黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

大河「源義経」の音楽が武満徹だった件

2025-01-15 18:40:59 | ドラマ

「天と地と」も古いが、私がリアルタイムで見た最古の大河ドラマは1966年の「源義経」である。だから、私の判官贔屓はこのときからである。義経役はしゅっとした二枚目だった。演じたのは歌舞伎役者の尾上菊五郎さんで、寺島しのぶのお父様であらせられることを知ったのはずーっと後である(ついさっきだったりして)。

最も印象に残っているのはテーマ音楽。作曲したのが武満徹であることを知ったもずーっと後である。つうか、武満徹という人が偉い作曲家であることを知ったのも同じくらい後である。

一ノ谷の戦い(鵯越の坂落とし)で騎馬多数が坂道を駆け下りるシーンは大迫力だった。まるで、京都競馬場で各馬が第3コーナーの坂を駆け下りる様を見ているようだった(と言っても、当時は京都競馬場のことなど知らないから、これは記憶に残ってるシーンに現在の感想を後付けしたものである。なお、昨年、放送されたブラタモリによると、京都競馬場の第3コーナーの坂は土手の名残だという)。今から思うと、多分、坂道を駆け下りるシーンはカメラを斜めにして撮って、だんだんと水平に戻していったんだと思う。だが、実際は(と言っても、はっきり分からないことが多いらしいが)、崖をえっちらおっちら下っていったかもしれないそうだ。その際、大事な馬に怪我をさせてはいけないとばかり馬を背負って崖を下った武将もいるという(当時、馬は高価で、現在なら自動車を買うに等しかった)。だったら、駆け下りるのは無理だろう。えっちらおっちら説の状況証拠になりうる。

壇ノ浦の戦いのシーンも印象的だった。関門海峡の話題が出ると常に壇ノ浦が頭に浮かぶのはそのせいである。潮の流れが速く、日中に潮の向きが変わることもそのときインプットされた(源氏の勝因の一つ)。ただ、義経が敵の船の漕ぎ手(かこ)を射るという禁じ手を使ったことは知らなかった。このドラマにおける義経は徹底的に「いいもの(ヒーロー)」であった。

義経主従が頼朝に追われて西国に逃げようと船出して嵐に見舞われた際に平家の面々の亡霊の出方に注目していたら、海面に横一列に並んでいて行儀がよかった。

義経が最期を迎える衣川の戦いについては、印象的な事柄が3点ある。その1。弁慶の立ち往生。弁慶役の緒形拳の形相がすごかった。その2。観念した義経がお堂に入るシーン。一人で入っていって家来が外から火をつけた。史実では義経が妻子を殺して自害したそうだが、そういうシーンはなかった。その3。防戦に努める義経の家来が、刀が刃こぼれをおこすたびに井戸の中から別の刀を取り出す様子が打出の小槌のようだった。

そう言えば、女性の登場人物の記憶がまるでない。静御前などは必ず登場したに違いないのだが。私の興味が向かなかったのだろう。男女のことなど1ミリも興味のないお子ちゃまな私であった(見始めたときは小学1年生である)。

衣川の戦いの後、戦場跡を訪れた頼朝が義経を偲んで「(義経は)まだ○歳であった」と言うのを聞いて、一緒に見ていた親に、ねー、なんで自分で殺しておいてあんなこと言うの?と聞いた覚えがある。納得のいく答を得た覚えはない。

この作品以来、義経が登場する大河ドラマは全部見てるが、その描かれ方はだいぶ変わってきた。壇ノ浦の戦いでかこ(水夫)を射させる様子も衣川で妻子を殺めたことも描かれるようになった。特に「鎌倉殿の13人」の義経(演:菅田将暉)はダーティーさが極まっていた(でも、こんなんだったかも、という納得はした)。だいたい大河は同じ時代を何度も描くから遠くない将来また義経を見ることになるだろう。それがどんな義経かは興味津々なところである。

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ヒーローがトイレで倒れてはまずい件

2025-01-15 12:33:04 | ドラマ

少女マンガで男色と言えば聖徳太子を描いた「ずるてん」(山岸凉子の「日出処の天子」)を忘れてはいけなかった。こちらも1980年代。1980年代の少女マンガは男色ブームだったのだろうか。いずれにせよ、当時、中高生でこれらを読んだ世代は中東の近代史や日本の古代史の勉強ができて幸運である(まっこと、これらのマンガは歴史のお勉強になる)。その「ずるてん」での聖徳太子の最後の登場シーンは、女性相手だってやろうと思えばできるのだ、と言って子作りをするシーンだった。そう、男色家で鳴らした戦国武将だって跡継ぎをこしらえるために女性ともいたしていた。例外が上杉謙信である。謙信は女性とまぐわったことはないと言う。

前回、その上杉謙信を「戦国最強」と書いたことについて、武田信玄を擁する山梨の人は「異議あり!」だろう。私が謙信好きなのは1969年に放送された大河ドラマ「天と地と」の影響である。父は山梨出身だが、その父方の祖母が「謙信の方が強かったらしいなぁ」と言っていたのも、山梨の人ですらそう言うんだからということで私の中の謙信最強説の補強材となった。祖母が新潟から山梨に嫁に来た事実は随分経ってから知った。

昨年暮れにNHKが放送した大河特集には「天と地と」で謙信を演じた石坂浩二等々の「大河俳優」が出演し、昔見たシーンが映し出されて懐かしかった。「天と地と」からは川中島の戦いにおける謙信・信玄の一騎打ちのシーンが放送された。そうそう、馬上から切りつける謙信に対して扇で応戦する信玄。勝負の決着が着かないうちに信玄の家来がどやどややって来て謙信は馬で走り去ったのであった(だいたい記憶通りだが、記憶よりも信玄の家来が肉薄して謙信は危うかった)。

このドラマでは、謙信の少年時代を演じた子役が上手だった。謙信少年が悪さばかりするのでお守り役の侍が責任をとって腹を切ろうとするところに謙信少年が飛び込んできて「○○(その侍の名前)、腹を切るな」と言ったのを覚えている。その次の回から石坂浩二演じる青年になった謙信が登場し、その初登場回で「俺は初めて人を斬った」と言うのだが、当時子供だった私はこの「俺」に違和感を感じたものだった。侍の一人称は「わし」「拙者」等々だろう、「俺」はないだろう、という違和感である。あと、史実では、謙信はトイレで脳溢血で急死するのだが、ドラマでは甲冑を着けたまま家来の腕の中に倒れ込む最後だった。やはりヒーローには応分の死に場所があり、トイレではまずいようだ。なお、謙信が男色家であることを匂わせるようなシーンについては一切覚えがない。お子ちゃまだったから見ても分からなかったろう。

件の「大河特集」には渡辺謙も出てたから、「独眼竜政宗」の1シーンも放送された。実母が政宗を毒殺しようとするシーンである。政宗にトリカブト入りの食事を与えた後、実母役の岩下志麻が「母の慈悲じゃ」と言ったあと、あっ、この後「許せ」と言うんだ、と思ったら当たりであった。なかなか覚えているものである。38年前か。「天と地と」(56年前)に比べれば昨日放送したようなものだ。認知症だった母は、7,80年前のことはよく覚えていたものである。

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