自分の中で思うに男性の場合はボクシングをやった以上はやはり1度はスパーリング等の実戦練習を経験した方がいいな~と個人的には思っています。
ちょこちょこ最近、実戦練習デビューの方もおられますが、なかなか皆さん全くの初めてにしてはかなりな感じでセンスが高いなと感じています。
自分自身は半年間程練習した後の、初めての実戦練習なんてほんとにこちらは真剣にやってても、いかんせん初めて付ける重いグローブで、1R必死にガードを上げているだけで精一杯で、打ち返しても当たる要素なんてさらさらなく、アマ試合経験者にボディーを合わされ、打たれて苦しかった思い出だけしかありません。ほんまに情けなかったです。
(友達はプロテスト後間もない方に鼻血でる位けっこうな感じでボコボコにされてましたけど。またそのプロの方も別の日に他のプロの方にボコボコにされてました。汗 この光景、衝撃は一生忘れる事はありません。)
しかもそれも後々考えると相手はかなりな感じで何も言わずとも手を抜いてくださってました。
自分と「力の差」が一体どれ程あるんだろうと思うのと同時に、乗り越えたい、無理かもしれないけど少しでも「追いつきたい」といったような悔しいのか何かわからないような、元々負けず嫌いなんでしょうか、強烈にそう思う気持ちと、楽しさ、例えるなら何か新しいおもちゃを見つけた様な、新しい永久に楽しませてもらえるような遊びを見つけたような感覚が、今の自分の全ての「原動力」であり、ふと思い返せばたったあの「1回の実戦」こそが、ボクシングとの「本当の出逢い」でした。
それから自分の中では、何度か離れてはまた始め、途中大嫌いになりかけたりもして、その中で積み上げても積み上げても永遠に完成する事なんて勿論無く、果てしない終わりのない旅を続けているような感覚です。
(逆にTVゲームみたいに「完成」なんてしようものならソッコー飽きてしまう人間ですが)
軽はずみにあの人は私と違う、特別だから、と言われるような事は心外だなと思う事もありますが、自分自身あともう少し軽かったら未熟児で、なんか病気で危うく死にそうになった位に元々体の弱かった人間、傷や骨折等は何度も経験したり、靭帯断裂や、今でも足にはボルトも入っていて、運動神経なんてものも「並」、中の中位の人間です。
まぁ強いて言えば「回復力」だけはありましたかね。ボロボロになっても回復したら前以上に強くなっている「サイヤ人」の血が流れているのかな~なんて思ったり。漫画は大好きでしたが。(あ、もしかしたらそれも必然か)
続けて頑張っている皆さんを見ていたら、人間「何かしらの才能」ってほんとそれぞれに必ず存在するな~と思っています。
ボクシングは「メンタル」が重要なスポーツです。「悔しさ」を忘れては絶対に上達はできませんし、「楽」を求めたり、「諦め」たり、人間そこで妥協という「満足」をしてしまった「瞬間」に上達や成長も止まってしまいます。
もちろんこの辺は男女共通で。
ボクシングは自分自身に「言い訳」をする人間には本当にできないスポーツで、本当に闘うのは「眼の前の相手」なんかではなく、「自分自身」そのものです。
「自分自身」と真摯に向き合って下さい。
そして完全に勝ったなどとは決して思わず、勝ったと思った所から一回力を抜いて「手放して」から、また以前よりも更に「高い所」を目指して追いつくように努力して下さい。
それの繰り返しだと思います。
最近は本当にボクシングは人生の縮図だと思います。
ボクシングからは色んな事を教わりました。
継続は力なり。1万時間の法則。
シンプルに言うと「反復練習」こそが最も大切で、全ての物事は「続ける」事でこそ、本当に誰でも上手く、上達でき、強く、ダイエットも叶います。「無駄な練習」なんて実は「一切」ないんです。
この空間も色んな「出逢い方」があれば、「別れ方」があります。突き詰めるともしかしたら自分が悪かったのかなという風にも考えてみたり、少し落ち込んだりする別れ方も正直あります。
ボクシングは個人競技でもあり、孤独な競技であり、どこかそういう「何か」を抱えた人間がそれぞれ集まりますが、ふとよく考えればすぐそばには「仲間」が居ます。
一人で頑張れるだけ頑張って、それでも無理な時は少し頼ったり、助け合っていく事も大事です。
自分は上から見る事も下から見る事も決してしません。
というか大人の皮を被った実は「子供」なんだと思います。(笑)
またボクシングを好きというよりも愛し、ボクシングの「平等」の精神を大事にしています。
ちょっと疲れたかなと思う時は、「子供」が「子供」に頼る時があってもいいと思います。
皆さんもある部分では同じように「自然」な「子供の頃の気持ち」に一旦帰ってみるのも、大きく考えれば「今の世の中」を考えてみるととても大事な事かもしれません。
最近思うに実は身の周りの現代人って社会のせい?環境のせい?なのか、「ネガティブ」に捉える人がとても多いようなので、何らかの形で伝えたいメッセージでした。
けどネガティブに考えてしまうのも深く考えれば「自分自身のせい」であり「心の弱さ」です。
相手を悪く捉えるのではなくて、どちらも悪い、自分にも原因があるんだといった「謙虚」な気持ちを持った方が、人間、気持ちが楽になれるものです。
本ブログをまた再開するかどうかは全くもって不明であり、自分の為に勝手に気ままに書いていたブログですが、今まで何かの「縁」で、本当に長い間、読んでくださった方、たまに声を掛けてくださった方等にはどうもありがとうございましたと言いたいような気持ちです。
また、たまにコメント下さる方等もどうもありがとうございました。
もし何か伝えたい事であったり、聞きたい事などがあれば今後は直接口頭でも構いませんし、メールでも24時間いつでもお待ちしています。
ジム生以外の方で見てくださっていた方達も、またどこかでお会いできる事を願ってこれにて最終回とさせて頂きます。
とこれ実はどこで辞めようかなと考え中。
ガキ使のやまちゃん辞めへんで~を観てのぷちどっきりなんですが。
もしかして信じてしまった人居ますかね。
また何かネガティブな感情を抱いた人って居ますかね。
なんかこの空間でボクシングする人って社会で対応できている人達も多いと思うので、変に「かしこ過ぎ」たり、「マイナス思考過ぎ」だったり、心身共に「バランス」を崩しておられるような部分が多くの方にあるように感じ、もし本当に「そう思った」のであれば、「型」に嵌り過ぎていないか、自分でも知らない内に「固い心」で何かに「囚われ過ぎ」てしまっていないかを確認する事も必要かな~と思います。
もし自分や周りの人にもそういう方がいらしたら少し気を付けてみてくださいね。自分は子供の頃から裸足でサッカーボールの上に自然と長い事乗ってたり、「バランス感覚」を特に大事にしているので、自然と何事も「過ぎ」ては駄目という持論が意識的か無意識的かわからないけどあります。
もし型に嵌まり「過ぎ」た考えの人は、逆に身も心も「柔らかく」保つようにしてみて下さい。マイナス思考「過ぎ」る人は逆の「プラス思考」に少し持って行ってみて下さい。
バランスを保て、ちょうど良いニュートラルの位置に戻るかと思います。
あと意識的にそれが不可能な場合は、日常での睡眠、食事、運動といったところをまずは最初に見直してみて下さい。
根本的な原因はそこにある事が多いです。
この当たり前の部分、普段の生活のリズムが崩れてしまうと、もちろん同時に全てのバランスが崩れていってしまいます。
この空間で「自然」に「健康」を取り戻しましょう。そしてみなさん「健康」でいましょう。
あ~なんかかなりな感じの長文で疲れたw
今日はご紹介で体験の方も来られましたが、久しぶりの運動だったので終わった頃にはとても顔色がよくなっていて眼も輝いていました。
まだトレーニングの途中なのに「入会します!」って言ってられたのが面白くもあり、嬉しくもありました。
初めて続ける事ができそうですって言って貰えたのもありがたかったです。
また、ダイエットでも「目標」ってあったとしてもほとんどの方が曖昧にしがちなものですが、「具体的」に書かれる方は意思の強さを感じます。
そしてそういう方は多分成功すると思います。
また、ぜひとも達成して頂きたいですね。
目標を作って達成すれば大きければ大きい分、そこには必ずその大きさ分の「感動」が生まれます。
自分は「感動」できる人生が一番楽しいと思っています。
また、「感動」できない人生が楽しいものではないとも思っています。
みなさんこちらからお願いしている訳でもないのにいつも大切なご家族や身内、知人の方を紹介して頂いてありがとうございます。
自分の周りには本当すごい人達ばかりが居て、自分はほんとツイている人間だと最近思います (^_-)☆
ありがとうございます。心から感謝します
↓ま、まじかこれ
モテる男の共通点とは?(BIGLOBEニュース)
男性の皆さん熟読ですな~。
週に一回はボクシングやスクワット、テニスやサッカー等の運動も大切であったり(←意識してなかったけどこれすごい新たな発見)
20代~30代での経験ってとても大事なんやね~
今日の路上で見たポスター。
「人は変われる」
たしかに変わる事ができる。
けど自分的に、今の自分の気持ちを文章に付け足すとすれば、
「人は変えられないけど変われる」
の方が正しいように思う。
人を変えようとしたら駄目。
何かのきっかけで、人は自然に自分で変わる事が出来る。
人に何かを託しても駄目。
託されてしまう事で身も心も固くなり、「自然な心」や「自由」をも奪われる。
深く考えてみると自分もあらゆるところで頼んでもいないのに何故か託されてしまっていた。
身も心も固くなったり、固定観念といったようなものに囚われそうになったりした時期もある。
けど後から気付いた事だけど、自分の人生の中で、両親だけは「自由」にさせてくれていた。
最近特に思うがやはり根本的に人は「自由」を望んでいるのだと思う。
自分も「自由」が大好きだ。
そして周りを見渡しても自由とは言えない社会や、自分にも自由にしたいのに出来なかった時期があった為か、今の自分からはより一層「自由」こそが最も大切だと感じている。
分け与えるなんておこがましいけれど、この空間で少しでも自分の思う「自由」を皆さんと共有・共感できたら嬉しく思います。
KSBCの本当の理念は楽しむ為の「自由」こそがテーマであり、皆さんにもどうかこの空間では「自由」に肩の力を抜いて心をときほぐし、純粋にボクシングというスポーツを楽しんで貰えたらと思います。
「自由」に、「自分の為に」ボクシングを楽しんで下さい。
ボクシングでは「距離感」が特に大事なスポーツはもちろんの事ですが、
自分個人と会員さんの立ち位置としても「一定の距離感」はやはり大事にしています。
近すぎず、遠すぎず、例えるなら「地球を取り巻く衛星のようなイメージ」で見守るような立ち位置で居ようと思っています。
また、そうしない事にはボクシングの理念にも通ずる真の「平等」の精神では行えないし、「全員に近い距離」で居る事にはとても身が持たないというこちら側の事情もあります。
なのでその辺の事は何卒ご理解頂ければと思っています。
また、それを踏まえた上で、自分への「疑問」や「質問」などは時期を待たずして聞いて貰って一向に構わないスタンスで常に居るつもりです。
自分自身はどちらかというと自分で解決していくスタイルでしたが、人によってはもしかしたらわからない事や、聞く事で改めて確認したい事や、話する中で気付く事などももしかしたらあるのかもしれません。
ボクシングはシンプルなスポーツなので、聞かれたとしても言う事はほとんど当たり前の事であったり、基本的な事にはなったりもしますが。
こちら側から言おうと思えばいくらでも言える事は実際のところありますが、各個人の技術レベルの進歩具合にもよるところも大きく、本当はすごく言いたくても、技術的進歩が伴わなければそれ以上の事は残念ながら言えなかったりもします。(言ったとしても当人にとって本当の意味で吸収できなければ意味がないというか、言わない方が相手にとっても迷わない分まだマシであるという理屈)
また、こちらから押し付ける事はしない方針であり、一番にはプレーヤーの希望を尊重しているので、もしわからない事があれば、率直に聞いて貰った方が、こちらとしても各個人の希望に沿う練習が提案できます。
まぁなにせこうしないといけないとか、「固く」ならずに「囚われず」に、もしわからない事があれば「自由」に聞き、共に楽しくやりましょう。
「苦悩というものは前進したいって思いがあって
それを乗り越えられる可能性のある人にしか訪れない
だから苦悩とは飛躍なんです」 イチロー
苦悩大歓迎! 苦悩を楽しめるぐらいになった時、その人間は前よりも前進しているものなんでしょうね。
イチロー・松井秀喜 対談01
↑同じ天才でも意外と対照的な二人で、一気に12話観てしまいましたが面白かったです。
イチロー選手の良く言えばストイック、少し悪く言えば神経質な所や、松井選手の自然体なところもなんかほんわかとしていて、そんな考えもあるよな~とどちらも人間的魅力なんだなという風に映りました。
スポーツを熱く語ってる時が二人とも子供のように若く、けどそれがこの二人の選手にとってもすごく「自然」な事なのだな~と思いました。
「春はストーカー、理不尽で意味不明なクレーマーが増える」らしい。(byほんまでっかTV)
5月病っていうのも意味ありなんだろね~。人間の習性として。
これも周りで思い当たるフシあり。
理不尽なクレーマーって色んな施設を見たりしても居ますが、ほんとなんなのでしょうかね。
思うにいわゆる「健康ではない」んだと思います。
先日見てた本でも、「解決策の無い愚痴」には絶対に付き合ってはいけないと言います。
「愚痴」というのは言いかえれば「愚図」という事であり、もし周りも賛同して付き合ってしまうような事があればそれこそ「愚図愚図」になってしまいます。
実際に身の周りでもそんな状況ってけっこうあると思います。
人間、人や物事の粗探ししてたらキリがありません。
基本人間はネガティブな生き物ですが(特に日本人はそうかな)、何でも物事を否定的に捉えても仕方ありません。
物事は肯定的に捉え、ポジティブに考えた方が身も心も楽になれると思います。
否定的に捉えるか肯定的に捉えるかは本人次第で、常に意識的か無意識下で選択しているんですが、
何故か物事を否定的に捉える人の方が割合として多いんですよね。(まぁかつて健康でなかったと思われる時期の自分もそうだと言えますが)
どう捉えるか、どっちを選択するのかも、「捉え方次第」であり、その人の「強さ」でもあり「弱さ」なのかもしれません。
まぁシンプルに、運動して居ない人は「運動」すれば「健康」になります。
睡眠がとれてない人はきちんとした「睡眠」をとれば「健康」になります。
食事がとれていない人は「食事」をバランス良く摂れば「健康」になります。
ネガティブなことも、人生のスランプに陥る事も、その理由を他のところから探そうとするから駄目なのであって、実は当たり前の日常の中にこそ「健康」があるんだと思います。
今まで「不健康」だった人も、この空間で「健康」になって頂き、よりポジティブに、肯定的に捉えて頂けたらと思います。
最初は無理でも、もし後でそう捉える事ができたらそれはとても素晴らしい事だと思っています。
例え時間掛ってもいいと思ってますし、こちらは長い目でみてます。
ちょっと固い内容でもありますが、このブログ自体もどうか肯定的に捉えて頂きたいと思います。
手が伸びるとか、海賊とか、意味がわからんくて、絵自体も好みではなく、人気があるというが未だかつて「一切」見た事なかったんだけど、周りからもめちゃ感動する、とやっぱり誰からもいい評判なので、たまたまこないだ借りる機会があり見てみた。
たった50ページ、第1話で泣けてきた。
半分読んでもないのに2回泣けてきた。
ワ、「ワンピース」すげえなぁ~
まだ1巻の半分しか読んでないけどそりゃ売れるわ☆
うん、買う事にしよ。
実はアルコールは記憶力を上げる/嫌なことを忘れるためのお酒は逆効果
失恋や会社での失敗など、嫌なことを忘れるためにお酒を飲むというのはよくあることだろう。しかし、それはどうやら逆効果のようなのだ。なぜなら、アルコールは私たちの記憶力を上げてしまうから。
これを発表したのはテキサス大学の神経生物学者、森川均氏。彼の研究結果は、学術誌『The Journal of Neuroscience』に先月掲載され、その中では頻繁にエタノールを摂取していると脳のシナプス可塑性が高まる、つまり学習・記憶能力が高まると記されている。
それでは、お酒を飲んでその時の記憶がおぼろになることは、どう説明するのだろうか? このことについて森川氏は次のように説明している。
「普段私たちが考える記憶とは、表層意識での記憶のことです。アルコールを飲むと、同僚の名前、言葉の意味、今朝車を停めた場所など表層意識での情報は忘れやすくなってしまいます。しかし、私たちは潜在意識でも物事を学習したり、記憶したりしているのです。そして実は、アルコールはこの潜在意識での記憶力を高めることができるのです」。
つまりアルコールは、人の名前など表層意識における記憶力は下げるのだが、潜在意識における記憶力は上げるということなのだ。
人がアルコールを摂取したり、麻薬を服用したりする時、潜在意識ではそういった物への摂取・服用能力が高まっているだけでなく、その時の食べ物、音楽、周りにいる人間、社会的状況などに関する記憶や習性も形成されやすくなっている。
またアルコールを摂取した時に、脳内で分泌されるドーパミンも記憶力アップに関わっているらしく、森川氏は「みなさんは、一般的にドーパミンを幸せ伝達物質や喜び伝達物質だと思われていますが、より正確には学習情報伝達物質なのです」と話している。
そしてドーパミンは、飲酒に伴う友人とのおしゃべりや好きなものを食べるという楽しい行為により、さらに分泌される。その結果、飲酒時の記憶力は一段と高まっているのだ。
思わぬ形で私たちの記憶力を上げているお酒。それが潜在意識での記憶ということを考えると、意図的に思い出せるというものではなく、あるきっかけでふと思い出すものなのだろう。潜在意識からも悪い記憶を消したいという人は、お酒に頼らない新しい記憶消去方法を見つけ出した方がいいかもしれない。(BIGLOBEニュース)
↑いや、まじでお酒は楽しく飲まないといけません
お酒になど逃げた事はないですが、そうすると駄目な事は裏付けされました。
周りを見ても思い当たる節あり。
また運動などでもドーパミンが分泌されるという事は、記憶力アップにも繋がるという事ですが、「体で覚えた事は脳の一番強固な部分に記憶されて忘れることはない」という事とも繋がりますネ。
【過去ブログより】
自転車の乗り方を一度覚えると何年も乗らなくても忘れることはありません。
脳の中で一番強固な領域に記憶されるからです。
つまり体が覚えているのです
私選、KSBC賞。
【短期間でごっつ上達したで賞】 K川さん
【最近能力開花してきたで賞】 T雅
【スタミナなかなかあるで賞】 K池くん
【ごっつパンチあるで賞】 Y岡くん、M野くん
特に何も出ませんが。
もちろん他の方でも頑張ってられる方も居ます。
皆さん切磋琢磨して頑張りましょう