こもれび

悩み多き毎日。ストレス多き人生。でも、前向きに生きていきたい。だから、自然体で・・・

Rio de Janeiro の思い出

2018年08月26日 | Weblog


「思い出は沖の白帆になおも似て、遠くなるほど美しい」
この言葉は、中学を卒業する時に、先生が卒業アルバムに書いてくださった言葉です。

7月の末からお盆の時期まで、リオデジャネイロに出張する機会がありました。帰国してすぐは取り立てて書き留めておくこともないような気がしていましたが、時間が経ち、ふと写真を見返していたらやはり記録しておきたいと思うようになりました。

初めての南米大陸。敬愛するセバスチャン・サルガドのふるさとブラジル。その第2の都市、リオデジャネイロは、1960年にブラジリアが首都になるまで同国の首都でした。もっと言えば、ナポレオンに本国を追われたポルトガル王室がブラジルにやってきた時からブラジルが独立するまではポルトガルの首都でした。

そのためリオはポルトガルの影響をとても強く受けており、このことが、人口が海岸に集中しすぎていたことと相まって、1950年代に内陸部のブラジリアに首都を建設し移転することになった主な要因だったようです。



リオ・デ・ジャネイロとは、ポルトガル語で「1月の川」という意味です。ポルトガル人探検家ガスパル・ジ・レーモスがリオを発見したのが1502年1月で、グアナバーラ湾を川と勘違いしたこの探検家達が「1月の川」と名づけたそうです。そして、ポルトガル人たちの搾取が始まったのですね。。。



それはさておき、今回の出張先は、リオのダウンタウンから30キロほど西のバーハダチジュカ。2016年のリオオリンピックの際は、選手村や競技会場などが置かれたところです。このオリンピック公園の隣に、パビリオン6棟とオフィシャルホテルからなる大イベント会場リオセントロがあります。この中のパビリオン3が、イベント開催の前日に火事になり、会場が急遽変更になったのですが、そんなことには全く無関心のように何のアナウンスもなく、最初から会場はパビリオン5だったかのように粛々と開会式が始まったのでした。 さすがブラジル!!

と感心しているのも束の間。今度は開会式で授与されたフィールズメダルが授与されて1時間後に盗まれたのです! セキュリティーカメラに映っていた容疑者の顔写真が翌日には公開されましたが、案の定、I Dを身につけてはいませんでした。会場入口には物々しい数の警備員が配置されていましたが、仕事はしていなかったということでしょうか。そんなこんなで始まったイベントもなんとか無事に(?)終了しました。

会期は9日間と長丁場ですので、なか日は一日お休みになります。そこで、「リオデジャネイロ: 山と海との間のカリオカの景観群」として2012年に世界遺産リストに登録されたコルコバードの丘(巨大なキリスト像で有名)とパンデアスカル(砂糖パン)に行ってきました。



このキリスト像は、日本の富士山のように街のどこからでもよく見えます。上の写真のてっぺんにあるのがキリスト像です。高さ約40メートルですから巨大です。1931年のブラジル独立100周年を記念して建設されました。中は礼拝堂になっています。私が訪ねた時も多くの観光客で賑わっていました。麓からトリムに乗って山頂下まで行きます。下の写真がトリムの乗り場です。



パンデアスカルは、砂糖パンのような形をした岩です。リオの国立美術館にも行きましたが、200年以上前の絵画や設計図、写真に至るまで、リオの街を描いたものには全てこのパンデアスカルが記載されています。それほどに、これはリオの人々のシンボル的存在なのでしょう。



標高約400メートルの岩山の頂辺まで、ロープウエイをふたつ乗り継いで行きます。そこからの眺めは見事というほかはなく、眼下に国内空港が見下ろせ、次々に飛行機が飛び立っていくのが見られます。




湾内には無数のヨットが停泊し、何とも穏やかな光景です。



ダウンタウンを散策していたら、カセドラルで日曜礼拝が行われていました。リオは建築に関心のある人には興味のつきないところだそうで、この建物もそのひとつでしょうか。これがカセドラルです。中に入ってみましたら、ノリノリのメロディーで賛美歌を唱和していました。




ダウンタウンの中心地セントロ地区は、日曜日なのでどこもシャッターが下りていましたが、観光地のビーチでは、レストランもオープン。ここは、かの有名な「イパネマの娘」が作曲されたという名物カフェ、ガロタデイパネマです。



ブラジルを代表する音楽ボサノヴァ。その中でも世界的にヒットした「イパネマの娘」。カフェの外壁にも店内にも、その音符の一部が記載されています。アントニオ・カルロス・ジョビンが当時ここでボサノバのアーティストたちとよくお酒を飲んでいて、その頃、10代の美少女がよく母親のタバコを買いにここに来ていたそうな。その少女の後ろ姿からインスピレーションを得て、「イパネマの娘」が誕生したそうです。

イパネマはコパカバーナと並ぶ、世界屈指の綺麗な海岸で、確かに納得の美しさでした。



砂はクリーム色できめが細かくしっとりしていて、何とも心地よい肌触りでした。

マーケットにも立ち寄ってみました。





陳列の仕方が日本のものとは違い新鮮な感じです。

リオの空はあくまで蒼く、大らかでした。



イベントの後半はあっという間に終わり、リオでの最終日の朝焼けも見事なものでした。



ガレオン国際空港からフランクフルトまで11時間、フランクフルトから羽田まで更に11時間。まさに地球の裏側。長距離フライトも帰路の方が苦にならない。さようなら、リオ。ありがとう、リオ。
そんな気持ちで、リオを後にしました。



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