「M」
正直
・・・未だ、分からない映画なんです
ストーリーはなんとなく分かるかな
何を言わんとしているのか?
どうしてドンウォンくんがこの役なのか?
「デュエリスト」の延長上にある芸術的映画・・・
分かるのはそれだけ
封印してしまった映画なので、もう観ることはないと思っていました
大スクリーンで確かめたい
MV M -エム- OST BoA 「霧ange」 訳付
<過去記事>
[映画レビュー]
''エム'',一つの夢であり詩
[世界日報]2007.10.25 翻訳サイト使用
映画‘エム(M)’を見た後どんな映画かという質問を受けたなら答えに困る。 映画はまるで流れる雲をつかむようで言葉で表現することに詰まる感じでよく分からない。 思い出すのをやめた、あらすじが粗雑でイメージでだけ記憶される昨夜の夢のように一言で言えない。 “観客がこの映画を見て主人公が体験する混沌を同じように感じて良い夢を見ることを願う”というイ・ミョンセ監督の話のように映画‘エム’は一方の夢のようだ。
あえて‘エム’のあらすじを話そうとするなら一人の男が忘れた初恋の記憶を訪ねて行くという程度になる。 若い天才ベストセラー小説家ミヌ(カン・ドンウォン)は裕福な婚約者ウネ(コン・ヒョジン)との結婚を控えている。 小説がうまく書けなくて鋭敏になっている彼は自身の周囲をぐるぐる回る少女ミミ(イ・ヨニ)に会う。 ミミはミヌの前に現れては消えることを繰り返して、ミヌはミミが自身が忘れていた11年前の初恋という事実を知ることになる。
映画は夢と現実、実際と幻想、生きた者と死亡者の境界を曖昧に行き来する。 闇と光のイメージで作り出す画面は神秘できらびやかだ。 イ・ミョンセ監督は過去の初恋の記憶では水彩画のように提灯の光る映像を、主人公が混乱を経る路地、ジャズバー、作業室などでは闇と光を利用した洗練されて夢幻的な映像を披露する。
特にイ・ミョンセ監督は今回の映画で‘光る闇’という矛盾のように見えるコンセプトを吹きだすのに注力した。 土地の上は闇だが空は明るいルネ・マグリットのある絵のようにイ・ミョンセ監督やはり光と闇が共存する独特な美しい映像を創り出した。 暗い路地に白くない霧とか、太陽の光がカンカン照りつける通りを覆う街路樹の黒い影はマグリットの絵のように超現実的なイメージをプレゼントする。
小説家のミヌは‘less poetic more specific’(より少なく詩的にさらに具体的に)という文を偏執症的にタイピングするが、映画は徹底的にその反対の道を歩く。 小説の具体的な言語の代わりに詩的な曖昧な言語を選択した。 映画は視覚的イメージで構成された一つの詩になった。 叙事を下ろしてイメージだけを満たした映画が詩のように胸に響くことができるということを見せた。
映画の題名の‘エム’やはり映画の内的なことと外的なものを全部抱いている詩的な題名だ。 ‘エム(M)’は主人公ミヌとミミのイニシャルでありミヌの記憶(Memory)を呼び出すミューズ(Muse)でもあり、また、映画のジャンルとしてミステリー(Mystery)メロー(Melo)であり、一つの夢(夢、dreaM)だ。 また‘映画は叙事よりは見えるイメージ’と考えるイ・ミョンセ監督の‘映画(Movie)’でもある。
映画‘エム’は何が現実で何が幻想なのかダイコン切るようにしようとすれば頭だけ痛い。 ただ画面が提供する美しいイメージを目で楽しみながらかすかな初恋の記憶を胸に受け入れるのが最も良い。 だが、やはり正確なプロットと受け入れやすさが合致するストーリーを望む観客ならばこの映画は不親切で虚しく感じられることだろう。