こもれび

悩み多き毎日。ストレス多き人生。でも、前向きに生きていきたい。だから、自然体で・・・

歌われなかった海賊へ

2024年06月29日 | Weblog

読書メモ
タイトル:歌われなかった海賊へ
作者:逢坂冬馬
出版社:早川書房

第二次世界大戦末期のドイツ。ナチの体制に疑問を持った若者4人が、体制を打ち倒すというような高邁な思想のためではなく、ただ自分たちの好きなように生きたいという理由で反体制的な行動をとるようになる。国策で禁じられている徒歩旅行を実行していく中で、その若者たちは山の奥に設置された強制収容所を発見する。そして、ある計画を実行するのだが、一般の人々は、そこに収容所があることを知りつつも冷淡な態度をとる。普通の善良な市民たちがである。この辺の人々の心情が手に取るように描けていると思う。

作品は現代から始まるのだが、一気に1944年にジャンプ。このプロットの構成がなかなか興味深い。そして扱っている問題は、今の時代にも通じるものだ。民族、ジェンダー、LGBTQ等をどう乗り越えていくのか。

逢坂冬馬のデビュー作「同志少女よ、敵を撃て」は、ページを繰る手ももどかしいほど衝撃的な作品であった。その冬馬の作品ということで手に取ってみた。やはり、一気に読んでしまった。おかげで翌日は寝不足~~

「歌われなかった海賊へ、歌わなかった住人より」

歩け~歩け~

2024年06月13日 | Weblog

歩くのが好きだ。シンプルに、歩くのが好きだ。頂上を踏まなくでも構わない。素晴らしい景色が見られなくても大丈夫。歩くことそのものが好きだから。

百名山を目指して山に登る人がいる。それはそれでいい。その人なりの登山の目標なのだろうから。私はピークを踏まなくても一向にかまわない。森の中を山の中を歩ければ、それが幸せ。お天気がよくて最高の景色が眺められれば、それは儲けもの。ラッキーだ。でも、景色がなくとも、森の木々たちの中を歩くだけで満足できる。風の音に耳を澄まし、鳥たちと会話し、山道に咲く名も知らない花々に心が癒される。静かに一人で歩くのがいい。仲間と歩くのも、それはそれで楽しいが、少し姦しい。田淵行男や串田孫一の山のエッセイに感化されたせいかもしれない。一人静かに山の懐に抱かれるのがいい。本当の山歩きの楽しみは、無心に歩くことではないだろうか。

昔、編み物に凝ったことがあった。産まれてくる子供のためにケープを編んだり、夫のセーターを編んだり。出来上がった時の喜びはとても大きく、充実感もあった。その時、友人に編み物が大好きな人がいた。彼女は編むこと自体が楽しくて、一目一目と編んでいくのが喜びだと言った。当然、作品は溜まっていくので、それを適当な人にあげてしまう。当時の私は、誰が着るのかわからないセーターを編む気にはなれなかった。子供が、夫が着るから一生懸命に編んだ。

今の私は、彼女の気持ちがよくわかる。ただただ、編むのが好きだった彼女。ただただ、歩くのが好きな私。槍ヶ岳に登った、次は穂高だと思う人たちの気持ちは、子供のセーターの次は夫のセーターだ、と思ったのと同じ気がする。目標は大事。でも、ただ好き!というのは、やっぱりいい。

5月は新緑が本当に心を打つ季節。でも、私はまるまる1ヶ月、自宅入院だった。帯状疱疹が長引いて、ほとんど何もできずに5月が終わってしまった。右脚の坐骨神経に沿って発症したため、今でもまだ、右脚に違和感がある。今月いっぱいは我慢、我慢。晴れて、森の中を思いっきり歩ける日が早く来ますように!


千葉の鋸山 初登り

2024年01月13日 | Weblog

千葉の鋸山に行ってきました。小学校の遠足以来。初心者向けの山だよね~と思って、大人になってからは行ったことがありませんでした。ところがどっこいなかなか面白い山です。



関東ふれあいの道を登るにつれ、次々に現れる凄い景色。


ラピュタの壁に見惚れながら、最後の地獄の石階段を登るとご褒美が待っていました。地球の丸さが感じられる展望台! ただただ見とれていました。



帰路は産業遺産の車力道。「車力」とは、男たちが切り出した80キロほどの石を、荷車で麓まで運んだ女たちのこと。この車力たちが通った道が車力道です。女性たちは、1日に3往復もして240キロの石を運んだんですって。この石は横浜港の護岸用石材としても使われていたそうな。採石作業は1980年代まで行われていたようです。


