アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

続・私の声楽に進むきっかけとなった「帰れソレントへ」のこと

2010年06月16日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
「帰れソレントへ」は聞いたことのある人が多いと思うが,私のお気に入りを紹介しておく。

歌うはルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti),世界三大テノールの一人で,髪もヒゲももじゃもじゃで一番体格がよく高音の出るイタリア人だ。
伴奏は「女王陛下のオーケストラ」と言われる,由緒正しいロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団,場所は金を出しただけではなかなか演奏させてもらえなさそうなロイヤル・アルバート・ホール,7千人の前でのソロだ。
"Recorded in April 13th 1982"とのコメントがあるのでパヴァロッティが46歳の春だと思うが,非常に脂がのっている時期だ。
スタンディング・オベーションの後,ソレントのイントロの入りで聴衆が「待ってました」とばかりに拍手しているので(妄想だが)アンコールの2曲目あたりだろうか(羨ましすぎる場面だぜ)

Pavarotti - Torna a Surriento - DeCurtis

この演奏をはじめて聴いたときに,もう理屈でなくシビレました。
背筋がゾクゾクして,思わず何度も聴き直すのですが,聴いている間しばらく震えがとまらない。
もちろんパヴァロッティは素晴らしいテナーだけどそれだけじゃない。
イタリア人の血というか,やはりソレントはイタリアの曲なんだな,と思いました。
独特のリズム,テンポ,名調子,全てが混ざり合わないと,ここまでシビれることもないだろう。
そしてこの指揮者が素晴らしいですね。
名演を生かしきるセンスを感じる。
背中にパヴァロッティを感じつつ,前には楽団員を感じて,両方を生かしきっている。
勉強させられます。

もうひとつ,パヴァロッティの演奏がありました。こちらは55歳の頃。

Pavarotti torna a sorriento - roma 1990

サラッと入っているように感じるかも知れませんが,イントロと歌のテンポや調子など,何もかもがズレまくっている。
バブリーだった頃の扇子振ってる女子みたいな,必死すぎて残念な指揮です。
演奏自体より,自身の指揮法そのものに気持ちがいっているようです。
女王陛下のオケに比べると,せっかくのパバロッティの力を生かせず,というかわざわざ殺してしまっているみたい。
背中(肌)で感じれば,それまでのことなんだけれど。

そして3本目は,わが日本から。
しかもテノールは酒田出身の市原多朗氏。
さらに「しかも」なのですが,彼は私とピアノが同門です。たまたま姉と同期です。
東京芸大,同大学院に学び,在学中に日伊コンソルソか何かで優勝し渡欧したんでしたっけ?
20代前半の頃に,ヴォイトレを受けたことがあります。ちょうど遊佐のホールだったなぁ。

名曲アルバム エルネスト・デ・クルティス 帰れソレントヘ

日本人としては,イタリア語も流暢で,とても「立派な演奏」です。
が,ソレントって,そんな立派な曲じゃないです。
あまりに「たっぷり」過ぎて,曲の良さ,質感,情感,イタリア・ソレントの港町の風景とか浮かんできませんね。
市原氏は,有名になってからも何度も「凱旋公演」で酒田市民会館で歌っておられますが,私もこのソレントはピアノ伴奏で聴きました。
やはり違和感を感じていました,歌い込みすぎなんです。
また一発目のパバロッティに戻ってもらうと,この曲の良さというか,すごさが理解いただけるでしょう(先輩,ごめんね)

にしてもこの曲,作者を「デ・クルティス」と紹介しているのが殆どですが,作詞が兄で,作曲が弟という「ライト兄弟」状態なのは,今回はじめて知りました。

私の声楽に進むきっかけとなった「帰れソレントへ」のこと

2010年06月16日 | サッカー・野球などスポーツ系
以前,私の音楽への目覚めは東京オリンピックマーチだと書いた。
そして実際に中学生になった私はブラスバンド部に入る。
さらに,歌は?となると,オリンピック以前からかなり好きだったようで,親類の集まる宴会とか病弱の母の代わりに連れて行ってもらった祖母の小旅行で,歌っていたようだった。
小三の時に,次姉から「お前は歌が下手だ」と言われた一言が胸に突き刺さり,好きな歌は心から喜んで歌えないようになり,それまで興味のなかったピアノへ触手を伸ばすきっかけになったのもこの頃だ。

中学ではブラス漬けだったものの指導者にも恵まれず下手すぎ,高校進学(酒田E高)時には自分が楽器の道を行きたいのかどうか,かなり悩んでいた。というか結論を避けていた。
当時,音楽の授業は鶴岡N高でかなり名を上げて定年退官され講師でおられたSK先生で,教科書にもどこにもない「平均律」などという小難しい話を最初から教わり,これが非常に印象的で,50を過ぎた私の現在にかなり影響している。

このSK先生は,音楽部のスカウトをするのに,授業のテストの点数で歌唱力を判断していらして,高一の一学期の私は「花の街」のテストでは「4の下の方」だったらしく,残念ながらお声はかからなかった。
余談だが,当時の私は弓道部に2度も出入りし2度やめて,さらに生物部でダラダラしていたのだった。
さて,初頭になり次に2学期のテストがやってきて,その時の課題曲が「帰れソレントへ」だった。

高校側で知らなかったのか分からないが,この曲は中三でもテスト曲になっていて,そこそこは歌えていた。
それでも,あくまでそれは中学レベルの話であり(たった1年違いだが)もっと大人らしく歌いたいと思い,大先輩である次姉に相談する。
が兄弟のためかなりすったもんだしたうえ,彼女に伴奏してもらい日数を費やし,本番を迎える。
(たぶん当時の男子で,ここまで歌い込んだヤツはいないだろう(笑))

実は困ったことがあり,伴奏者(女子のみ)は当日でないとわからなかった。
つまり打ち合わせができず,一発勝負だった。
さぁてどうなる?と思ったら,私の伴奏をしてくれるのは,中学でもクラスとブラスでご一緒の,才媛で一方的に恋焦がれていたKYさんだった(空気読めます)
16際の私,自分の希望すら言えない..が腹をくくってお願いする。
「テンポはこんな感じで,三拍子のリズムは...こことあそこはrit.するので合わせて下さい」って,精一杯だった。

歌ってみると,彼女はすごい人でした。
全部私の言ったとおりに合わせてくれ,快適すぎて何歌ってるんだがわからないくらい。
アンコール来るんじゃね?ってくらい,授業なのに拍手されてしまった。
彼女に礼を言うと「とっても良かったよ」とありがたいお言葉。
この時のことがあり,後に中学の同級会彼女から歌をリクエストされたりしたのだが,残念なことに彼女は同期で一番早くお嫁に行ってしまったのである(話がズレてる)

この「ソレント」の成功で,私の評価も「4の下」から「5レベル」になり,学校の帰りのバス(冬だけ利用)で,小中でも世話になったKK先輩にスカウトされたのだった。
(続く)