以前、当ブログの川シリーズのVol.8で花畑運河を特集した際、花畑運河は中川と隅田川のショートカットで、これを開削したおかげで江戸と北関東間の水運が大変栄えたという話をした。で、何を運んだかというと、北関東からは農作物であり、江戸からは下肥ということであった(見事なリサイクルに感嘆したのであった)。
ただ、腑に落ちないことがある。昔は、どこでもかしこでも下肥が当たり前で、私が小学生の頃、修学旅行で箱根に行ったときも道中「田舎の香水」がよく香ったものである。だが、臭うということは、危険物であることのシグナルである。肥料にするありがたい物がなぜ臭うのだろうか。
このことに関して、最近、「なるほど」とガッテンした話がある。たしかに「下肥」は「未処理」だと寄生虫がいて有害である。だから、神様は臭いをつけて人が近寄らないようにしたのであろう(進化論的に言えば、平気で近寄る人が淘汰され、近寄らない人が残ったのである)。そのような有害物質であっても発酵させることによって無害にすることができる。すなわち、発酵時の高温によって寄生虫が死滅するのである。その発酵タンクがK溜めだったというわけである(「K溜め」=「下肥」と「溜池」を足して語幹を抽出したもの)。
そのような有り難いK溜めもちっとも見なくなった。最後に見たのは、まだ実家にいた頃。丘の上の住宅地が切れた先に一個だけぽつねんとあったヤツである。当時の空中写真を見るとその辺りは思いのほか農地が広がっていた。そうか、この農地をぽつねん一個でまかなっていたのか、と拝みたい気分になった。現在の空中写真を見ると、その辺りにも宅地化の波が押し寄せてきている。当然ながら想い出のK溜めらしきものは写ってない。ブラタモリではよく川や池の痕跡を辿っている。果たして現地をつぶさに調査すればK溜めの痕跡を見つけることができるだろうか。住宅開発者にとっては「不都合な真実」であろう。なお、空中写真から私が密かにこの辺り?と睨んだところは駐車場になっている。家を建ててないのはやはり開発者にもやましい気持ちがあったのだろうか。
そのブラタモリは、来年の春からレギュラー放送が復活するそうである。めでたいニュースである。
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