アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

Nコン2010 高校の部の課題曲は「いのち」

2010年06月19日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
高校の部は,昨年の課題曲が中学レベルだったので少し期待した。
谷川さんの詩だから,きっと字余り調なんだろな?などと思ったら,全くそのとおり(笑)
鈴木さんの曲は,よく分からないので期待。

実は私が仙台時代に職場の男声合唱団にいた頃,鈴木さんと同姓同名の先輩がいて,合唱を中断した頃に名を上げてきたものだから,まさか本人?しかも仙台出身だし..などと思っていた。
が,逆に最近まで合唱界はお留守にしていたもので,結果として馴染みが無いのだ。

まずは混声で聴いてみる。

作詞 谷川俊太郎,作曲 鈴木輝昭
指揮 清水敬一,伴奏 浅井道子
合唱 NHK東京児童ユース・早稲田大コールフリューゲル

いのち (混声四部)

まあ,感性の違いなのでわからないのだが,何をどう表現させたいのだろうか?(鋭い人,突っ込んでください)
単に難しい,という話ではなく,このパターンで普通にピアノなどの伴奏をつけたら,この曲用にでも調律しなおさない限り,綺麗にハモるはずが無い。
合唱側で何とかしようとしても楽器が邪魔するであろう(たぶん)

私が常に大事にしたい「日本語」が綺麗じゃなくなるんですよね。
特に四分音符のみor八分音符のみで刻んでいくあたり。

指揮の清水さんも,普段は良い指揮者だが,この合唱では,ちいと無理もあるだろうな。
特に男声,大学生だよね,しかも著名というか伝統ある団体。

ま,文句はこれくらいにして,作者や外野の意図に反し不意打ちをしてくれるような圧倒的な高校の出現を期待します。
一昨年は,宮崎学園に大泣きさせられた自分だから。

■NHKによる楽譜訂正のお知らせ(「修正」とか言ってるけど訂正だろ)

我が家の庭に(&別宅にも)シャクヤク咲く

2010年06月19日 | 日常生活
今週初め頃,地元ではシャクヤクの花がピークだったようだ(推定)
というのは,我が家にも咲いていたけど,嫁の実家(無人)でも咲いていたから。

こういう毎年のお約束というのは,有人でも無人でも,きちんと果たされて心を和ませてくれるからありがたい。
「無人」の方は既に4年が経過するけれど,たまには嫁が庭の世話をしているものの,しょっちゅうとは言い難い。

両家とも,たまたま母親の末期が近かったため,花をやる時期もほぼ一緒,法要の時期なども...以下同文(笑)
てことで,両家とも今週の仏壇は自動的に「シャクヤク」となった。

と,ここまでは美しい話なんですけど,シャクヤクって花が大きいんです(薄いけど)
もちろん,程なくして仏壇付近はフワフワとした大きい花びらが散りまくっていたのでした。


近所のジャスコで陶器市..ん十年ぶりにラーメンどんぶり買う

2010年06月19日 | 日常生活
非常にどうでも良い話題だが,陶器市に行ってみた。↓こんな感じ。

我が家のラーメンどんぶり,私の幼少時に父がやはり陶器市で10枚くらい買ってきたのだが,大半を割ってしまっていて,既に家族の人数分も無い。
がしかし,嫁が「重いのは嫌だ」とかいろいろ注文があり,なかなか買えずにいたのだった。
今回も「どうせ気に入らないんだろ?」などとタカをくくっていたら,お気に入りなのが見つかったようだった。
で見てみると,私も気に入った(笑)
嫁は主婦の立場での意見だったのだが,私はラーメン好きの立場から。

まずは見た目が「ラーメン」っぽいこと。
内側は白いこと。←これ大事
ラーメン(というか中華そばが好き)のスープは,そば・うどんと違ってスープの色が薄い。
このため,内側が色付きの器だと,本当のおいしさが想像できないのだ。

で,昔なら親戚の分含め10枚,ってところだろうけれど,今は現実的に5枚だけ買っておいた。
さっそく帰ってラーメン食べたらおいしかった。

■小学生未満の文章でスミマセン。

2010年 NHK全国学校音楽コンクール(Nコン2010)課題曲

2010年06月18日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
さてさて,今年のNコン戦線も盛り上がるのだろうか?
気になったのは中学の課題曲。
シンガー・ソング・ライターに依頼した割りになかなか好評で,一昨年はストーリー性抜群の「手紙」,昨年は叙情的な「YELL」と,年齢層向けには,そこそこの曲だったように思う。
で,今年は「アイ・ラヴ」って,いまどきネットで文字化けしそうなタイトルはどうなのよ,か?

