アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

こんな時もあった..第3回 東日本合唱祭(一関)

2010年06月27日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
平成4年8月23日のこと。
私は赴任地の鶴岡市から岩手県一関市で歌うために移動していた。

昨年,第20回の開催だったらしい東日本合唱祭だが,私の頃はまだ3回目,前年(平成3年)に合唱コンクールの全国大会に進んだ関係で呼んでもらえたらしかった。

様子も分からずに到着,あれこれ話を受けていると,歓迎の姿勢からいろいろ手厚い。
すばらしいおもてなし,だった。

この合唱祭,割と前から出演は決まっていたのだが,途中で波乱があった。
まずは常任指揮者の今井邦男先生(グリーンウッドハーモニーなどと兼任)...
当時健在だった高田三郎先生がイスラエルだったかに外遊されることとなり,東日本合唱祭と日程がダブッたらしい。
で先生も団長も,私に「代わりはよろしく」の一言ずつでおしまい。
(ま,ここはやる気マンマンだったから,まだ良し)
さらには,本番直前の8月1日付けで私が転勤することに。
ここも団長に直訴したのだが「だったら私が事業所長に『よろしく』と言っておくから...」とのこと。
私としては「そういう問題ではなくて」と言いたかったが,役員クラスの人なので,まあ言うことは聞くことに(そんな会社で良いのかは分からんが)

てことでなんだかんだあったものの,予定どおり私は(分不相応な)指揮者として一関入りとなったのだった。
ちなみに曲目は高田三郎の男声合唱組曲"野分"より「海辺」と「野分」,それに大中寅二の「椰子の実」と山田耕筰の「赤とんぼ」だった。

開催翌日に,岩手日日の記事をもらったが,写っていた指揮者の背中は,私だった(笑)

(クリックすると大きい写真が表示されます)
しかも,翌年・第4回の表紙も飾ったらしいとの噂もあったのだが,そこまでは確認していない。

ところで,当日,今井先生が同行した高田先生の件は,最初,辻正行先生(当時大久保混声,クロスロードファミリー)にお声がかかっていたらしいのだが,一関でご一緒していた。おかしいな!?