と言っても、一枠は白、二枠は黒、痛風の私の足は赤と言った色の話ではない。男色女色の「色」である。
自らの浅学を吐露するわけだが今回の大河ドラマを見るまで平賀源内が男色家とは知らなかった。それどころではない。平賀源内と言ったらエレキテルだから理科系の発明家だとばかり思っていた。いや、そうには違いないのだが、それ以外に作家の顔も持っていたとは知らなんだ。
それにしても、最近、私の周囲では男色の話が目白押しである。例えば、ソクラテス。「ソフィーの世界」に影響されてプラトンを再読しているのだが、ソクラテスを筆頭に登場する人物の多くが男色家で、「饗宴」ではソファにカップルの男男が触れあうように横たわって酒を飲みながら哲学を語っている。ソクラテス(プラトン)に言わせると、そもそも、男男の愛は男女の愛よりも遥かに崇高であり、およそ哲学はカップルであるおじさんと若者との間で「愛の語らい」のように語られるものであるから、哲学と男色は切っても切り離せないのである。私は、十代の頃随分プラトンを読んだが、このことを全く認識してなかったと思う。いったい、何を読んでたのか、と思う。良い陸上選手になるためには子供の頃あまり走りすぎてはダメだというように、哲学書をあまり若いうちから読んでもダメである。
それから、THロレンス。中東の歴史に興味があって、映画「アラビアのロレンス」を観て、大昔にロレンスが出てくるマンガを読んだ記憶が蘇って、たしか男色の話があったよな、と思って、すると1980年代に女子高校生が読んだマンガに「THロレンス」があったって聞いて、それを読みたいと思って(ここまでは既述)、このほどネットオークションで全7巻を1円で落札し(送料が750円)、読み始めたというのが現状である。第1巻を読み終えた時点では、ロレンスが学生時代に中東を旅して、現地の人に襲われて、行為の描写こそはなかったが帰ってきて「痛い」と言ってお尻の辺りをおさえていたから(なかなかリアルな描写である)経験はしたのだろう。この後、ロレンスが正真正銘の男色家となって、自分から男を誘うようになるかは読んでのお楽しみである。
日本の話に戻る。平賀源内が男色家であることは知らなかったが、織田信長と森蘭丸の関係は聞いたことがあった。徳川家康と井伊直政がそういう関係だったという話は最近知った(「どうする家康」で、井伊直政役が小柄な板垣李光人で、登城した際、他の武将たちが「美しいのう」と噂するのはなかなか気の利いた配役・脚本であった)。いずれも「おじさん&若者」というソクラテスが推奨するカタチではある。戦国最強の呼び声高い上杉謙信は女性とは交じらなかったと言うが、さりとて男色家だったかどうかも噂の域である。
以上、とりあげた諸氏の色の好みについては、暮れに大いなる期待を込めて購買した百科事典(CD-ROM)の諸氏の各解説において一切触れられてない。「男色」のページの中で、かろうじてソクラテスが登場するくらいである。残念である。
因みに、知人のカウンター・テナー氏は、歌声は女性のようで女性に交じって歌っているが、若い頃サウナで小太りのおじさんに追いかけられたとき鳥肌が立ってとっとと逃げたそうだからその気(け)はないらしい。でも、彼は女性にからきしもてないのに小太りのおじさんにはもてたんだから、その気があった方が本人のために良かったんではないか、と思う。
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