まずは混声から。
指揮 辻秀幸,伴奏 斎木ユリ
合唱 NHK東京児童ユース・早稲田高グリー

アイ・ラヴ (混声三部)

何かねぇ,曲も指揮も男声も...パリッとしないですね。
編曲者の上田さんって,女性だったんだね。無難にまとめています。

辻さんは,大久保混声などで名をはせた指揮者,辻正行さんの息子ですが,私と同世代だと思うのだがかなりでっぷりですな。
私もぽっこりですが。
指揮者があれだけ身を持て余してどうする?ですね(笑)
踊ってるようにしか見えない。

てことで女声の方を聴いてみます。
指揮大谷研二伴奏斎木ユリ
合唱:NHK東京児童

アイ・ラヴ (女声三部)

こちらの方がまとまっています。
指揮者の腕もありますが,曲の意図を理解しているかも。
でも,大して感動もないので,熱いコメントは無いです。
にしても東京のお嬢さんは,カメラ前でもスカート短かすぎ!(失礼しました)

私の想像力の無さを遥かに超えて,感動的な音楽を聴かせてくれる学校が現れることを願っています。

■追記■高校の部の「いのち」の楽譜に訂正があるようです。
Nコン,楽譜訂正のページ(高校の部)

BARDOS, Lajos (バールドシュ・ラヨシュ) : Ave Maris Stella (めでたし海の星)

2010年06月18日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
先日,BARDOS, Lajos の"Benedicta es"を紹介したが,その後も選曲を兼ねてあちこち動画やら何やらを"漁って"いる。
そこで行き当たったのが "Ave Maris Stella" , 約して「めでたし海の星」あるいは「うるわし海の星」だ。
解説は後回しにして,まずは透明度にオドロキの女声合唱(実際の演奏は児童合唱?)を聴いて欲しい。
合唱は,作曲家の地元であるハンガリアンのようだ。

Bardos Lajos: Ave maris stella

ちょっと想定よりテンポが速いが許容範囲として...曲の頭のソプラノがまことに透明で,主題として何度も楽しませてくれる。
さらにその後の第二主題的なユニゾンも美しく,心地よい。
ただ,だんだんピッチが気になってくるのだが,最初に出てくるソプラノの次のメゾの第1音が何とも微妙に低い。
鍵盤で音をもらうと,それほど低い発音ではないのだが,正しい耳で聴くと,もう少しピッチを上げて歌わないとハモらないのがわかるはずだ(平均律マンセーの耳には無理ですが)
その影響が,後ろに行くほど(エンドレスに)出てくるのだが,子供相手にキツイ批判をしても仕方がないかもしれない。
それでも(いずれ書くかもしれないけれど)あの著名なサボー指揮の「ユニゾン○,透明度×」な演奏よりは個人的にずっとお気に入りである。

次に紹介するのは,同じ曲の混声合唱版だ。
紹介されているのはスロベニア語(Google翻訳さんありがとう),スロベニアはイタリア・オーストリア・ハンガリーに隣接している。
直訳すると演奏は首都リュブリャナの市立博物館において,混声合唱団「リュブリャナの風」 だそうな(直訳すぎ→演奏に係わるの説明ページよりGoogle翻訳さん経由で引用)
こちらも,まず聴いてほしい。

Mesani mladinski pevski zbor Veter - Ave Maris Stella (Lajos Bardos)

ま,音取りが念入りなのはスルーして...(笑)
女声とは調が違うので少し透明度の低い出だしだが,アルトの音もなかなか,やはりオトナっぽい。
テナーもかなり音色をあわせていて聴ける演奏だが,その演奏の良し悪しに関わらず男女でオクターヴのユニゾン(もどき)なのは,曲の味というかありがたさで言うと,圧倒的に女声のほうが良い。
私の合唱団なら,女声で歌うか,混声でもこの部分だけは女声のみで歌いたい。
ベースは,よくありがちなパターンで,がんばってください,否,がんばりすぎないでいただきたい。

