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米国がカチンの森事件でソ連の罪をもみ消す

2012-09-11 | Weblog

 (写真)殺された人達は役人やポーランドのエリートでした。

カチンの森でポーランド兵士の大虐殺を行った1940年のソ連の犯罪の隠蔽をルーズベルト政権が支持していたことを裏付ける新証拠が出ています。

米国が戦時中味方だったジョセフ・スターリンを怒らせたくなかったのではないかという疑問を米ナショナル・アーカイブが発表した書類が認めていると歴史家が言いました。

新証拠は、ナチスではなくソ連軍が大虐殺を実施したとするコード化されたメッセージを米国は受け取っていたとしています。

22,000人以上のポーランド人がスターリンの命令でソ連軍によって殺されました。

ソ連ロシアは、50年間ナチスを非難した後1990年に大虐殺を認めました。

AP通信の書類の再調査によると、アメリカ人の捕虜が1943年にロシア西部のスモレンスク近くのカチンの森に連れて行かれて腐敗する前の状態の死体を見たというメッセージをコード化してワシントンに送ったとあります。

アメリカ人と英国人の捕虜集団が、ナチスに無理矢理その光景を目撃するために連れて行かれました。

アメリカ人のDonald B Stewart大尉 と John Van Vliet副官の2人はそれを見て、ナチスではなくソ連軍が大虐殺を行ったに違いないと確信しました。ナチスは1941年までその地域を占領していませんでした。

1950年にDonald B Stewart大尉が行った声明で、彼はコード化したメッセージを送ったことを確認しました。その要旨は、「ドイツ人はVan Vlietと私自身の意見を実質的に正しいと認めている」というものです。

彼らは、死体が腐敗する前の状態を見てそれを確信し、ドイツ軍がその地域を占領する前の1941年8月より前に死亡したに違いないと示唆しています。

彼らは、手紙や日記などいろいろな物が死体の上にあるのを見ました。その全ての日付は1940年の春より前のものでした。

そして、彼らの長靴や衣類の状態が良いことから、侵攻したソ連軍に囚われた後長くは生きていなかったことが分りました。

米国はいつ何が起こったか知っていた。1,000ページにも及ぶ新証拠がそれを証明しているとワシントンのBBC記者は伝えます。

ドイツと日本を敗北させるためにアメリカ人が頼っていた味方のスターリンが行った大虐殺の件をルーズベルト大統領は問題化したくなかったと長い間信じられてきました。

AP通信の報道によれば、大虐殺についての情報はワシントンで最高機密にされていました。

カチンの専門家のポール氏は、大虐殺を調査するために行われた1951-52年の議会のヒヤリングの記録には無い情報がいくつかあるとAP通信に語りました。慎重に隠されてきたと示唆しました。

新証拠によれば、英国のチャーチル首相がルーズベルト大統領に送った報告書の中でも英首相もスターリンの罪を暴こうとしませんでした。

報告書はロンドンのポーランド亡命政府に宛てて英国大使が書いたものだとAP通信の記者は言います。

「今は、否定的な証拠を書き変えることができます。その積み重ねの努力によって大虐殺に対するロシアの責任逃れに疑いをかけることができます。」と彼は言います。

1940年4月に、スターリンの命令でNKVD秘密警察がカチンや他の場所で大虐殺を行いました。

役人や政治家や芸術家などポーランドのエリート達が後頭部を撃たれ、死体は大量墓地に埋められました。

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数十年経つとアーカイブが解放されるので、ずっと後になって歴史の真実が分ってきます。でも、ルーズベルトとスターリンとチャーチルなど大国の指導者が自分たちに不都合な事を隠蔽したり歪曲したことは歴然としています。当時の戦勝国と敗戦国の立場の違いは大きいですね。