春が来た
足下にイヌフグリの小さな花を見つけ、思わずしゃがみ込む。まだほんの二三個だけれどしっかりと青と白の花を開いていた。 そして同じ日、近所の梅畑に、道路側の一本だけが咲いているのを見つけた。そうなると春はどこにも見つけられるようになる。
「あ、ラッパ水仙のつぼみだ」
「中州に見えるのは芥子菜じゃないかしら」
「あ、クレソンを摘んでる人がいる」
何日もせずに芥子菜を摘める場所が見つかった。こちらの岸だ。ハンカチにくるんで持ち帰り、まずは大切にベーコンと青菜のパスタ。 生卵とマヨネーズで和えるのがうちのやり方だ。たくさん取れるようになったらピリッとした芥子菜漬けにする。 家の周りを一回りしたけれど蕗の薹はまだ出ていない。蕗味噌はいつ食べられるかな、と待ち遠しい。
蕗の薹見付けし今日はこれでよし 細見綾子の句だ。
でも、あれ、ほんの一寸、甘草の芽が出ている。これは楽しみだ。芥子酢味噌か白和えか?
甘草の芽のとびとびのひとならび 高野素十も春はこの甘草を見ていたのだなと嬉しくなる。
食べるばかりが春じゃない。この数日で梅がすっかり満開となり、家の小さな紅梅も咲揃った。足下に見つけたイヌフグリは、誰かの俳句のように「地の星」となってキラキラ輝いている。
そんなとき、本当に突然、
「河津桜を見に行こうか。馬場さんが修善寺の窯を見に来てくれって、電話してきたから。明日、行くぞ」
いつもそうだけれど、一言文句を言いたくなる。
「そんならいいよ、俺、一人で行く」
「はいはい、喜んでお供します。河津桜は久しぶりだものね。」
やっと雨の上がった中央道で。急ぐ旅じゃなし、好きな道を通りたいからとこちらへ来たが、あいにく山中湖を過ぎるころから濃い霧が出て、軽快な走りとはいかなくなった。それでも土地勘のある伊豆半島、ほぼ予定通りに修善寺の窯場に着く。 仕事の話の間、私は斜面にいっぱい転がっている小ぶりの夏ミカンを拾い集めた。三十年以上も昔、親戚のミカン畑で、車のトランク一杯の夏ミカンを貰ってすごく酸っぱかったことを思い出した。 「でもいいや、今なら暇だから何かできるだろう。サラダに絞ってもおいしいし」 焼き物の話が終わるころにはエコバッグにほぼいっぱいのミカンが集まった。
河津の桜は今が満開で、昔のように車を止めてのんびり、という感じではない。人、人、人。縁日さながらの屋台が並び、一周するうちに満腹感が先立ってしまった。ましてや夫は今、玄米ダイエットの真っ最中だ。早く退散したほうがいい。 国道I号線を目指して走っていると『一夜城歴史公園』の看板が見えた。
「秀吉と家康が一緒に立ち小便したっていうあの一夜城だろう。面白そうじゃないか」
と急遽左へ上る。広い駐車場には河津桜が満開。本丸跡までの急坂はハイキング用に整備され、ご自由にお使いください、と書かれた杖がたくさん置いてある。蕾の膨らんだ辛夷をはじめ、高い木々の下にシャガだけがいっぱいに広がっている。なんとも爽やかな広がりだ。 目の下には小田原の町が、そしてその向こうに海が一望できる。 籠城する北条氏らの戦闘意欲を削ぐために、 周りの立ち木を切り、小屋組みを作り、そこへ白壁と見せるように紙を張り付け、まるで一夜にして城が建ったか、と思わせたのだという。陸は三方向を囲み、海岸にも布陣したと説明が書いてあった。 人気はなく二人きりでしばし戦国のロマン?否、講談話のロマンに浸った。
予定より少し遅くなったので、帰りは東名、圏央道で帰った。 あのミカン、なんととてもおいしかった。 〈2018 03〉