ほんの十日前には花韮とスノードロップで真っ白の中に赤いチューリップが揺れていた小さな庭は、今日はテッセンの濃い紫、真っ赤なツツジ、クリスマスローズとジャーマンアイリスへと色が全く変わって、白いモッコウバラや大手毬と白は高い位置に。
これが角度だけ変えた同じ場所なのです。
この時期の花々の変化は驚くばかりです。
これが角度だけ変えた同じ場所なのです。
散歩道にも鶯よりも雉の声が目立つし、今年、何度も食べたイタドリはすっかり木のようになって菜花は背の高い菜の花に。昨今のお土産はもっぱら芹になりました。
Google Photoが去年、二年前などと見せてくれるので、ああ、今年は踊り子草が遅いとか、あそこの藤はどうしたんだろうなどと探してしまいます。
太平洋戦争の状況が厳しくなって、丙種合格という病気がちだった父まで召集されたとか、そんな時に私は生まれたのですね。そして戦後の貧しさに育ちました。爆撃で崩れた焼け跡に草が茂り花が咲いて私たちには忘れ難い遊び場所でした。七十年以上の時が過ぎ、戦争の面影はもうどこにも見られなくなった今年、戦争が起きてしまいました。テレビに映る破壊された街は現実のもの、あの瓦礫には、まだまだ草も花もありません。
この爛漫の春に、なにか重い固まりが喉の奥にあって、人間の愚かさばかりが思われる誕生日なのです。