雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

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第一次世界大戦時の在オーストリア日本公使館職員の写真

2022年01月31日 23時01分00秒 | 収集品
気がついたら1月終わりかけです。
今回は1枚の写真。東京は赤坂の増原で撮られた写真です。時期は不明。おそらく西源四郎の旧蔵だと思います(他にも関連史料が出ていたため)。






写っているのは、在オーストリア(以下、墺)日本公使館の面々です。
裏面の鉛筆書きによると、前列左から
白根[熊三(1897-1939)]海軍中佐(墺駐在武官)
孝子
西[源四郎(1862-1928)。在墺日本公使館]代理公使
平田夫人
金谷[範三(1873-1933)]陸軍大佐(墺駐在武官)。

後列左から
長谷書記生
安部(原文ママ)[阿部信行(1875-1953)]陸軍少佐(墺駐在武官補佐官)。
平田書記官
大野書記官
官補(名前不明)

となっています。


上で時期は不明としましたが、彼らは第一次世界大戦勃発によって公使館が1920(大正9)年に閉鎖されたときのメンバーでしたので、帰国後の写真でしょうか。

個人的には阿部信行の武官補佐官時代の姿が写っているのが一番関心を寄せます。
阿部は陸軍大学校を卒業後、ドイツへ留学したのちにオーストリアでの海外勤務となっていました。
オーストリアは当時大国でドイツと国境も近く、ドイツ勤務になれなかった者が差配されたようです(立川京一「我が国の戦前の駐在武官制度」『防衛研究所紀要』17号、135頁)。

常々、この頃の在墺日本公使館の動きがどのようなものだったか探りたいのですが、文献をなかなかみつけられませんでした。

どなたかご教示くださればと思います。

それでは





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