次に紹介するのは、おうし座にある超新星残骸のM1。
通称「かに星雲」と呼ばれている。
なぜ「かに星雲」なのかというと、星雲の中に赤いフィラメント状の構造があって、これを“かにの足”のように見たてたのだそうだ。
でも、そのようには見えない。
“M1”は、メシエが作成した星雲星団カタログの第1番目に登録されているため。
最初の発見はメシエではなく、1731年にイギリスのヘビスによる。メシエの観測は1758年であった。その時の記述・・・。
「おうしの南の角の上にある星雲状のもので星を含まない。白っぽくローソクの炎のように長く伸びている。」
また1844年、ロス卿のよる記述・・・。
「もはや分解されない楕円形の星雲。主に星雲の南端からおどり出た多くのフィラメントが見えた。普通の星団とは異なり不規則であらゆる方向に向かっている。おそらく強力な力がほかのフィラメントを押し出したのだろう。これが星団の形を作ると思われる・・・」
かに星雲。実は歴史上の記述にも関わりをもっている。
冒頭に書いたとおり、この星雲は超新星の残骸。その元となった超新星が歴史上の記述として残っているのだ。
1054年に出現した超新星。その記述は、日本と中国に残されている。
日本では藤原定家の日誌「明月記」である。
客星(見なれぬ星のこと)が天関(おうし座の一部)と觜(オリオン座の一部)の近くの表れ、木星の如く輝く・・・とある。
実際当時は、金星くらいの明るさになり、23日間昼間でも肉眼で見え、のち2年間見えていたとある。
星雲星団の仲間は、何千年何万年もの寿命を持って輝いているものも多いのだけれど、出現のきっかけが人間の歴史に残って、たかだが(?)950年余しかない若い星なのだと思うと、ちょっと親しみも増す気がする。
通称「かに星雲」と呼ばれている。
なぜ「かに星雲」なのかというと、星雲の中に赤いフィラメント状の構造があって、これを“かにの足”のように見たてたのだそうだ。
でも、そのようには見えない。
“M1”は、メシエが作成した星雲星団カタログの第1番目に登録されているため。
最初の発見はメシエではなく、1731年にイギリスのヘビスによる。メシエの観測は1758年であった。その時の記述・・・。
「おうしの南の角の上にある星雲状のもので星を含まない。白っぽくローソクの炎のように長く伸びている。」
また1844年、ロス卿のよる記述・・・。
「もはや分解されない楕円形の星雲。主に星雲の南端からおどり出た多くのフィラメントが見えた。普通の星団とは異なり不規則であらゆる方向に向かっている。おそらく強力な力がほかのフィラメントを押し出したのだろう。これが星団の形を作ると思われる・・・」
かに星雲。実は歴史上の記述にも関わりをもっている。
冒頭に書いたとおり、この星雲は超新星の残骸。その元となった超新星が歴史上の記述として残っているのだ。
1054年に出現した超新星。その記述は、日本と中国に残されている。
日本では藤原定家の日誌「明月記」である。
客星(見なれぬ星のこと)が天関(おうし座の一部)と觜(オリオン座の一部)の近くの表れ、木星の如く輝く・・・とある。
実際当時は、金星くらいの明るさになり、23日間昼間でも肉眼で見え、のち2年間見えていたとある。
星雲星団の仲間は、何千年何万年もの寿命を持って輝いているものも多いのだけれど、出現のきっかけが人間の歴史に残って、たかだが(?)950年余しかない若い星なのだと思うと、ちょっと親しみも増す気がする。