令和6年2月5日に活動センターにおいて祭りが開催されました。
NPO法人佐伯山里くらぶとしてブースをお借りして、展示物と街道焼きの販売を行い参加しました。
参加会員は六名でした。街道焼きの材料、道具などの準備は、沖野会長と桑原さんが率先して行いました。
ブースは建物の南側ですが、当日は寒気が西日本を覆い、冷たい風の中での準備や販売は、大変」な作業でしたが、皆さん協力して無事完売して終了することが出来ました。
昼休み時間の前には、祭りに参加の皆さんの多くがこの街道焼きを購入されました。午後2時頃には昼食も済ましたせいで、ほとんどお客様はありませんでしたが、用意した材料は完売して終了しました。
同時に準備した会の活道状況を示す掲示板には街道焼の出来るまでの時間に熱心に「自分たちは熊野街道というのが街道だと思っていたが西日本のここらにもあったんですか?」と言う質問でした。
まだまだ我々が対象にしている津和野街道の認知度が低いことを感じました。
街道焼きという鳥足の焼き物から、このような街道論議が始まるとは驚きですが、会話や宣伝の入り口になり結構喜ばしいことでした。子供の参加者が多く、結構街道に興味を示していたのはうれしい様子でした。
ぼんぼん記
NPO法人佐伯山里くらぶとしてブースをお借りして、展示物と街道焼きの販売を行い参加しました。
参加会員は六名でした。街道焼きの材料、道具などの準備は、沖野会長と桑原さんが率先して行いました。
ブースは建物の南側ですが、当日は寒気が西日本を覆い、冷たい風の中での準備や販売は、大変」な作業でしたが、皆さん協力して無事完売して終了することが出来ました。
昼休み時間の前には、祭りに参加の皆さんの多くがこの街道焼きを購入されました。午後2時頃には昼食も済ましたせいで、ほとんどお客様はありませんでしたが、用意した材料は完売して終了しました。
同時に準備した会の活道状況を示す掲示板には街道焼の出来るまでの時間に熱心に「自分たちは熊野街道というのが街道だと思っていたが西日本のここらにもあったんですか?」と言う質問でした。
まだまだ我々が対象にしている津和野街道の認知度が低いことを感じました。
街道焼きという鳥足の焼き物から、このような街道論議が始まるとは驚きですが、会話や宣伝の入り口になり結構喜ばしいことでした。子供の参加者が多く、結構街道に興味を示していたのはうれしい様子でした。
ぼんぼん記
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます