ブリザードYukiは1994年11月20日に開催された、東京ドーム大会でデビューした。角川書店の漫画雑誌で連載されていたキャラクターの実写版として登場。第2のタイガーマスクやライガーを狙ったわけだが、漫画が浸透しなかったため事実上はリング上のみに集約されていた。
正体は長谷川咲恵だが、このためにテコンドーを習い、自らのスタイルを一新しようとした。デビュー戦の東京ドームでアクロバティックな . . . 本文を読む
長谷川咲恵は理想的なアスリート体型と、爽やかな笑顔が売り物のレスラーだった。ただ欲を表に現さない性格だったため、一時代を築くまでには至らなかった。まさに未完の大器を地でいったのだ。得意技はローリング・ソバットや裏投げ。90年代の新日本プロレスが好きだったから、馳浩やスタイナー兄弟に憧れ大きな影響を受けたのだ。
もう少しでも、人を押しのけてでもと貪欲だったら記憶にも、記録にも残る大レスラ . . . 本文を読む
みなみ鈴香は本当に欲が無く、パートナーの北斗晶に尽くした名バイプレーヤーだった。そのナチュラルなパワーは、まるで女ジャンボ鶴田のようで体力もあり、スタミナも抜群。LLPWとの対抗戦では、その強さをいかんなく発揮。全女では7番バッターだったが、圧倒的な存在感を示した。それでも、みなみはオール・パシフィック王座を3度も獲得。WWWA世界タッグも1年間無敗を通した。 . . . 本文を読む
クラッシュ・ギャルズの引退後、その座を一番先に与えられたのが西脇充子だった。堀田祐美子とのファイヤージェッッがイマイチ人気が出なったため、今度はピンで台頭してきた。大型でビジュアルも良かったから、もう少し人気があってもよかったが迷走期ゆえ爆発することはなかった。
西脇は1989年の「ジャパン・グランプリ」と「タッグリーグ・ザ・ベスト」に優勝。エースのレールに乗るかと思われたが、ブル中野と . . . 本文を読む
ダンプ、ブルに次ぐ極悪同盟第3の女として活躍したのがコンドル斎藤だった。コンドルはタイガーマスクに憧れ、この世界に入ってきたが…なぜか極悪となったが、これまでの肉弾殺法を得意とした先輩たちと違い、ビジュアルにもこだわった綺麗なヒールであった。
何しろ絵を描くのが得意だから、ダンプのメークアップ係りに抜てきされ、広い背中や肩に様々なアートを描いた。
プロレスでの得意技は空手仕込みの三日月蹴 . . . 本文を読む
私がまだ一介の広報担当だった頃、定期的に何人かの選手を集め、集合写真を撮影したものだ。ジャッキー佐藤がWWWA世界王者時代、ナンシー久美&ルーシー加山がWWWA世界タッグ、トミー青山はオール・パシフィック、そして若手の横田利美(ジャガー)が全日本ジュニア王者だった。
ジャガーの珍しいジュニア王者のベルト姿、本名の北村智子でジュニアを獲得したライオネス飛鳥の写真も懐かしい。これぞ秘蔵写真な . . . 本文を読む
ジャンボ堀は大らかで、豪快なプロレスラーらしい性格の持ち主だった。実際は2歳年上の後輩、大森ゆかりは遊び仲間でいつも一緒に行動していた。飲んで食って騒いでをモットーとし、ジャンボの周りは笑いが絶えなかったのだ。22歳で寿引退し、元相撲取りの旦那とちゃんこ屋を経営していたが、子供が大きくなったところで離婚。癌も患ったが突然、リングに復帰。極悪興行やLLPWを中心に活動している。公称180センチと . . . 本文を読む
現役時代の山崎五紀は孤高の戦士のようなたたずまいで、常にストイックで俊敏なファイトを見せてくれた。そのスピードと反射神経は、まるで野性の勘の如く駆け回った。WWF遠征でアメリカと出会い、引退後はニューヨークで日本レストランを経営するご主人と順風な生活をしている。
その感性はいい意味でアメリカ・ナイズされ、世界の大都市ビッグアップルで成功を収めているのだ。08年夏に限定復帰を果たしたが、その . . . 本文を読む
クラッシュ時代の多くはTシャツをコスチューム代わりにしていたが、ターニング・ポイントではファンの視線を独占した。ボクサー風のフード付きガウンだったり、武将をイメージした戦闘服だったり…。試合だけでなく、常にファンに刺激を与えることに務めた。 . . . 本文を読む
80年代、クラッシュ・ギャルズの大ブームの中でマスコミ的にはクラッシュを越えた存在に化けたのがダンプ松本であり、極悪同盟だった。当初はダンプとクレーン・ユウでスタートしたが、ブル中野の加入によりユウが追い出された。その後は勢力を拡大。”赤バス”と言われた専用の移動バスを持つようにもなったのだ。芸能活動ではクラッシュを遥かに凌ぎ、バラエティ番組、CM、ドラマと一般に通じるスターに君臨したのだ。 . . . 本文を読む
ジャガー横田は歴代WWWA世界王者として、通産4年9カ月の在籍期間を誇り、その間に11度の防衛を記録した。1985年8月の日本武道館でライオネス飛鳥を破り、王座を防衛すると真新しいベルトが贈呈された。そして旧赤いベルトはジャガーの功績を称え、永久保持となった。これはWWWAの赤いベルト史上でジャガーだけの快挙だった。 . . . 本文を読む
ご存知、80年代を代表する名タッグチーム。WWFの全米サーキットに参戦し、世界タッグ王座を奪取した栄光のレジェンド。立野記代はキャリア27年の大ベテランで現役。山崎五紀は米国在住でレストラン・オーナー夫人として有名だ。今夏限定で復活し、オールド・ファンを喜ばせた。 . . . 本文を読む
ルーシー加山は若くして、かなり落ち着いた色気を持った選手だった。16歳でデビューしたが、顔立ちはもう大人顔。そのファッションも若手の割には派手目で、マイペースを貫いた。全体で女子レスラーが15人にも満たない時代、ルーシーのセンスは際立った。 . . . 本文を読む
マミ熊野はちょっと小太りながら、美形でなかなか男好きする体型の持ち主だった。池下ユミと組みブラック・ペアとして活躍。エプロンから首を絞めて揺さぶる”人間絞首刑”を得意とし、その受身の派手さは抜群だった。 . . . 本文を読む
小さな体ながら華麗なるファイトでWWWA世界王者にもなった赤城マリ子は、TVを通じて登場した初めてのスター選手だった。以前、取材した際に「4番手、5番手だった私をファンとTV局が認めてくれた」と言っていた。元祖、ファンの後押しで台頭していった選手なのだ。白いコスチュームから繰り出すダイビング・ボディアタックやフライング・クロスチョップ、卍固めはマスカラスと猪木が同居していた。 . . . 本文を読む