ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

女子ガイコク人列伝(第31話)アルダ・モレノ

2009年01月07日 17時06分28秒 | 女子ガイコク人列伝
1974年3月6日生まれ、メキシコシティ出身。146cm、56kg (得意技)トペ・コンヒーロ、ミステリオ・ラナ
 本名アルダ・モレノ・レオン。モレノ一家の末娘として生まれ、幼い頃から必然とルチャのある生活で育った。8歳の頃から義兄のドクトル・ワグナー・ジュニアや、兄のオリエンタルからルチャを学び、90年1月12日に実家のあるアステカ・ブドーカンでデビューを果たした。
 エステルばりの空中殺法と陽気で明るい性格で人気者となり、91年にはエステル&シンティアの姉と共に来日。この時は試合をするためではなく、観光を兼ねてのものだった。全女の選手からは体が小さいから“ミニラ”の愛称を付けられていたが、「ゴジラの子供の名前」と教えると、笑いながらも怒っていたものだ。
 93年にはタイガーウーマンに変身し活動したが、首を痛め欠場し、復帰後はアステカ・ブドーカンを主戦場にEMLLマットに出場した。96年にはJd’に参戦。これがルチャドールとしては初来日になるが、エステルとのタッグや対決も実現。エステルを一回り小さくしたような雰囲気だったが…。私はチャパリータASARIの持つWWWA世界スーパー・ライト級王座の挑戦者として、ペケーニャ・アステカというマスクウーマンにさせたことがあった。本人も結構気に入っていた様子で、マスクをたくさん作っては会場で販売をしていたほど。素顔のアルダもエステルほどではないがおしゃべりが好きで、日本人選手の人気者だった。
 帰国後は姉たち同様AAAに移籍。テクニカとしてレディ・アパッチェやエストロジータとタッグを組んだりした。私はアルシオン時代に、別のマスクを被せて来日させたことがあったが、最初は威勢が良かったものの、滞在中にはなぜか大人しくなったのだ。「わたし結婚するから…」とAAAのルチャドールと結婚。意外と家庭的なところのあるアルダは二児の子宝に恵まれた。旦那はルチャドールを引退し、マイクロ・バスを購入してAAAの専属運転手として毎日、各地を転戦する。08年9月、久しぶりにアステカ・ブドーカンを訪ねた。7年ぶりに会ったアルダは落ち着いた雰囲気になっていたが、速射砲のように話し出した。帰りに友人に日本語で書いてもらった手紙を私にくれた。そこには「最初に日本に行った時、そして最後に日本に行った時、小川さんが私にチャンスを与えてくれたことを本当に本当に感謝しています…」とあった。やっぱり私とモレノ一家は、切っても切れない関係のようだ。

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