少女マンガで男色と言えば聖徳太子を描いた「ずるてん」(山岸凉子の「日出処の天子」)を忘れてはいけなかった。こちらも1980年代。1980年代の少女マンガは男色ブームだったのだろうか。いずれにせよ、当時、中高生でこれらを読んだ世代は中東の近代史や日本の古代史の勉強ができて幸運である(まっこと、これらのマンガは歴史のお勉強になる)。その「ずるてん」での聖徳太子の最後の登場シーンは、女性相手だってやろうと思えばできるのだ、と言って子作りをするシーンだった。そう、男色家で鳴らした戦国武将だって跡継ぎをこしらえるために女性ともいたしていた。例外が上杉謙信である。謙信は女性とまぐわったことはないと言う。
前回、その上杉謙信を「戦国最強」と書いたことについて、武田信玄を擁する山梨の人は「異議あり!」だろう。私が謙信好きなのは1969年に放送された大河ドラマ「天と地と」の影響である(山梨出身の父の祖母が「謙信の方が強かったらしいなぁ」と言っていたのも、山梨の人ですらそう言うんだからということで一層私の中の謙信最強説を強めることとなった。祖母が新潟から山梨に嫁に来た事実は随分経ってから知った)。
昨年暮れにNHKが放送した大河特集には「天と地と」で謙信を演じた石坂浩二等々の「大河俳優」が出演し、昔見たシーンが映し出されて懐かしかった。「天と地と」からは川中島の戦いにおける謙信・信玄の一騎打ちのシーンが放送された。そうそう、勝負の決着が着かないうちに信玄の家来がどやどややって来てやむなく謙信は馬を駆って去ったのであった。
このドラマでは、謙信の少年時代を演じた子役が上手だった。謙信少年が悪さばかりするのでお守り役の侍が責任をとって腹を切ろうとするところに謙信少年が飛び込んできて「○○(その侍の名前)、腹を切るな」と言ったのを覚えている。その次の回から石坂浩二演じる青年になった謙信が登場し、その初登場回で「俺は初めて人を斬った」と言うのだが、当時子供だった私はこの「俺」に違和感を感じたものだった。侍の一人称は「わし」「拙者」等々だろう、「俺」はないだろう、という違和感である。あと、史実では、謙信はトイレで脳溢血で急死するのだが、ドラマでは甲冑を着けたまま家来の腕の中に倒れ込む最後だった。やはりヒーローには応分の死に場所があり、トイレではまずいようだ。なお、謙信が男色家であることを匂わせるようなシーンについては一切覚えがない。お子ちゃまだったから見ても分からなかったろう。
件の「大河特集」には渡辺謙も出てたから、「独眼竜政宗」の1シーンも放送された。実母が政宗を毒殺しようとするシーンである。政宗にトリカブト入りの食事を与えた後、実母役の岩下志麻が「母の慈悲じゃ」と言ったあと、あっ、この後「許せ」と言うんだ、と思ったら当たりであった。なかなか覚えているものである。38年前か。「天と地と」(56年前)に比べれば昨日放送したようなものだ。認知症だった母は、7,80年前のことはよく覚えていたものである。