こもれび

悩み多き毎日。ストレス多き人生。でも、前向きに生きていきたい。だから、自然体で・・・

唐松岳・五竜岳

2021年08月19日 | Weblog

7月の末に山友と唐松・五竜岳に行ってきました。八方池山荘に宿泊し、1日目は高山植物の観賞会。ニッコウキスゲ、カラマツソウ、マツムシソウ、ゴゼンタチバナ、ハクサンフウロ、シナノキンバイ、ヨツバシオガマ、ハクサンコザクラ、アズマギク、などなど。


シモツケソウも素敵なピンクで輝いていました。


翌朝は4:30の出発です。八方池に着いたのが6時ごろ。写真でしか見たことがなかった景色が広がっていました。白馬三山の姿がくっきりと池に反映されていたのです。
朝一番のゴンドラで上がってきた人たちは、八方池に着いたのが8時ごろで、その頃は山々はガスの中だったそうです。やっぱり山は早朝に限る! ここでゆっくり朝ご飯をすませて、唐松岳に向かって出発。

時々ガスがかかったけれど、雪渓を眺めながら唐松をめざしました。

唐松岳頂上山荘はコロナで宿泊は受け付けておらず、売店だけがあいていました。ザックをデポして頂上までひと登り。山荘まで下りてきてひと息ついたら、さて、いよいよ五竜岳を目指します。ここから五竜山荘までは気が抜けません。なかなかの岩場のスリル。下を見ないで前だけを見て進みました。大黒岳を過ぎたころからは普通の山道になり、五竜山荘が見えた時は思わず顔がほころびました。途中で親子の雷鳥にも出会えてラッキー。


当初、五竜岳登山は明朝にという計画でしたが、明日はどうやら雨模様。時間もまだ1時なので、昼食を済ませてからアタックすることにしました。登り1時間、下り40分。なかなか手ごわい山でした。スリル満点。片側が切れ落ちているのに鎖がついていないところを登るときに、帰りはどうやって降りるのかな?と思いつつ、ひたすら頂上を目指す。もうすぐもうすぐと言い聞かせつつ、やっと頂上にたつも、残念ながらガスガス。でも時折晴れて、はるか下の方に五竜山荘が見下ろせました。

タップリ充実感を堪能して、さあ下山。さっきの所はどうだろうかと思いつつ降りていくと、階段状の足場が思ったよりしっかりしていて、岩に寄り掛かるようにして下りればさほどの怖さを感じませんでした。それにしても五竜岳は登りがいのある山。さすがの百名山です。

夕食後、小屋から外を眺めると、夕焼け空に巨大なゴジラが浮かび上がり、山々をひと飲みにするようでした。

翌日は雨がパラパラ来るも、アルプス平まで下りるだけと気が楽です。振り返ると昨日登った五竜岳。圧倒的な存在感で晴れ間にそびえています。


下山は西遠見山、大遠見山、中遠見山、小遠見山と越えて地蔵の頭、そしてアルプス平駅。駅の周りは高山植物園になっていて、見事な花々が競い合って咲いていました。ありがとう。アルプスの山々、高山植物の花々、そして雷鳥の親子。八方池の絶景と岩場のスリルを堪能し、圧倒的な五竜岳に感銘を受けた山旅でした。


華氏451度 by レイ・ブラッドベリ

2021年08月15日 | Weblog

1953年に書かれたSF小説「華氏451度」を読んだ。華氏451度とは、この温度で書物の紙は引火し燃えるということのようである。近未来のディストピア(ユートピアの反意語)を描いていて、本を読むことだけでなく、本を持っているということだけで罰せられ、あらゆる本は密告によって燃やされる世界だ。「消防士」は火事を消すのが仕事だが、このSF物語の中では「消防士」は昔々に存在した職業で、今は「昇火士」がケロシンで家ごと本を焼いてまわる。

この物語が1953年に出版されたということが、私にとっては驚きだった。先見の明に脱帽である。

ラジオやテレビの普及で、人間は物を考えることをしなくなり、だんだんと要約、短縮、省略して、込み入った考えは遠心分離機ではじき飛ばしてしまう。その結果、本は無用の長物、いや有害にさえなる。そして、権力者に強いられるまでもなく、大衆は本を燃やすことに走るという設定である。1953年当時はインターネットもSNSもなかったのにである。

昨今では、SNSなどの発信においては、文章が短く、丁寧な説明もなく感情をそのままむき出しでぶつけることが多いような気がするし、私自身、テキストメッセージでやり取りするときは、長い文章を書くのを面倒がり、果ては絵文字でやり取りすることも多々ある。そんな今だから、「華氏451度」は真に迫る思いがする。若いころに比べて物事を短絡的にしか考えられなくなっている自分に気づき始めているからだ。これは年齢のせいではない。テクノロジーの発達が社会にもたらした負の一面であると思う。

でも、著者は1953年にこのメッセージを発している。驚きだ。この物語は出版当時より、今こそ読まれるべき本だと感じた。