ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

終戦記念日

2010-08-15 20:40:20 | Weblog
今日は、炎天下に墓参りをした。
暑かった。

お墓は埼玉の久喜にあるので、新宿から約1時間、電車に揺られた。
窓の外を眺めながら、むかし、この国は戦争を起こしたんだよなあ、と
漠然と考えた。

今年は、強制的に韓国を併合して100年。
世界中が帝国主義だったとか、
植民地を持たない国は先進国の仲間入りできなかったとか、
いろいろと日本なりの理由を並べることはできる。

でも、勝手に他国に入り込み、日本式の氏姓や日本語を強要した。
どんな大義名分を並べようとも、
朝鮮の人たちのアイデンティティを踏みにじったことに変わりはない。

私はいま、中国のチベット支配に抗議しているけれども、
むかし、日本も同じことをしていた。
その事実は、消すことができない。

小さい頃のことを思い出した。
いまから30年くらい前、傷痍軍人が物乞いをしていた。
上野や東京、新宿はもちろん、私の自宅のそばの駅の前にもいた。
足がない人や手がない人が、汚い格好で座っている。
母に「かわいそう」と言ったら、
「怪我している軍人さんたちは、国から恩給をもらっているから大丈夫よ」と言われた。
「恩給をもらっているのに、なんで乞食なの?」と聞いた。

そこで、うやむやにしないのが、母のいいところだ。
その後数日して、母から、恩給をもらえない軍人さんたちがいることを教えてもらった。
そういう人たちは、主に、朝鮮や台湾の人たちだと。

小さいころ、よく遊びに行ったお家のおじさんは、
中国大陸に出兵した経験をもっていた。
お酒に酔うと、いつも戦争の話になった。
おじさんは、いつも同じ中国語をしゃべる。
ある日、母に「おじさんは中国語が話せるんだね。すごいね」と言ったら、
母から「あのおじさんが話せるのは、パンツを脱いで股を開け、っていう中国語だけよ」
と言われた。ショックだった。私にはすごく優しいおじさんだったから。

私の祖父は、私が幼稚園生のときに亡くなったから、
祖父から戦争の話を聞いたことはない。
でも、祖父と祖母の出会いは戦争の時期だったと聞いたことがあったから、
今日、叔父に聞いてみた。
祖父は、戦争のときに、空を飛ぶ飛行機が、
友軍機か敵機かを見て報告する任務についていたとき、
埼玉に来て、祖母と知り合い結婚したと言うことだった。

戦争によって引き裂かれた家族もあれば、
戦争によって始まった家族もあったということだ。

数年前に、太平洋のパラオに行った。
社員旅行だったから、個人行動はできなかったけれど、
パラオも戦地だったから、心の中で日本兵のみなさんに手を合わせた。

パラオで、ものすごく赤い夕焼けを見た時、
自然の偉大さや美しさを考えるよりも前に、
これは、日本軍が太平洋で味わった地獄の業火なんだな、と思ってしまい、
それが頭から離れなかった。

まるで王侯貴族のように、現地の人たちにお世話してもらいながら、
リゾート用に開かれたホテルで、ゆっくりするなんてできなかった。
リゾートを満喫する前に、まずお祈りを捧げるべきだ、という気持ちが心から離れなかった。

そんなことを考えた今日いちにち、
帰り道、心の底から、「いま、私はしあわせです。ありがとうございます」と
言いたい気持ちになった。


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2 コメント

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戦後から高度成長期の労働者という兵隊 (村石太マン1965s)
2010-08-15 21:10:12
戦争が おきないように。
現代社会の人口密度と都市計画 
教育スタイル 暮らしと文化芸術
中国が ベビーブームが 何年か前にあったという。中国の経済の力は 今すごい 
返信する
GDP (りょう)
2010-08-16 19:35:25
4-6のGDPが出ましたね。
今年のうちに「世界第2位の経済大国」の座を
中国にあけわたすことになるのですね。
返信する

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