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壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:8月26日の日経の私の履歴書の”憲法解釈”に関する記載内容について

2024年09月21日 10時00分00秒 | 社会全般
今月は政治&歴史学者の北岡氏の履歴書で、中々面白い内容である。この日は”集団的自衛権の行使”について書かれており、北岡氏の解釈では、「憲法上可能だ」と書いている。これは一見マトモな意見だが、学者であれば、もう一歩踏み込んで欲しかった。

今回は端的に説明したい。

ここに掛かれている様な「憲法上可能だ」だと、メッセージとして大変弱い。この様な議論は今まで様々な人が行っており、”解釈”の仕方によって意見が分かれる…と云った無意味なやり取りを沢山してきている。

本来云うべき事は、次の通りである。「解釈上、集団的自衛権の行使は問題ないと考える。しかし、解釈の仕方によって行使できないと言う人が一定数居るのであれば、憲法の内容を修正し、解釈による齟齬が無いようにすべきである。」

憲法の解釈論を議論する事は全くムダである。その様な事に時間を潰す暇があるのであれば、憲法を変えれば良い。もし憲法を変えてはならぬと言う人がいれば、それでは聖徳太子の17条憲法に戻れば良い。そして、もし憲法17条に戻れないと言うのであれば、それと同じ理由で、現在の憲法を使い続ける事は出来ないと言えば良いだけの話しである。因みに、明治憲法を作成する時にも、17条憲法を元に作れば良いとの意見も在ったそうだ。

論点は単純なハズだが…。

所でそもそも、日本には詳細まで定義した憲法が必要なのだろうか?日本は欧米諸国と違い、契約社会ではない。その為、殆どの企業が海外の企業との契約を結ぶとき、苦労している。一報欧米人は契約社会なので、契約書を作る事には慣れている。

その様な日本で、果たして事細かく定義した憲法を作る必要があるのだろうか?日本の場合はある程度曖昧で、大雑把でも良いのではないだろうか?不足分は法律でカバーすれは十分である。
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