とにかくブハラはいい。
観光のメインとなる地区は、あまりクルマも入ってこないので、とても静か。
てくてく歩くにはちょうどいい広さだし、サマルカンドよりも観光地化している。
地元の人にとっては、迷惑な話かもしれないけど。
泊まっているホテルはマリカ・ブハラ。とてもきれいで快適。
部屋が1階でフロントに近かったので、部屋のなかでWi-Fiがつながった。
この点だけでも、サマルカンドより外人に慣れているような印象を受けた。
ただ、これはサマルカンドのホテルも同じだったんだけど、防音はほとんどない。
昨日は夜中の2時に、上の階の人がドタバタ走り回っていて、その音で起きてしまったし、
ロビーの話し声や、外の道を歩く人の声(サマルカンドやブハラの人の声は決して大きくない)、
クルマやクラクションがよくよく聞こえる。
まあ、長屋にいると思えば、こんなもんか。
警戒心の強い人には、夜は決して快適とは言えない環境だと思う。
ホテルの朝食は、サマルカンドと似たような感じだった。
今日は8時30分から散策開始。午前中は曇っていた。
まずは、カラーン・ミナレットヘ行く。
お店の準備中。
チンギス・ハンも見上げた同じカラーン・ミナレット。
ブハラのシンボルで、多くのキャラバンがこの塔を目指してやってきた。
次に、アルク城へ。城壁をぐるっと回る。
おそらく本当に古いもの、比較的新しいもの、最近修復されたもの、の3層が見えて、
裏側もなかなか面白い。
入り口にいた切符売りのお兄さんがとても親切で、
アルク城のビューポイントまで連れて行ってくれた。
アルク城は、モンゴルが攻め込んだとき、住民も立て込んで応戦したところ。
モンゴルによって破戒された城をその後修復し、
そして20世紀、ソビエト領となったあと、ボルシェビキによって再び破戒された。
いまは何も残っていない。
ただ、昔と同じように、ブハラの町を一望することはできる。
がれきをよく見ると、たまに色や模様がついた破片があった。
次に、バラハウズ・モスクへ。ここは、ブハラ・ハン専用のモスクだったらしい。
天井を見上げたら、すごく北京の故宮と似ているような気がした。
チャシュマ・アイユブという予言者ヨブの泉へ行くと、中にわき水が出ていた。
白人さんたちが、すごい勢いでガブガブ飲んでいたので、遠巻きに眺め外へ。
イスマイール・サーマーニ廟へ向かって歩いていたら、かわいい女の子に英語で話しかけられた。
10歳だと言っていたけど、今日は学校ではないのだろうか。
道ばたに咲いていた花を摘んで、プレゼントしてくれた。私はお返しに、キャラメルをあげた。
そして、一緒に廟に入って、イスラム式のお祈りを教えてくれた。
廟から出ると、前にアメリカ人のグループがいて、
その女の子は、そちらに向かって走って行ってしまった。
やはりどこの国でもかわいい子は移り気だな、と思いながら、もらった花とともに写真を1枚。
すると、女の子がいそいで走って追いかけて来る。
口の中でなにかをころがしているから、どうやらキャラメルが威力を発揮したようだ。
ブハラの入り口が復元されているタリバチ門と城壁の前で、写真を撮らせてもらった。
慣れてるなあ。
写真ではよくわからないけど、ずっと先の方で、男女がイチャイチャしていた。
無粋にも、横を通らせてもらいました。でも、気にせず続けていたから、まあいいでしょう。
私は外国人だし、異教徒だから、風紀がどおの、とは申しません。
それにしても、10歳の少女と私の英会話力がほぼ同等って、やはりマズいと思った。
観光のメインとなる地区は、あまりクルマも入ってこないので、とても静か。
てくてく歩くにはちょうどいい広さだし、サマルカンドよりも観光地化している。
地元の人にとっては、迷惑な話かもしれないけど。
泊まっているホテルはマリカ・ブハラ。とてもきれいで快適。
部屋が1階でフロントに近かったので、部屋のなかでWi-Fiがつながった。
この点だけでも、サマルカンドより外人に慣れているような印象を受けた。
ただ、これはサマルカンドのホテルも同じだったんだけど、防音はほとんどない。
昨日は夜中の2時に、上の階の人がドタバタ走り回っていて、その音で起きてしまったし、
ロビーの話し声や、外の道を歩く人の声(サマルカンドやブハラの人の声は決して大きくない)、
クルマやクラクションがよくよく聞こえる。
まあ、長屋にいると思えば、こんなもんか。
警戒心の強い人には、夜は決して快適とは言えない環境だと思う。
ホテルの朝食は、サマルカンドと似たような感じだった。
今日は8時30分から散策開始。午前中は曇っていた。
まずは、カラーン・ミナレットヘ行く。
お店の準備中。
チンギス・ハンも見上げた同じカラーン・ミナレット。
ブハラのシンボルで、多くのキャラバンがこの塔を目指してやってきた。
次に、アルク城へ。城壁をぐるっと回る。
おそらく本当に古いもの、比較的新しいもの、最近修復されたもの、の3層が見えて、
裏側もなかなか面白い。
入り口にいた切符売りのお兄さんがとても親切で、
アルク城のビューポイントまで連れて行ってくれた。
アルク城は、モンゴルが攻め込んだとき、住民も立て込んで応戦したところ。
モンゴルによって破戒された城をその後修復し、
そして20世紀、ソビエト領となったあと、ボルシェビキによって再び破戒された。
いまは何も残っていない。
ただ、昔と同じように、ブハラの町を一望することはできる。
がれきをよく見ると、たまに色や模様がついた破片があった。
次に、バラハウズ・モスクへ。ここは、ブハラ・ハン専用のモスクだったらしい。
天井を見上げたら、すごく北京の故宮と似ているような気がした。
チャシュマ・アイユブという予言者ヨブの泉へ行くと、中にわき水が出ていた。
白人さんたちが、すごい勢いでガブガブ飲んでいたので、遠巻きに眺め外へ。
イスマイール・サーマーニ廟へ向かって歩いていたら、かわいい女の子に英語で話しかけられた。
10歳だと言っていたけど、今日は学校ではないのだろうか。
道ばたに咲いていた花を摘んで、プレゼントしてくれた。私はお返しに、キャラメルをあげた。
そして、一緒に廟に入って、イスラム式のお祈りを教えてくれた。
廟から出ると、前にアメリカ人のグループがいて、
その女の子は、そちらに向かって走って行ってしまった。
やはりどこの国でもかわいい子は移り気だな、と思いながら、もらった花とともに写真を1枚。
すると、女の子がいそいで走って追いかけて来る。
口の中でなにかをころがしているから、どうやらキャラメルが威力を発揮したようだ。
ブハラの入り口が復元されているタリバチ門と城壁の前で、写真を撮らせてもらった。
慣れてるなあ。
写真ではよくわからないけど、ずっと先の方で、男女がイチャイチャしていた。
無粋にも、横を通らせてもらいました。でも、気にせず続けていたから、まあいいでしょう。
私は外国人だし、異教徒だから、風紀がどおの、とは申しません。
それにしても、10歳の少女と私の英会話力がほぼ同等って、やはりマズいと思った。