待ち望んだ梅が開き始めると、すべてが始まる気がします。日脚も伸びて、春の花が毎日のように見つかります。
いぬふぐりの見つかった時はいつも日付を付けておきたくなるのです。そして蕗の薹、まだ固く小さいけれど発見の嬉しさは格別。
蕗の薹刻めば味噌の香りけり
これから私の散歩には草摘みの楽しみが加わってきます。今もクレソンと芥子菜は冬の大事なピタミン源ですが。
俳句の教本に子供の頃の思い出カードを作って、少しずつ俳句にしてゆくといくらでもできる、とありました。
なるほど子供時代の記憶というのは映像が鮮明だし、場所や人、季節もはっきりしています。自分史の代わりになるかも、と今は、すっかりその気になっています。
駄々こねてお仕置き押入暖かき
とか
著莪の花昔は広き通学路
大人になって行ってみた通学路の思いの外の狭さに驚いたことかあります。
焼け跡の看護学校草茂る
爆撃に遭った日赤看護学校の跡地に忍び込んで、木の実を取ったり花を摘んだりは小学校に入る前から。立派な講堂には分厚い緞帳が残っていました。
本当にこれならいくらも出てきそうな気がします。