こちらへ参拝するためなのです。
これは「遍路道中物故者供養」の碑。
遍路道中物故…遍路をしている途中に亡くなる、という意味。
そういう人たちを慰霊する碑。
遍路道は1000年以上の歴史ある道なのですが、最後まで歩けずに道中亡くなる人、あるいは、故郷を何らかの事情で帰れず、亡くなるまで回り続けた人。
例えば、松山市へ下る三坂峠という遍路道筋には、そこで倒れた方の遍路墓がいくつもあります。また、今は駐車場になってしまった88番そばにも、遍路墓がたくさんありました。
遍路の白装束は亡くなれば、死に装束、金剛杖は墓標になったといわれています。
墓を作ってもらえるのは、亡くなった遍路の懐事情。
「故郷に沙汰不要(亡くなっても故郷に連絡し無くてもいいい)」の一札を抱いて回っていた人もいます。
あれやこれやで、遍路道筋は、1000年の死屍累々の道でもあります。
縁あって、亡くなられた宮崎健樹大先達(現代歩き遍路の中興の祖)とともに、私が世話人となって、2005年春、ここに(88番まで10キロほど)建立した。
108人の方々にご浄財をお願いし(今のクラウドファンデング・あっという間に集まりました)場所を選定し、石を選び。
場所は、宮崎さんが仮決めしてくださったところを見に行った帰り(今の場所)、ここでいいかどうか皆目わからず天へ向かって「ここでいいなら、いいというおしるしの雨を降らせてください」と大きな声で言った。
なんと雨降ってきました。道がうっすら濡れるほど。そして止みました。
石・・この碑の石は庵治石(あじいし)と言って、香川の名産の石。
上の石のデザインは私が考えたのですが、このサイズはなかなか見つからないだろうから、しばらくは待って、と石屋さんに言われました。
ところが、ところが・・3日で見つかった。
それも、石は最高級の品質なのに、見つかったエリアがガーデン部門、安かった。
もし、見つかったのが墓石部門だとお値段は何倍にもなる…
というわけで、いくつかの不思議が起きて、とんとん拍子にできた供養の碑。
宮崎大先達が鬼籍に入られて久しいので、残った世話人の責任で、毎年1回は訪ねているわけで。
歩き遍路地図にも、宮崎さんのご配慮で入れていただき、おかげで参拝される遍路さんもぼちぼちいるようで。
いつまで行けるだろうか‥そんなことをふっと思う。
プレートに浄財をくださった方々の名前が刻んであるのだが、すでにたくさん亡くなられている‥‥
年末、変わらない姿で静かにたたずむ供養の碑を見ると、ほっとする自分もいる。
ま、今年も行けたことに感謝感謝。大感謝。
上の彫り物は、お地蔵様です
迫力出てこられました。
今日は冬至
かぼちゃを食べ、あたたかい柚子湯に入って、早寝しましょう。