フェリーを使うとここ横浜からも近い。また行きたいなぁ。


その年になって知る思い

2023年08月18日 | Weblog

私が40代の頃、何人かでお茶を飲みながら、たわいもない話をしていました。その中に、某大学で社会学を教えていた70代の教授がおられました。曰く、「一日の終わりに、美味しいつまみで美味しいお酒がのめれば、僕は幸せです。」まだ若かった私は、それを聞いて、「なんとつまらない人生なんだろう」と思ったことを覚えています。

昨晩、暑い一日を終えて、夕飯の時に冷たいビールとお気に入りのおつまみを頬張りつつ、ふとあの時のことを思い出しました。もうすぐ70になろうとする今の私には、あの時の教授の気持ちがわかるような気がしました。

その年にならないと分からないことはたくさんあるのだなと改めて思います。

夜ともなるとコオロギが鳴きだし、森に行けばヒグラシが夏の終わりをつげています。猛暑の夏も秋に向かって歩き出したようです。季節が移ろい、人生もまた。。。。。


美術館巡り

2023年08月17日 | Weblog

東京都美術館でマティス展が開催されているというので、上野まで出かけた。個人的には、印象派以降の絵画にはあまり興味がないので、パスしようと思っていたが、友人がとても良かったというので、出かけてみる気になった。



マティスは「強烈な色彩によって美術史に大きな影響を与えたフォービズム(野獣派)の中心的な存在として活動したのち、絵画の改革者として、84歳で亡くなるまでの生涯を、感覚に直接訴えかけるような鮮やかな色彩とかたちの探求に捧げました。」とある。確かに巨匠なのだろうが、ぐるりと一回りして1時間ぐらいで切り上げた。

その足で、日本橋高島屋で開催されている「高野光正コレクション・発見された日本の風景」を観に行った。これがとても素晴らしかった。今まで見たこともない絵がずらりと勢ぞろいしていた。作者の名前もほとんど初めて知った。それもそのはず、ほとんどの作品は専門家にとっても、その存在が明らかになったのは、つい最近の事なのだそうだ。

高野光正は、半生をかけて海外でこれらの絵を収集し、日本に持ち帰ったそうだ。そのほとんどは、明治のころの風景や人々の姿で、日本人画家のみならず、当時、日本を訪れた外国人画家たちの手によるものもたくさん含まれている。中でも幻の画家と言われていて、どのような人物かわからなかった「J. Kasagi」の作品が11点展示されていて、これが圧巻だった。高野氏は、絵に惹かれて収集したものの、J. Kasagi については何もわからなかった。その後、電話帳片手に笠木姓の家に、片っ端から連絡を取り子孫を探し当てたと言われている。

私が入場しようとした時、ちょうどギャラリートークが始まる時間で、京都国立近代美術館主任研究員の梶岡氏の興味深いお話が聞けたのもラッキーだった。

日本橋を後にして、今度は有楽町。私の大好きな出光美術館で、「しりとり日本美術」というのが開催されていることを知り、訪ねてみた。酒井抱一の風神雷神図屏風から始まり、葛飾北斎の春秋二美人図等、「ふたつでひとつ」というテーマが見ごたえがあった。俵屋宗達伝の龍虎図やら小杉放菴の梅花小禽なども良かった。他にもテーマがあったが、個人的には「ふたつでひとつ」の章で満足した。

暑い暑い毎日だが、寒いくらいの美術館で1日中、楽しい時間が過ごせた。♪~




日本人のための憲法原論 by 小室直樹

2023年08月10日 | Weblog

タイトルを見た時に、三歩後ずさりした。でも、音訳の依頼を受けているので断ることもできず、声を出して読み始めた。目の不自由な方のために図書館でボランティアをしているためだ。ところがどうだろう。読み始めたら面白い! 1度ではもちろん読み切れないが、続きは別のボランティアさんが読むことになる。

そこで帰宅して早速、図書館に予約をし、自分で最初から読み始めた。500ページ近くある大作だが、講義形式をとっていて、学生との対話で話が進む。そのため難しい内容もとても分かりやすい。

憲法は誰のために書かれた法律か? 決して国民のために書かれたものではない。では、刑法はどうだろう。刑法に違反できるのは、裁判官だけである。つまり、刑法は裁判官に対する命令書ということになる。目から鱗のオンパレードだ。

また、ヨーロッパに端を発した民主主義や資本主義が、なぜ、中東諸国や中国、アジアでなかなか根付かないかもよく理解できる。そして、現在の日本国憲法も民主主義も死んでいる! 

