こもれび

悩み多き毎日。ストレス多き人生。でも、前向きに生きていきたい。だから、自然体で・・・

八ヶ岳ブルー

2021年02月23日 | Weblog


先週、山友2人と北八ヶ岳に行ってきた。天気は快晴。ただし風が少し強かった。1日目はゴンドラで山頂駅から北横岳まで歩き、北横岳ヒュッテに宿泊。2日目は、小屋から歩いて15分ほどの北横岳山頂から朝日を仰ごうと朝6時前に出発して山頂に来たものの雲が多く風が強く、立っているだけでも大変だった。空が赤々としてきたが、寒いので小屋に戻ろうと話していたその時、太陽が雲の間から顔を出した。その赤いこと小さいこと! まるでサクランボのように美味しそうだった。今まで見たこともない景色に驚き、寒さも忘れてシャッターを切った。



朝食を済ませてから、三ッ岳、雨池山、雨池峠、縞枯山、茶臼山、五辻、山頂駅とぐるりと周回コースを歩いた。三ッ岳の一峰から雨池山の登り口までの下りがかなり急で、雪の表面が凍ってなくて本当に良かった。三ッ岳は岩がゴロゴロのピークが三つ連なっている所だが、雪がタップリあったので夏道よりもずっと歩きやすかったと思う。



厳冬期の冬山を歩く体力はないが、雪山ハイクは大好きである。雪の白さに映える八ヶ岳ブルーは、格別に素晴らしかった。そのうえ、山頂に上がれば、近くは浅間山、赤岳、編笠岳から、遠くは南アルプス、御嶽、乗鞍、中央アルプスそして北アルプスまで見渡せる。こんな贅沢な景色はそうそう見られるものではない。なんとラッキーなことだろう。浮世の憂さをすべて忘れて、雪山を満喫した2日間だった。






エルサルバドル内戦体験 by エスコバル瑠璃子

2021年02月17日 | Weblog

「逃避行」

JICA横浜2階回廊・3階展示室 で、「ラテンアメリカ探訪アート展 Nosotros 4」が開催されている。
このブログに載せた絵は3枚とも、このアート展で購入してきたエスコバル瑠璃子さんの絵のポストカードを写真に撮ったものである。

瑠璃子さんとは、2・3度、FB等でコメントを交わした程度のお付き合いだが、何年か前、偶然彼女のブログを読む機会があり壮絶な人生を歩んでこられた方であることを知った。それで今回、その方がどのような絵をお描きになるのか興味を持ち、JICA横浜に行ってみた。

動物や花の絵に混じって、圧倒的な存在感を放っているのは、エルサルバドルの内戦を描いたものである。大きなキャンバスのものもあれば小さめのものもある。でもどれも、描いた目的がはっきり伝わってくる。内戦の語り部としての絵である。

「戦火を逃れて」

瑠璃子さんは1976年から1984年にかけて中米のエルサルバドルで暮らしていた。エルサルバドル人の男性と結婚したからである。この時、内戦の混乱の中で「死体が『物』に変化して転がっている町の情景は『常識的な』光景だった。」と彼女は語っている。市場に買い出しに行く時、死体とは気づかず、その上を飛び越えて行ったとも。

中米の様子はニュースで取り上げられない限り、私は何も知らずに暮らしてきた。でも、瑠璃子さんのブログを読んだときに大きな衝撃を受けた。そして、この絵である。彼女が難民として日本に戻ってきてから40年近くが経つ現在は、かの国もまた大きな変化を遂げているだろうが、それでもなお、私が受けた衝撃は大きかった。

「薪を売る少女」





不思議な夢

2021年02月04日 | Weblog

不思議な夢を見た。右の耳から大量の砂がこぼれ落ちる夢だ。

数週間前から右の耳に違和感があり、首を振ったり顎を上下に動かすと何かカサコソと音がする。まるで耳垢が中でダンスをしているみたいに。でも、耳の掃除をしても何も出てこない。きれいなものだ。あまり気になるので、「明日は耳鼻科へ行ってみよう」と思って寝たのだが、翌朝、大量の砂が耳からこぼれ落ちる夢を見て、驚いて目を覚ました。不思議なことにそれからカサコソと音がしなくなった。

なんだか狐につままれたような気がする。






コロンボとポワロ

2021年02月01日 | Weblog


今、はまっているドラマがある。それは、「刑事コロンボ」と「名探偵ポワロ」。本放送の時間では見られないため録画してみているが、この二人がすこぶる対照的な人物のため、倍楽しめる。

「刑事コロンボ」は、1968年から1978年までアメリカで放送されたもので、基本設定はあるものの、多くの脚本家や監督が手掛けており、それぞれのストーリーがそれぞれの作り手の個性を反映し、バラエティー豊かな作品群になっている。毎回、視聴者は最初に完全犯罪もどき殺人を目撃し、その犯人が誰であるかは分かったうえで、ストーリーが始まる。

いつもよれよれのレインコートを着てボロボロの外車に乗り、安物の葉巻を吸いながら一見愚鈍そうな素振りで、ドラマを見ている私たちにはすでに知らされている真犯人に迫っていく。犯人は社会的に高い地位についている極めて知性が高い人物で、普通の警察の捜査であれば完全犯罪になるような事件ばかりである。そこにコロンボが登場する。いつもいつも寝不足か、あるいはお腹を空かした状態で登場することが多い。自分の流儀で現場検証を終えると、ほんの些細な、平凡な人間ならば見過ごしてしまうような小さな齟齬に疑問を持ち、熱心にそして執拗にその疑問を追及していく。そして最後には真犯人が自白せざるを得ない証拠をつかむ。コロンボの口癖は、犯人と話をした後、ドアのところで振り向きながら、「あ! あと一つ忘れてました。」と言うのと、何かというと「うちのかみさんがね・・・」と話をすることだ。

どのストーリーも基本パターンは同じなのに、毎回毎回楽しめる。時代背景は古いが、そこもまた今となっては魅力である。

一方「名探偵ポワロ」は、すべてにおいて全く逆である。まず、舞台はアメリカでなくイギリスである。原作者は言わずと知れたアガサ・クリスティ。第一次世界大戦後が舞台で、当時のイギリス社会の描写も面白い。様々な人物が登場し事件が起こる。コロンボと違い、視聴者は誰が犯人か皆目見当もつかない。いわゆる推理小説の定石を踏んでいろいろなことが起こるが、最後に、バラバラだった出来事をポワロが「灰色の脳細胞」を駆使して見事に整理し謎を解きあかす。そして、ポワロの人物像もすこぶる興味深く、彼は整理整頓を常とし、身なりには異常なほど気を使い、乱雑さは許容できない。まさにコロンボと正反対である。ポワロはベルギー人で、第一次大戦中にドイツの侵攻でイギリスに亡命することを余儀なくされた。故国ベルギーでは警察官として活躍したのち退職していた。イギリスにおいては上流階級の人々とも交流がある。

コロンボがおいしいハンバーグとすれば、ポワロは美味なフランス料理というところだろうか。一つだけ「刑事コロンボ」と「名探偵ポワロ」の共通点をあげれば、それは、どちらも声優が素晴らしいということだろう。コロンボは小池朝雄氏、ポワロは熊倉一雄氏である。

名作は時代を超えて人々を楽しませる。