自分ならもっと,ってところはあるが,この指揮者,若い女性かと思いますが,なかなかデキますね,
ほどよく分かりやすく,つまらぬテクでなく自分らしさ(やわらかさも含めて)が出ていて好感触だ。
女性の中でも,男性っぽくガチガチな人も多いのだが,体つき,動き,音楽性などが全て柔らかく,団員たちには音楽の方向性がはっきり伝わっているのではないかな。

ちなみにラテン語の読みと意味は,歌詞対訳講座 2.アヴェ・マリス・ステラのページを参照願されたし。

あ,結論は女声?混声??
かえって迷ってます(笑)

[追記]この楽譜(女声・混声とも)および前回の"Benedicta es"の楽譜は,パナムジカから購入できます。

話は思い切り変わって「宇多田ヒカル」

2010年06月17日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
某所で「今は木村カエラ」「その前は青山テルマ」「さらに前は綾香」と書いてきた私(メシウマ話ではなく)
みんな少なくとも詩を書いたり,あるいはシンガー・ソング・ライターとして確立している子たちだ。
そして,それらの子たちを気づかせる最初の存在が「宇多田ヒカル」だった。
まだ十代の少女の鮮烈デビュー。
生まれも育ちもニューヨークで,両親が日本人。
さらにオジサンたちにとってビックリだったのは「母親が藤圭子」
ともかく音楽が新しい。
かぶれた日本人でも,日本語で歌えるガイジンでもない。
言葉も音楽もバイリンガル。

宇多田ヒカル Automatic Live2006

ただし,このあたり(結婚して離婚)から太ってきて,声が出にくくなってきたようです,残念だね。

関係ないけど,NHKの「みんなのうた」に「くま・くま」って出たときは別の意味でビックリだった。
古い人は知ってるけど,小椋桂(?)「おなかの大きな王子さま」くらいの感じ。

ぼくはくま 我是熊I'm a bear


「ぼくはくま」の替え歌(必見(笑))
 ↓
ぼくはうま
だんだんウマくなっていくらしいです。

ぼくはうま(再録)
ちとウマい?

初日(First Love)
最初はそんなにヘタだったんかい?てことで,もう爆笑でした。
ネタがさらに変わってしまった(笑)

続・私の声楽に進むきっかけとなった「帰れソレントへ」のこと

2010年06月16日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
「帰れソレントへ」は聞いたことのある人が多いと思うが,私のお気に入りを紹介しておく。

歌うはルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti),世界三大テノールの一人で,髪もヒゲももじゃもじゃで一番体格がよく高音の出るイタリア人だ。
伴奏は「女王陛下のオーケストラ」と言われる,由緒正しいロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団,場所は金を出しただけではなかなか演奏させてもらえなさそうなロイヤル・アルバート・ホール,7千人の前でのソロだ。
"Recorded in April 13th 1982"とのコメントがあるのでパヴァロッティが46歳の春だと思うが,非常に脂がのっている時期だ。
スタンディング・オベーションの後,ソレントのイントロの入りで聴衆が「待ってました」とばかりに拍手しているので(妄想だが)アンコールの2曲目あたりだろうか(羨ましすぎる場面だぜ)

Pavarotti - Torna a Surriento - DeCurtis

この演奏をはじめて聴いたときに,もう理屈でなくシビレました。
背筋がゾクゾクして,思わず何度も聴き直すのですが,聴いている間しばらく震えがとまらない。
もちろんパヴァロッティは素晴らしいテナーだけどそれだけじゃない。
イタリア人の血というか,やはりソレントはイタリアの曲なんだな,と思いました。
独特のリズム,テンポ,名調子,全てが混ざり合わないと,ここまでシビれることもないだろう。
そしてこの指揮者が素晴らしいですね。
名演を生かしきるセンスを感じる。
背中にパヴァロッティを感じつつ,前には楽団員を感じて,両方を生かしきっている。
勉強させられます。

もうひとつ,パヴァロッティの演奏がありました。こちらは55歳の頃。

Pavarotti torna a sorriento - roma 1990

サラッと入っているように感じるかも知れませんが,イントロと歌のテンポや調子など,何もかもがズレまくっている。
バブリーだった頃の扇子振ってる女子みたいな,必死すぎて残念な指揮です。
演奏自体より,自身の指揮法そのものに気持ちがいっているようです。
女王陛下のオケに比べると,せっかくのパバロッティの力を生かせず,というかわざわざ殺してしまっているみたい。
背中(肌)で感じれば,それまでのことなんだけれど。

