カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

美男俳優をとても格好よく活用した「超能力者」

2011-07-28 15:03:20 | 超能力者

暑い時に、こんな文字がいっぱいなんて読みたくない 

 

よ~くわかっております

私だって読みたくないもの… 

 

そんなあなた、最後の青文字部分だけ読んで下さいな  

 

 

お知らせ

シネマートHPに『超能力者』の作品紹介がされていますー

 

 

 

身体から無駄が全て排除されてまるで彫刻のようです~

 

これじゃあ漫画から抜け出てきたと言われるはず…

 

ムニュ~

 


<過去記事> 

とても美男であることをとてもうまく活用する方法

<世界ドットコム>2010.11.12 翻訳サイト使用

http://www.segye.com/Articles/FAMILYGLOBAL/Talk/Article.asp?aid=20101112000626&cid=0106021600000&subctg1=16&subctg2=00

‘美男であるということ’は普通の人々は勿論ではあるが顔とスタイルが必要条件のスターには大変重要だ。 スターは歌手、俳優、モデル、タレントなど芸能界全般にわたって排出されるがジャンルによって‘美男であるということ’の比重は少しずつ違って適用されたりする。 おもしろいのはこの美男だということが無条件肯定的だけではないということだ。 普通は美男で損をすることがないと思うが‘美男であるということ’はやはりプロの世界では複雑で微妙な損害と利益が発生することもある。 特に俳優の場合にはより一層そうだ。

適当に美男

演技者の中でスターになった男たちを調べれば適当な美男たちが最も高い比率を占める。 当然のことだ。 演技者という職業自体がひとまず人々に見られることでまた、大衆の視線を引き付けて、進んで好感を与えるためだ。 もちろん純粋に演技力でスターになる男たちもいる。 これもまた当然のことだ。

俳優になったばかり、あるいは人気を得始めたばかりの俳優がよく錯覚することの一つに自分が‘とても’美男側に属すると勝手に決めてしまうことだ。 まだ若くして、激しい競争に勝ち抜いて夢をかなえて、意欲があふれるならばそのようなこともあるだろう。 時間が流れて実践を経験して徐々に自分の判断が正しかったのか、違ったのか自然に知ることになる。 プロは鏡の前にある自分自身ただひとりでなく人々を満足させなければならないためだ。 そして人々の目はだいたい同じで意外に正確だ、こういう考えと心は多少時間がかかっても結局は本人にとどくはずだ。

だが失望する必要はない。 顔にだけ依存しないで着実に努力して実力を積み重ねたならばこの‘適当に’美男たちは‘とても’美男たちよりはるかに有利だ。 過度に負担にならないほど美男の顔は活用範囲が広いためだ。 負担にならないほど優れた容貌を持った男はどんなジャンルにでも必要なはずだ。 したがって‘適当に’美男の方に属するならば‘とても’美男になろうと努力するよりは自身が持った容貌をよく管理しながら実力を育てることに集中することがはるかに効果的だ。 実力はチャンスを呼んで、チャンスが多くなれば容貌の長所や特徴もますます生きることになる。

‘適当に’美男の俳優は容貌が持った長所を十分に発揮しながらも神秘的よりも身近なイメージを作って共感を高めることができる。 善良でいて時に涼しくて、憎らしくても嫌うことができなくて、男らしくて小心で、無邪気なのかと思ってもずる賢い例えば現実でよく見ることができる好感の持てるキャラクターは‘鳥肌が立つように’美男よりはパク・ヘイルやオム・テウンのように‘適当に’美男俳優たちが演技する場合が多い。

とても美男

反面‘適当に’美男たちとは確かに区別される、‘とても’美男たちもいる。 当然のことだ。 こういう男たちこそこの分野の職業に従事することが最も似合う。 20世紀最高の美男と呼ばれるアラン ドロンもやはり演技者という職業を考えたこともなかったのに、映画撮影会場付近で監督の目に止まりすぐに映画俳優になった。 今では映画俳優でない彼を想像することは難しい。 もちろんこういう幸運は彼が活動した時期がスター渇望の時代だったからなのかも分からない。

最近の‘とても’美男たちはたいてい自ら演技者やスターの夢を持って、あらかじめ準備をして挑戦をしてまた、挫折もしながらプロになる場合が多い。 だが‘とても’美男たちは意外に活用範囲があまりにも狭い。 これはより簡単に注目をあびてスターになっても過度に特出した容貌が困難を招いたりもする。 非凡な容貌を持った米俳優らの場合、人気が高まればだいたい演技力論議を体験する。 ‘とても’美男な顔は偶然なチャンスだけを与えられて‘とても’急な人気を得やすくて、この人気を土台により大きいチャンスを与えられた時、人気に比例する実力を要求されるためだ。

‘とても’美男の容貌のおかげで過度にはやいチャンスをむかえてまた、それだけ苛酷な挫折を体験した俳優らの次の行動は極端な‘顔を壊すこと’だ。 ‘とても美男とみられたかったり素晴らしく見えたい’に関心がないように見せながら演技に対する自身の真正性を訴えることだ。 だが、あえてそのように優れた容貌を努力して隠して平凡に見せようと努力しても真正性を知らせることができるわけではない。 <海岸線>の、チャン・ドンゴンが代表的な例だ。 意図と試みは悪くなかったけれどチャン・ドンゴンはその後にも何度も隠そうとしても隠すことはできない光る容貌を追い詰めた。

 


熱で熱を治す作戦で‘とても’美男のその容貌が必要な役を引き受けるのも良い方法だ。 <超能力者>のキャスティングはそのような意味で非常に適切だ。 非現実的な程優れている身体比率のためにどんな服を着ても(さらに腹やズボンに汗でぬれたTシャツを着ても)スタイリッシュだということを失わないカン・ドンウォンに<超能力者>の‘超人’はぴったりだ。 神秘的な容貌の‘超人’で目で人を動かすことができるという設定もまたそうだ。 もし‘超人’をカン・ドンウォンでない、神秘的でも美しくもない‘適当に’美男の俳優が演技するなら、これこそが説得力がドンと落ちる。 そのような意味で<超能力者>の‘超人’はカン・ドンウォンが‘とても’美男な俳優を‘とても’格好良く活用したキャラクターということができる。

事実‘とても’美男な俳優の容貌をまともに活用した作品やキャラクターに会うのは思ったより容易ではない。 特に今後も‘とても’美男な俳優が彼らのまぶしい容貌をまともに活用できるキャラクターがたくさん出ることを期待している。


美男愛好コラムニスト チョ・ミンギ(gorah99@nate.com)

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする