ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

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女子ガイコク人列伝(第28話)テリー・パワー

2008年12月30日 21時23分32秒 | 女子ガイコク人列伝
1964年8月20日生まれ、米国ワイオミング州シャイアン出身。173cm、72kg。 (得意技)フランケンシュタイナー、パワースラム
 本名テリー・ポック。ボディービルディングで活躍し、全米の各タイトルを獲得。一説にはストリップでダンサーをしていた過去もあるというが、ブライアン・アダムスの目に止まり、89年にオレゴンでマネジャーとしてプロレス入り。90年1月にはハイディー・リー・モーガンの紹介でデビューを果たした。ブレッド・レイガンスの道場で本格的にレスリングを学び、レイガンスの推薦もあり女子プロレスのTVテーピング団体であるLPWAの専属として活躍。同じボディビル出身のレジー・ベネットとのタッグで売り出し、91年7月にジャパン女子プロレスに初来日した。
 ところがジャパン女子の解散で、日本での活動はストップ。92年3月にはレディXを破り、第3代LPWA世界王座を奪取した。同年6月にテリーは単身日本にやって来て、全女への参戦を打診してきた。当時の全女はデビー・マレンコとシンティア・モレノが長期滞在型として、活動中だったが、私はテリーの鍛えられたマッスルに期待し、参戦を認めることにした。
 テリーは意外に俊敏で、スコット・スタイナーばりにフランケンシュタイナーを得意技にした。またボディリフトからの投げは迫力があり、徐々に日本に慣れてきた。93年2月には当時、デビー・マレンコの持つ全日本王座に挑戦のチャンスを与えたが、日本マットでのキャリアではデビーが勝り、テリーは敗退。さらに肩を負傷し、帰国を余儀なくされた。
 テリーは落ち着いた雰囲気のいかにも大人だったが、意外な一面もあった。捨て猫を拾ってきてアパートで飼っていたことがあり、旅中も猫をそのまま置いていたため部屋で暴れてしまい、その臭いやら汚物やらで部屋がメチャメチャになった。そのクリーニング代や壁紙の張替えでうん十万円もかかったのだ。
 帰国したテリーは、リンパ腫にかかり闘病生活を送ったが、その後はWWEに抜てきされメジャー・リーグ入りを果たした。リングネームをトーリーとしたが、これは“悟り”から取ったという。それだけ親日家だったが、日本で復活することなくリングを後にした。



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