ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

女子ガイコク人列伝(第16話)プリンセス・ビクトリア

2008年12月12日 13時32分40秒 | 女子ガイコク人列伝
1962年5月5日生まれ、カナダ、ブリティッシュ・コロムビア州出身。175㎝、65kg (得意技)ブレーン・バスター、インディアン・チョップ
 祖父はインディアン・レスラーのルーツといわれるチーフ・サンダーバード。生粋のインディアンとして育ったが、ハイスクールを卒業と同時にプロレスラーとしての道を歩む。ローマ五輪米国代表だったデール・ルイスや、サンダー・バーにコーチされ、80年11月デビュー。その後、ファビュラス・ムーラのブッキング・オフィスに入り、サブリナとの美人コンビで活躍した。
 日本には82年7月、全女に初来日。ウエンディ・リヒターのパートナーとして、日本のイロハを学んだ。私は全女の広報担当だったから、来日前に宣材写真を入手し、ポスターなどに使用。インディアンの羽飾りを付け、弓矢を持った姿はまさに本物のインディアンそのもの。初めて会ったビッキー(ニックネーム)は、身長も高く、スタイルも良かったから、米マット次代のスター候補のようだった。彼女は当時、あのロディ・パイパーのガールフレンドであり、いつもパイパーのことを自慢していたっけ。
 58年1月の来日では、ミミ萩原の持つオール・パシフィック王座に挑戦。このタイトルマッチ、何と千葉県の木更津市で開催されたのだった。ビッキーとミミのタイトルマッチ、なんてレアなんだろう。気性が激しく、血の気の多いファイターのビッキーはミミの前に敗れ去った。
 数回の来日ですっかりビッキーとは打ち解けたが…クラッシュ・ギャルズ人気が爆発的になると、ムーラのブッキングはレイ・ラニ・カイ、ジュディ・マーチン、ベルベット・マッキンタイヤーに限られてきた。だからビッキーは、その後日本マットから消えた存在になってしまったのだ。


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