そして3本目は,わが日本から。
しかもテノールは酒田出身の市原多朗氏。
さらに「しかも」なのですが,彼は私とピアノが同門です。たまたま姉と同期です。
東京芸大,同大学院に学び,在学中に日伊コンソルソか何かで優勝し渡欧したんでしたっけ?
20代前半の頃に,ヴォイトレを受けたことがあります。ちょうど遊佐のホールだったなぁ。

名曲アルバム エルネスト・デ・クルティス 帰れソレントヘ

日本人としては,イタリア語も流暢で,とても「立派な演奏」です。
が,ソレントって,そんな立派な曲じゃないです。
あまりに「たっぷり」過ぎて,曲の良さ,質感,情感,イタリア・ソレントの港町の風景とか浮かんできませんね。
市原氏は,有名になってからも何度も「凱旋公演」で酒田市民会館で歌っておられますが,私もこのソレントはピアノ伴奏で聴きました。
やはり違和感を感じていました,歌い込みすぎなんです。
また一発目のパバロッティに戻ってもらうと,この曲の良さというか,すごさが理解いただけるでしょう(先輩,ごめんね)

にしてもこの曲,作者を「デ・クルティス」と紹介しているのが殆どですが,作詞が兄で,作曲が弟という「ライト兄弟」状態なのは,今回はじめて知りました。

私の声楽に進むきっかけとなった「帰れソレントへ」のこと

2010年06月16日 | サッカー・野球などスポーツ系
以前,私の音楽への目覚めは東京オリンピックマーチだと書いた。
そして実際に中学生になった私はブラスバンド部に入る。
さらに,歌は?となると,オリンピック以前からかなり好きだったようで,親類の集まる宴会とか病弱の母の代わりに連れて行ってもらった祖母の小旅行で,歌っていたようだった。
小三の時に,次姉から「お前は歌が下手だ」と言われた一言が胸に突き刺さり,好きな歌は心から喜んで歌えないようになり,それまで興味のなかったピアノへ触手を伸ばすきっかけになったのもこの頃だ。

中学ではブラス漬けだったものの指導者にも恵まれず下手すぎ,高校進学(酒田E高)時には自分が楽器の道を行きたいのかどうか,かなり悩んでいた。というか結論を避けていた。
当時,音楽の授業は鶴岡N高でかなり名を上げて定年退官され講師でおられたSK先生で,教科書にもどこにもない「平均律」などという小難しい話を最初から教わり,これが非常に印象的で,50を過ぎた私の現在にかなり影響している。

このSK先生は,音楽部のスカウトをするのに,授業のテストの点数で歌唱力を判断していらして,高一の一学期の私は「花の街」のテストでは「4の下の方」だったらしく,残念ながらお声はかからなかった。
余談だが,当時の私は弓道部に2度も出入りし2度やめて,さらに生物部でダラダラしていたのだった。
さて,初頭になり次に2学期のテストがやってきて,その時の課題曲が「帰れソレントへ」だった。

高校側で知らなかったのか分からないが,この曲は中三でもテスト曲になっていて,そこそこは歌えていた。
それでも,あくまでそれは中学レベルの話であり(たった1年違いだが)もっと大人らしく歌いたいと思い,大先輩である次姉に相談する。
が兄弟のためかなりすったもんだしたうえ,彼女に伴奏してもらい日数を費やし,本番を迎える。
(たぶん当時の男子で,ここまで歌い込んだヤツはいないだろう(笑))

実は困ったことがあり,伴奏者(女子のみ)は当日でないとわからなかった。
つまり打ち合わせができず,一発勝負だった。
さぁてどうなる?と思ったら,私の伴奏をしてくれるのは,中学でもクラスとブラスでご一緒の,才媛で一方的に恋焦がれていたKYさんだった(空気読めます)
16際の私,自分の希望すら言えない..が腹をくくってお願いする。
「テンポはこんな感じで,三拍子のリズムは...こことあそこはrit.するので合わせて下さい」って,精一杯だった。