中世から現代までの歴史をざっくりと紐解きながらの講義は、大変興味深かった。学生の頃にこのような講義を受けていたら、もっと勉強に身が入ったのではとつくづく思う。(自分の不勉強を他人のせいにしてはいけないね。。。)

「教科書が教えない民主主義と憲法」実に興味深い講義でした!
 



木島櫻谷

2023年07月24日 | Weblog

木島櫻谷(このしま おうこく)。知らない名前でした。泉屋博古館東京で「木島櫻谷」の絵が展示されているというので出かけてみました。素晴らしいものばかりが並んでいました。

近代の京都画壇を代表する画家だそうで、写生をこよなく愛し、画帳も展示されていましたが、それはそれは見ごたえのあるものでした。書も達筆で一つ一つの画帳に丁寧に記録されている文字も見事なものでした。

今回の展覧会では、屏風等、大作がおおく、圧倒されました。動物画で名をはせたそうですので、確かに馬やキツネの毛並みは、触ればふわふわとした感触がありそうでした。でも、今回のテーマは「山水」。壮大な景色、とりわけその中に描かれた大気の様子が並外れていました。


今までどうして気が付かなかったのだろう。絵にも人柄にもひとめぼれです。


涼を求めて 霧ヶ峰

2023年07月17日 | Weblog

猛暑続きの毎日。東京八王子市で39.1度。この夏の最高値。もうたまらん。ということで、避暑に出かけた先は霧ヶ峰。標高1925メートルとあって、朝7時の駐車場では上着を羽織るくらい涼しかった。八島湿原で、ハクサンフウロウ、シモツケソウ、カラマツソウ、ウツボグサ等を堪能して車山山頂に向かった。

車山肩辺りまでは曇天だったが、一面のニッコウキスゲに癒された。ノアザミに戯れるオレンジ色の蝶々にもホッコリした。


今日は連休中日とあって、車山肩の駐車場には長蛇の列。あれでは、駐車できるまでには日が暮れるかも、と他人事ながら心配になる。

急坂を一登りして山頂に着く頃は、雲が強風に飛ばされて青空がのぞいてきた。登山指数は「C」だったが、思い切って来てよかった。残念ながら富士山も八ヶ岳の雄姿も雲の中だったが、山頂の神社でお参りを済ませ、10時のおやつを食べ、下山開始。

すっかり晴れ渡った夏空を気持ちよく眺めながら、八島湿原の鎌ヶ池まで下りてきた。

久しぶりの山歩きだったせいもあり、本当に気持ちが良かった。肺の中のよどんだ空気が一掃されたような心持だ。やっぱり山歩きは最高!




太陽のかけら

2023年06月26日 | Weblog

谷口けい。世界で女性初のピオレドール受賞者のクライマー。2015年に北海道で帰らぬ人となりました。その谷口さんの人生について、大石明弘さんが本にしました。「太陽のかけら~ピオレドールクライマー谷口けいの青春の輝き」です。

高校生までは大人しく目立たない、どちらかと言えば暗い感じの女の子が、どのような道のりを経て、周りのみんなに一歩踏み出す勇気を与えられる明るい太陽のような人になっていったのか。山には興味がない人にも、魅力的な1冊です。

見習いたい

2023年06月22日 | Weblog

知人が庭の梅の木から38キロの実を収穫し、季節は確実に移り変わっていると感慨にふけっていた。38キロの梅の実を梅干しにしたり、梅酒にしたり忙しいことだろう。

それにしても植物は凄い。春になれば花を咲かせ、秋には実を結ぶ。平和で忍耐強く、自然の摂理に逆らわない。人間もかくあるべしと思うのは私だけだろうか。。。

書は体をあらわす

2023年04月12日 | Weblog

--今日のひと言--

「鏡にはうつらぬひとのまごころも さやかに見ゆる水茎のあと」
                       明治天皇御製

*水茎とは、筆跡のこと。

現代は、報告書はもちろんのこと、年賀状も手紙もPCで書くようになってしまい、手書きの文字を書く機会が格段に減っている。でも、久しぶりに友人から手書きの葉書などをもらうと、その人の顔まで心に浮かび、とても暖かな気持ちになる。

