノーの温かいまなざしを感じてほしい。「コダック賞」「ニエプス賞」などを受賞し、1994年4月にパリで亡くなっている。

自由人の難しさ

2020年02月17日 | Weblog
昨年3月末で退職し、晴れて自由人の身になってもうすぐ1年になろうとしている今、つくづく自由人でいることの難しさを感じている。どのように説明したらよいのか言葉に詰まる。行きつくところ、自己管理の難しさというところだろう。

昨年の今頃、周りの人たちに、「4月から自由人だ! 嬉しい~」と誰彼構わず吹聴していたら、ある先輩がアドバイスをくれた。「自由人になったら、『きょうよう』と『きょういく』がとても大事だよ」と。「??」という顔をした私に、彼は説明してくれた。教養と教育ではない。「今日用がある」つまり、きょうよう。「今日行く所」つまり、きょういく。仕事に行かずともよくなるのは嬉しいが、することが何もなくなると酒の味も落ちるというのだ。なるほど。。。と納得したが、それは男性の話であって、家事など諸々の日常事をこなす女性の場合は当てはまらないんじゃないかと、その時は深く考えもしなかった。

退職後7か月頃までは、在職中にはできなかった長期旅行やいろいろなことがスケジュールを埋め、子育て中の娘たちからは気軽にSOSが入り、仕事中より忙しい時期もあった。が、切迫流産の危機を乗り切った次女の出産も無事に済み、産後のお手伝いも済んだら、手帳のスケジュール欄が真っ白になった。日々の雑用はあるが、なんだかとても物足りなく感じた。さぼろうと思えば、思いっきり何でもさぼれる。そうすると日々の生活が不規則になる。ということは健康にも良くない。つまるところ緊張感に欠けるのだ。人に厳しく、自分に甘い私は、このままではよくない方向に転げ落ちてしまうと感じ始めた。退職したら毎日運動をして、勉強をして。。。などと計画していたが、実行に移すのはかなりの意志力と情熱が必要であることを悟った。

ということで、現在のところ、自由人を謳歌するどころか、自由人の難しさを感じている。興味半分でなんにでも手を出し、すぐに飽きてしまう私は、今後10年を見据えて、本当に自分が情熱を傾けられるものを探す必要に迫られている。


多摩川散策

2020年02月04日 | Weblog
1月の中頃から風邪をこじらせ気管支炎を患っていた。熱はないものの薬のせいか体は怠く前向きな気持ちになれずにいた。3週間目に入り大分回復してきたので、リハビリを兼ねて多摩川の土手を散策してきた。六郷土手で電車を降りて多摩川駅まで歩いてみた。

まず驚いたのは昨年の台風の傷跡。河原敷きに泥やゴミが蓄積されているところがそこかしこにあり、かなり背の高い木の枝に藁くずやビニール袋などが沢山ぶら下がっていた。こんなところまで水嵩が上がってきたんだとビックリ。土手沿いの住民の方たちはどんなにか怖い思いをされただろうと改めて感じた。やはり現場に足を運ぶということはこういうことかと納得した。ニュースで聞いているだけではここまでの実感は湧かなかった。

あれから4か月近くがたち、今日の多摩川はいたって平和に流れていた。


そんな多摩川を眺めているご老人がいた。沢山のカモメを友人にして何を語っていたのだろう。何を見つめていたのだろうか。

今日は晴天を期待していたが、生憎空は厚い雲に覆われてきた。広く市民に開放された河川敷では、ゴルフやテニスを楽しんでいる人の姿が見られた。土手沿いの道では、たくさんの人がジョギングや散歩を楽しんでいる。気管支炎で仕事以外は外出を控え、ほとんど引きこもり状態だった私にとっては、多摩川の広々とした景色は久しぶりに気持ちをリフレッシュしてくれた。


ゴールの多摩川駅の傍に浅間神社があったので寄ってみた。境内から河原を眺めることができ、もう少し天候が良ければ富士山の雄姿も拝めるらしい。こんなところにも小さなビュースポットがあったなんて、ちょっと嬉しくなった。多摩川のお陰で気持ちが少し前向きに変わった一日だった。