国語塾長、情報集めて考えます・書きます的ブログ

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母、94歳になりました

2024-10-20 20:58:34 | 日記

本人は、自分の誕生日だって認識はある。

それでいくつになる?

と尋ねると

90歳

これで決まり。何度聞いても、ね。

ま、年は毎日、毎朝変わります。最近は、けっこう88歳とか言ってたし。

ま、そばが好きなんで、毎年誕生日は、小嶋屋さん(母のお気に入りは、昔から十日町小嶋屋)に行く。

今年も。

誕生日の近い義妹(現在はサ高住)と、車椅子になった彼女をサポートしてくれる姪っ子の旦那と子供2名。(母にはひ孫)

姪は、一番上の息子のやっているスポーツの送り・付き添いで新潟まで遠征で不在。

総勢6人でお祝いそば。

席は予約、車椅子が2台と伝えてあったので真ん中のいい場所に用意してくれた。

数ヶ月に1度くらいは食べに行っている(た)ので、なじみ、というか、車椅子お借りしますというおなじみさんという認識がお店にはあるわけで。

母、ひ孫に会えてうれしそうであった。

そばも、天ぷら完食、そばは2把は私が食べたが、あとは完食。

美味しいと、食欲は旺盛。

昨秋は、お店を出るときにまた来年来られるかねえ・・・と私が言ったら「来る!」と、なぜか断固とした口調で言っていたが実現したわ。

今年は聞いてません。

昼寝起きの15時半過ぎには、牛乳とたまごと砂糖しか使ってない週末しか販売されない「週末すっぴんプリン」をケーキ代わりに食べたのだが、それは多分、覚えてないだろうな、しかし明日もそばは覚えていそう。

年は90歳か、88歳だろうな・・・

今日は母とおやつを食べて、いろいろやって帰宅したらもう17時過ぎていた。

夕暮れ。疲れました。

****

小林一茶 めでたさも中ぐらいなりおらが春

をもじりまして

めでたさも中ぐらいなり母が歳

歳を取るって、大変だ。

私は、母のような認知症にはなりたくない、なあ・・・・

母が本格的にいわゆる『ボケ』』はじめたのは、末弟が亡くなってから。

母にとっては、難病だった末弟を「送る」が、彼女が自分の人生に決めていた「ゴール」だった。

ゴールを間違ったね、母じゃひと。

ゴールは死、と自分に再度、言い聞かせている今宵。

ものすごく冷えますね。

一気に、夜は初冬。

 

 

 


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