歌ってみると,彼女はすごい人でした。
全部私の言ったとおりに合わせてくれ,快適すぎて何歌ってるんだがわからないくらい。
アンコール来るんじゃね?ってくらい,授業なのに拍手されてしまった。
彼女に礼を言うと「とっても良かったよ」とありがたいお言葉。
この時のことがあり,後に中学の同級会彼女から歌をリクエストされたりしたのだが,残念なことに彼女は同期で一番早くお嫁に行ってしまったのである(話がズレてる)

この「ソレント」の成功で,私の評価も「4の下」から「5レベル」になり,学校の帰りのバス(冬だけ利用)で,小中でも世話になったKK先輩にスカウトされたのだった。
(続く)

W杯サッカー日本代表はカメルーンに勝ち!

2010年06月15日 | サッカー・野球などスポーツ系
久しぶりにすすんでサッカーネタを書く。
ともかく,今回は期待していなかった分,昨夜の勝利がことのほか嬉しい。
何といってもW杯初戦の勝ちは史上初なのだ。
前回の初戦は,逆転負けだったのだ(バカボンのパパ風)

いろいろ言われているが,勝因は2つ。
ひとつは,日本代表が一致団結したこと。
直前の韓国戦のバラバラ感が全くなかった。
(パク・チソンに散々言われていた)
しかし昨夜はシステムとして機能していた。

もうひとつは,カメルーンがバラバラだったうえ,エトーを右で使うなど戦術的にも「負けたいのか?」てなくらいひどかったこと。

本田が1点目を取れたのは良かったが,後半は攻められっぱなしだった。
そこを日本が守りきり,カメルーンで言えば攻め切れなかった。
この相乗効果?こそが勝敗の決定要因だったろう。

古くより「無限実行」を是とした国だったし「ビッグ・マウス」はマイナス・イメージだったが,最近は良いほうに使われるようになってきた。
この調子で言っただけの実績をあげて,賞賛されるようだとなお,ありがたい。

疲れきって

2010年06月14日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
タイトル読んで,佐藤真の「旅のあとに」を思い出している人がいたら,かなりコアなファンですね。
コメントが欲しいくらい...

昨日の合唱フェスティバルは,自分の団体で弾き振り(というか歌い振り),もう1団体でさらに歌い,合同合唱でも歌った。
午前中のリハーサルで既に「これ無理ちゃうか?」(庄内人だけど)状態ではあったが,午後の本番になるや,トップバッターだった自分の団体で既に使い果たしてしまった。

いやはや,50過ぎて,ステージではたぶんはじめての「歌って振って」は,かなりの労力を要した。
ま,自分が望んでやったことだけどね。

内容?結果??後でね(笑)
かなり厳しい状態です。

BARDOS, Lajos "Benedicta es" について

2010年06月12日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
「音源は無い」などと書いたばかりだが,実際にYoutubeどころか,あちこち探ってもなかなか出てこない(買えば別だが(^^;;)
てことで,実は自分用にMIDI(言わばカラオケ)で作っていた簡単なのはあったので,少し「味」を加え,改変してupしてみた。

他人のせいにしつつ,自分の覚え書きも兼ねて,以下のように加えておいた(参考まで)

[The lyrics] [歌詞]
(Unison)
Benadicta es tu, Virgo Maria,
a Domino Deo excelso
(Chorus)
prae omnibus mulieribus super terram,
(Unison)
Tu gloria Jerusalem,
tu laetitia Israel,
(Chorus)
Tu honorificentia populi nostri,
(Unison)
alleluja, Tota pulchra es Maria,
(Chorus)
et macula originalis non est in te,
alleluja,

[日本人の方へ]
作曲家の"BARDOS, Lajos"は,二十世紀を生きた現代の人です。
しかしながら,"unison"の部分では,中世の聖歌のように(言葉に音を乗せて一体にして歌うようにあるいは,自然に語るように)書いています。

歌詞のうち,大文字で書かれた単語の前の音では,言い直すような発音をすると,より自然に音が奏でられると思います。

あたかも変拍子のように書かれている小節は,あくまで音楽優先ではなく,言葉のアクセントが優先されていますので,語感を大切に注意して演奏しましょう。

全体として,主に男声による"unison"と混声の"chorus"の繰り返しで,独特の曲に仕上がっています。

演奏上は,"unison"では言葉に音を乗せて,"chorus"ではその延長線上で(テンポを重くせず,歌い込み過ぎず)淡々と歌い上げることで曲の持つ美しさを表現できるでしょう。

Benedicta es / BARDOS, Lajos (instrumental) for SATB

6/13(日)もう一つの合唱団では...

