今年は珍しくウチの枇杷がたくさん成りました。枇杷には焼け跡時代の思い入れがあって、もう何十年も前に植えたのですが、日当たりのせいか背ばかり伸びてほとんど実をつけなかったのに、今年はどういうわけか、たくさん。甘くはならないかと思いきや、それなりに美味しくなってきました。
昭和19年生まれのわたしが小学校に入学する前の頃でしょうか、麻布広尾町と言ったあの辺りは一面の焼け野原。うちの両隣り以外はほとんど焼けて、前の日赤看護学校も草むらの中。5、6分歩いた崖の上には電電公社の瓦礫、と呼んでいたのですが、が広々と見捨てられていました。コンクリートの建物は瓦礫となっても、春には沈丁花に始まり、梔子、露草、躑躅、瀉下が遊び場を満たしていました。そしてこの季節!看護学校には桑の実がたくさんなって、スモックの大きなポケットを紫色に染めては叱られたものでした。それでも甘いものの滅多にない日々、黄色の木苺と桑は探しに行く価値があったのです。
電電公社の崖の上に迫り出した枇杷の木に黄色の実がなっているのを見つけたのも4.5歳の頃でしょうか、幼稚園に行かないわたしはいつも一人でしたから。庭の猿滑りの木に慣れたわたしは木登りが得意。たわわな枇杷の実を取っては下に落として食べたのだと思います。
今でも桑の実や枇杷のなっているのを見るとワクワクしてしまうのはこの原点があるからなのでしょうか。
散歩する河原に竹藪があり、この時季誰もが目を凝らしながら歩いています。上手な人たちは藪に入って自転車いっぱいに取って帰るようですが、土手の上から見えるだけでもこれくらいの収穫はあります。帰ると皮を剥がして圧力鍋で茹でます。これが毎日のルーティン。刺身で食べたり、今のお気に入りは胡麻油で炒めて魚醤と醤油で味付け、そのままでも立派なおかずになります。
梅もポツポツ落ち始めています。去年は梅干し中心で甘煮が足りなくなったので、今年は甘いほうをたくさんのつもり。昔はよく茹で溢して種を取ってジャムにしていたけれど、何年か前、古い炊飯器の保温で低温調理を知ってから、なんと簡単なこと、70パーセントのお砂糖だけ入れて、数日、忘れた頃には甘露煮ができています。これを一年中、ヨーグルトにかけて食べています。
採集生活の忙しい近頃です。