プラム麻里子さんが亡くなって、今日で13回忌にあたるという。後楽園ホールではOZアカデミーとLLPWが、追悼マッチを行うがこれは供養みたいなものだ。1997年8月というと、女子プロレス界は揺れに揺れていた。全女の大量離脱が巻き起こった月であり、この事故も含め忘れられない事件が相次いだのだ。
私は当時、全女の在籍していたが…新団体の旗揚げを目指し動き始めた時期。そんな矢先に、プラムさんが逝ってしまったのだ。彼女はJWP所属で、サンボのテクニックを本格的に、女子プロレスの中に導入した先駆者。ふっくらとした顔立ち、下町のスナックにいそうな癒し系の雰囲気は、キューティー鈴木とは違ったJWPの花だった。
毎年、プラムさんを追悼し、懐かしむ大会が開催されるが、仲間がいつまでも彼女を思う気持ちは大切なこと。もう映像でしか、動く姿は見られないが、その妙技は一見の価値があるのだ。
私は当時、全女の在籍していたが…新団体の旗揚げを目指し動き始めた時期。そんな矢先に、プラムさんが逝ってしまったのだ。彼女はJWP所属で、サンボのテクニックを本格的に、女子プロレスの中に導入した先駆者。ふっくらとした顔立ち、下町のスナックにいそうな癒し系の雰囲気は、キューティー鈴木とは違ったJWPの花だった。
毎年、プラムさんを追悼し、懐かしむ大会が開催されるが、仲間がいつまでも彼女を思う気持ちは大切なこと。もう映像でしか、動く姿は見られないが、その妙技は一見の価値があるのだ。