
スワット渓谷でタリバン武装勢力に頭を撃たれた14才の少女の弾丸を摘出したとパキスタンの外科医が言っています。
少女の人権のための活動家のマラヤ・ユサフザイさんは、手術のあと症状が安定していると報じられています。
武装勢力は、火曜日に、学校を出たユサフザイさんを銃撃し、他の2人の少女に怪我をさせ、国際非難を浴びています。
武装勢力は、彼女が「世俗主義を進めている」ので標的にしたと言いました。
イスラム武装集団のエフサン代表は、ユサフザイさんは生き延びたとしても標的から免れられないとBBCウルドー語に語りました。
当局はこれから少女をどのようにして守るか考えなければならないだろうとイスラマバードの記者は言います。
彼女の家族は武装勢力が彼女を標的にすることを控えることはないと思っているので治安が改善することはないと思っていると記者は言います。
医者は、銃撃された少女の一人は危篤状態で、もう一人はひどい傷は負っていないと言いました。
ユサフザイさんは、渓谷を支配下に置いたタリバン武装勢力の下で生活についてウルドー語BBCに日記を書いて2009年に世間に注目されました。
武装集団は、2007年後半にスワット渓谷を占領して、2009年のパキスタン政府軍の攻撃により退去させられるまで事実上の支配を続けていました。
支配下において、彼らは女学校を閉鎖し、イスラム法を公布して車の中で音楽を聴くことを禁じるというような禁止令を発行しました。
ユサフザイさんの兄のフサインさんは、武装勢力は残忍で残酷な人間だとBBCに語り全てのパキスタン人が彼らを強く非難するように促しました。
パキスタンの政治家は銃撃事件を批難し、米国国務省は野蛮で卑怯と非難しました。
ザルダリ大統領は、銃撃がパキスタンのイスラム武装勢力との闘いの決意も、女性の教育を支持する政府の決定も揺るがすことはないと言いました。
声明で、カヤニ軍司令官は、タリバンは彼女が一人の人間であるだけでなく勇気のシンボルでもあることを理解していないと言いました。
世界中の多くの人々がソーシャル・メディアを通して十代の活動家にメッセージを送りました。
スワット渓谷の学校は、水曜日に、彼女の銃撃に抗議して閉鎖しました。国内の他の地域の生徒は少女の回復を祈りました。
抗議運動がいろいろな地域で行われました。
ユサフザイさんは、火曜日の午後、攻撃されたミンゴラから150キロ離れたペシャワールに手術のために飛行機で運ばれました。
ペシャワールの医師は、弾丸を除去するために数時間手術を続けました。
医療専門家が、更なる手術のために彼女を国から他国に運ぶ必要があるかどうかを決定する間、医療用の飛行機がペシャワールに待機しています。
警察は、渓谷で40人以上を逮捕したと言いましたが、全てがその後、釈放されました。
逮捕は日常任務の一部ですが、警察さえ実行犯を逮捕したとは思っていないと記者は伝えます。
ユサフザイさんはタリバン勢力の統治下での生活を公にし、その勇気がパキスタンの国中の多くの人に称えられたと記者は言います。
タリバンがスワット渓谷を支配して女学校を閉鎖するように命じた2年後に日記を書き始めた時、彼女はわずか11才でした。
BBCウルドー語にガル・マカイというペンネームで書くことによって、彼女は武装勢力から受けている苦しみを暴露しました。
タリバンがスワットから撤退させられた後、彼女の存在が明かされました。彼女は、その後、勇気に対する国民賞をもらい、国際子供平和賞に推薦されました。
タリバンが撤退して以来、スワットでは単独の勢力による攻撃はありますが、大半は安定していてタリバン時代に避難していた多くの人々が戻ってきました。
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タリバンは女性や女子教育の封建制・閉鎖性で悪名高いのですが、その逆境の中で11才の頃からBBC のブログで現状を訴えていた少女がいたこと、その子がタリバンに狙われて銃撃されたこと、医師がその子の頭に撃ちこまれた銃弾を手術で除去したことなど、驚くことばかりです。
誰かが声を上げなければ何も解決しません。命をかけて声を上げたユサフザイさんに二度と危害が加えられないことを祈ります。