エゴン・シーレ展

2023年03月17日 | Weblog


4月9日(日)まで、東京都美術館で「エゴン・シーレ展」を開催している。初めて聞く名前だった。それもそのはず、1950年代からレオポルド夫妻によって数々の絵が収集され、21世紀になってレオポルド美術館で展示されるまで、あまり評価されなかった画家だそうだ。

エゴン・シーレは1890年ウィーンに生まれ、28歳の時スペイン風邪で命を落とした短命の天才画家と言われている。16歳の若さでウィーン美術アカデミーへ進学し、グスタフ・クリムトに「僕には才能がありますか?」と聞いた際、クリムトが、「才能があるかだって! 君には才能がありすぎる!」と答えたという逸話が残っているそうだ。

1906年にシーレはこのウィーン美術アカデミーに入学するが、その翌年と翌々年にアドルフ・ヒトラーが受験し不合格となっている。もし、ヒトラーがウィーン美術アカデミーに合格していたら、あの一連の悲惨な出来事はなかったかもしれないという話は有名だ。

今日は平日だというのに、かなり混んでいてなかなかの人気を博しているようだ。印象派以降の絵画にはあまり興味がない私だが、エゴン・シーレという画家についていろいろ知ることができ興味深い展覧会だった。




諏訪敦 眼窩裏の火事

2023年02月10日 | Weblog

2023年2月26日まで、府中市美術館で「諏訪敦」の展覧会が開かれている。どれもこれも精密に描きこまれている。これまで写真のような絵を見る機会はあり、その度に、なぜこれは「絵画」でなくてはいけないのだろうと思ったことが何度もあった。膨大な時間を費やして描かずとも、写真ならば一瞬で切り取れるのにと。

でも今回、諏訪敦展をみて、「描く」ということの意味が少し分かったような気がした。彼の祖母をテーマにした<棄民>シリーズは圧巻だった。祖母は太平洋戦争終結直前の1945年の春に満州に渡るも8月にはソ連兵に捕らわれ、難民収容所に送られる。そして、その冬に栄養失調と発疹チフスにより亡くなってしまう。

この祖母を描いているのだが、膨大な資料を読み込み祖母のたどった足取りを追体験し、それを「描く」のだ。まず、旧満州の雪の大地に横たわる若く美しい祖母の裸婦像を描き、それを徐々にやせ細らせ(栄養失調のため)そこにチフスの症状を描き加えていくのだ。そうして最終的には、朽ち果てた女性の姿が大地に捨てられている。なんという膨大な時間と労力を費やして描かれた絵であろうか。ただただ茫然と立ち尽くしてしまった。

他の絵もそれぞれにストーリーがあり、見ごたえのある展覧会であった。


雲ノ平と高天原温泉

2022年08月10日 | Weblog

行ってきました。念願の雲ノ平と高天原温泉。



折立--太郎平小屋--薬師沢小屋(泊)
薬師沢小屋--雲ノ平--高天原温泉--高天原山荘(泊)
高天原山荘--岩苔乗越--鷲羽岳--三俣山荘(泊)
三俣山荘--三俣蓮華岳--双六岳--双六小屋--鏡平山荘--新穂高温泉

1日目に雨に降られるも、めげずに薬師沢小屋まで。途中でキヌガサソウが雨に濡れて素晴らしくきれいに咲いていた。写真では見たことがあったが、実際に目にするのは初めて。嬉しかった。この日一番のご褒美。



2日目は晴天。憧れの雲ノ平。アラスカ庭園からは、水晶岳、黒部五郎岳、笠ヶ岳、槍ヶ岳、そして薬師岳と百名山のオンパレード。雲ノ平山荘のテラスで、素晴らしき山々を眺めながら静かにコーヒーを楽しむ。なんという贅沢!



高天原では野趣あふれる素晴らしい温泉に浸かり、しばし疲れを忘れる。



3日目は高天原からのつらい登りを経て、鷲羽岳に。さすがの百名山とあって、眺めも山容も一級品。三俣山荘の背後にどっしりと座っている。ここからの槍ヶ岳の眺めも最高。



さて、最終日。三俣蓮華岳と双六岳からの絶景を堪能した後は、長い長い下り。これまでの疲れが一度に押し寄せてきた感があったが、頑張るしかない。



新穂高温泉からタクシーで平湯温泉まで行き、ここでひと汗流し、あとは高速バスで新宿まで熟睡。夢のような4日間。今度は何時来られるだろうか。