ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ほんのりと

2011-03-16 23:19:47 | Weblog
朝の電車で、「今日どうしても出社する必要があるわけではないのに出社するらしき男性」
「自分の習慣だから、という理由により、マイペースに外出するお年寄り」
といった人を眺めながら、
被爆国、70年安保、冷戦からの「影響」というか、「つながり」を、つらつらと考えた。

まだまとまっていないけれど、
いずれ笠井潔氏あたりが評論に書いてくれるような気がするので、
それを楽しみにしている。
それまでは、被曝しても生きるぞ。

なぜ、あの人ではなく私が生き残ったのか、
逆にいうと、なぜ私は生き残りあの人が死んだのか。
そこにある罪悪感と優越感。
これを突き詰めるほどひどい現実は、東京では起きていない。

70年安保は、正直に言ってよくわからない。
親も、これについて、いつも言葉を濁していたので、
イメージがつかめないから。

冷戦は、私にもぼんやりと記憶がある。
誰かが核のボタンを押したらおしまい。
日本は非武装で、米ソの中間にあって、まな板の上の鯉。

原発が暴走しても、比較的あきらめモードが先行しているのは、
被爆国であること、そして「武装することは悪。武装するくらいなら横並びに座して死のう」と、
学校で左翼から執拗に教え込まれたことによる必然的な結果のような気がする。
誰かが何とかしてくれるのを待つ。
誰かがどうすることもできなかったら、なんとなく逃げるか、
日本はもうどこへ行っても同じだから、しょうがないからここで死ぬ。

これって、非武装で、アメリカの軍事力のもとにあった国民にとっては、
当然の思考ではないだろうか。

ほら、世界のみなさん、日本を守りたくなったでしょ。
という、媚を感じてしまう。ほんのりと。


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