りつこの昨日今日

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昔きものと今きもの展、おわりました

2018-05-31 21:04:11 | 日記
お天気にも恵まれて良い会となりました。初日の土曜日には私の所属する句会のメンバーさんたちが集まって連句を楽しまれたのも嬉しいことでした。
新聞にも折り込み広告を入れたのですが、やはりリピーターの方がお友達と来てくださる、というパターンが多く、ゴタゴタしてもお客様同士で、これどう?とかあれを着てみて、とかがとても楽しいのです。
襟を付けて着てみると顔映りがよく分かって、似合うものがはっきりとします。やはり生地の良いものは着姿がきれいだし、と、これがリサイクル着物の良いところですね。
お客様のお顔や雰囲気から、この着物がお似合いじゃないかしら、とお合わせするのですが、中には、着物を見るとお顔が浮かぶこともあります。
あー、この着物、あの方が着たらぴったりなはず、と。そして、それがハマった時は本当に嬉しくて、嬉しくて。
職人さんが手間ひまと持てる技術をかけて出来上がっている着物を、まだ何度も着ない内に、あるいは一度も着ないでリサイクルに出てしまうことさえあるのです。ここならほんのお小遣いで楽しめる、ね、着物、着てみましょう!新しい自分探しのためにも。
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五月のエッセイ

2018-05-16 12:40:51 | 日記

 

 五月の空そして再生可能エネルギー

 

 郵便局でもらったカレンダーの五月はうちの裏?と思うほど北浅川にそっくりだ。群馬県安中市仲宿と書いてある。半分が青空、半分が緑の山と流れる川だ。白い雲が浮かぶ空にはトンビが一羽旋回している。

 この空こそ私たちの故郷なのだ。

 

十三日の東京新聞朝刊一面におなじみのセンターパーツの白髪が大写しになっていた。311の原発禍以来、脱原発を掲げて動きを見せている元首相、小泉純一郎だ。「原発のない国へ」のキャンペーンを組み、元総理への単独インタビューである。

「原発支援のカネを自然エネルギーに向ければ、原発が供給していた30%程度の電力は10年で自然エネルギーで供給でき、将来、全電源を自然エネルギーでできる国になる」

「首相の権限は強い。もし首相が〈原発ゼロを〉決断すれば、自民党はそんなに反対しない。首相が決断すれば野党は黙っていても喜んで協力する」

世界的に見ても再生可能エネルギーの普及は目覚ましいものがあって、2040年には70%近くを賄えるようになるとみられている。ところが安倍政権はいまだに原発20%を崩さず、再生エネへの道を開こうともしない。

経済産業省には、総合資源エネルギー調査会というものがあり「意見箱」を開設している。その内容を分析すると3分の2が原発の再稼働に反対している、というのだ。ところが調査会ではこの多数意見は全く議論の対象とはならず黙殺状態なのだそうだ。経産省の選んだメンバーの大多数が原発産業の利害関係者というから、推して知るべし、なのだろう。

 昨年十一月、習近平が中国共産党大会で党を挙げて再生可能エネルギーの普及に取り組むと述べ、2050年までには80パーセントを再生可能エネルギーに転換すると宣言した。政府指導の術開発による設備の低価格化と蓄電装置の改良によって、もはや持続的補給が可能なエネルギーになっているという。

 一方、日本では原発を所有する電力会社が

送電線の権利を握っているために、太陽光発電を立ち上げても、設備投資に金がかかり、電力会社の方針が変わるたびに影響を受けて利益と結びつかないと、撤退することが多いと聞く。

 小泉氏は自分の経験から、政府さえその気になれば、いつでも原発から再生可能エネルギーへの転換は可能なのだと説く。しかしいつか核兵器を持ちたいという夢に固執する安倍政権では、それは不可能と。「自民党をぶっ壊す」と言って古い体質を壊すことに躍起となった人ならではの言葉とも感じられた。

 

 オーストラリアの友人の住む村はどの家にも太陽光パネルが屋根に在って、足りない時だけ外からの電気を受けるのが普通だと言っていた。余った時は電力会社が買い取るということだったが、日本ではこの方式を採用するには、まだまだ費用がかさみ、手軽にはいかない。それでも少しづつ増えてきたが。

家庭用の太陽光パネルと蓄電池システム、南の高い片屋根の家では難しいといわれてしまったけれど、やっぱり欲しいなあ。この空を孫子の代へと残すために。〈201805〉

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昔きものと今きもの

2018-05-07 11:35:08 | 日記

 すっきりと晴れた空、花の香りがいっぱいのこの頃は着物を着て歩きたくなります。もうそろそろ単衣かしらと思いながらも、今日は藍染めの結城を。帯はバリ島のお土産のろうけつ染めをミシンで名古屋帯に仕立てたもの。やはり 藍を基調に茶や青などが斜め模様になっています。結城は昔、古着屋さんで見つけたもの。柔らかく丈夫で無地に近い細かな亀甲模様なのでどの帯にも合わせやすく、つい手が出てしまいます。

 この季節、母たちは「帯付き」と呼んでいました。コートを脱ぎ、肩掛けも羽織も不要となって、いよいよ好きな帯を見せて歩く時、ということでしょうか。

 母たちがおしゃれをしたい頃はずっと戦争と戦後。もう二度とモンペは着たくないと云っていた母でしたが、気に入ったものを身に着けるためには、ずいぶんと工夫が必要だったと思います。頂き物の着回しはもとより、色柄の良い風呂敷や服地でも帯を作っていました。派手になった着物は長襦袢や羽織にしたり、子供のものを作ったり。手作業なくしてはおしゃれなんてできなかったのですね。

 私も母のお下がりの時代を過ぎ、何枚か新しいものも作って貰いましたが、昔ものの色や柄が大好きで、家庭をもって余裕もなかったので、古着屋さんはいつも大好きな場所でした。夫〈陶芸作家〉の個展やパーティーなどに洋服より安上がりだったのです。「大島三代、結城末代」なんて言葉も聞き覚えると、そんなに長い命があるはずの着物を自分が受け継がなくてどうする、みたいな気持ちにもなっていました。

 ある日、由緒ある家柄の友達から、引っ越すので置き場がないからと、どっさり着物が送られてきました。なんと映画などで見るだけの古い打掛けや手描きの裾模様、由緒ありげな子供の祝い着などまで!これを何とか生かす方法はないかと陶芸のために作ったギャラリーでの「着物展」を考えたのです。自分の蒐集したものも含めて見ていただき、着られるものはお譲りしました。60過ぎて呉服業界に飛び込み、たくさん勉強もできて数年、やはり自分は着られなくなった着物をどうにかしたい、と思うようになったのです。

 今、年に2回、ほんのささやかな展示会をしてみていただいています。

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昔きものと今きもの

2018-05-07 10:45:54 | 日記

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