2010年06月11日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
かなりテンパってきたので,遊佐混声合唱団の話がすっかりブッ飛んでました。

こちらは2曲歌うことになっていて,
1曲目はハンガリーのバールドシュ作曲で
Benedicta es
です。
全体の半分くらいがユニゾンで,さらにその半分が男声のみという,なかなかできそうでいて厄介な曲です。
ユニゾンである理由は,グレゴリアン・チャントみたいに,単音で言葉に音を乗せる,そんな歌い方で,アクセントのつけ方が曲のノリを左右するのです。

その関係で,変拍子風になるものですから,指揮者と歌い手側がすっきり合わないといけない。
あと,ユニゾンとコーラスの転換が難しい,というか受け渡しが多いのです。
個人的には,ほぼつかめましたが,男声は練習量が足りなくて,なかなかノッてないですね。
音源は...ありません(笑)

もう一曲は,「未来への決意」の「4.決意」です。
この曲,詩の関係でかなり中学生に歌われるようです。
というか,この曲はまだしも「2.人間」なんて,変拍子含めて,大人でも難しいですけど,うちの三男はクラスで歌っていました(珍しく感動でした)

日本のものなので,語るより聴く方が早いでしょう。

混声合唱組曲「未来への決意」より 4.決意

6/13(日)の酒田飽海地区合唱フィスティバルで歌う

2010年06月11日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
後期ルネッサンスの16世紀に最も活躍したといわれるフランドル楽派の作曲家「オルランド・ディ・ラッソ」の曲"Salve Regina"を2曲目に歌う。
"Ave Maria"などの次に良く見受けるテキストの一つで,いわゆるマリア賛歌などといわれるものである。
フランドル楽派...地域で言えば当時より「フランドル地方」という呼び名があり,現在でいうベネルクス三国にフランスとドイツの夫々一部を加えた地域を指す。フランドル楽派と言われる作曲家たちは,概ね「通模倣様式」と言われる,非同時で各パートが同じようなメロディで掛け合うポリフォニックな演奏形式が主である。
ルネッサンス期と言えば宗教改革が行われ,印刷技術を初め目覚しい発展が行われ,従来はラテン語でしか歌わなかった教会音楽(宗教曲)も,プロテスタントの布教とともに,各国語でも歌われるようになっていった(らしい)
また,この時代の合唱といえば,そのほとんどが無伴奏(ア・カペラ)であり,楽器が主役として見られるのは,次のバロック期になってからである。
ジョスカン・デ・プレの"Ave Maria"を歌わせてもらったが,確かに通模倣形式の極みともいえ音楽だったたのに対し,わがラッソも,かなりのバリエーションを持ちつつも,特に宗教曲においては,同様の形式を貫いていたように見受けられる。
かなりの多作家で,しかも多数の言語を操り,生涯の作曲数は1000を超え,一説には2000とも言われる。
これは,後世の天才「モーツァルト」と比肩されるものである。

てことで(急にぶっちゃけてる(笑))私が昔,MIDIで作成したものを~MP3変換~WMV変換~Youtube,とupしたものでお聴きください。
6/13の予習として聴いていただけると,さらにありがたいです(そんな奇特な方はいらっしゃらないでしょうが)
ちなみに,楽譜より半音上げ(移調し)ています。
編成は「SATB」ですが,我々は「S+S+AT+B」で10人で歌います。

Salve Regina / Orland di Lasso (instrumental) for SATB

6/13(日)14時より「酒田飽海地区合唱フェスティバル」に出演します

2010年06月11日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
かなーり久しぶり(17,8年ぶりか)に指揮者でも出させていただきます。
で,ここの合唱団"Sakata Coro a Cappella"(酒田コーロ・ア・カペッラ)としては,初の人前での演奏となります(ドキドキ)

6月13日(日)14:00より,酒田市民会館大ホール(希望ホール)でのステージで演奏します。
病気療養とか言いながら,約一年で本番の舞台に上がります。

酒田飽海地区合唱フォスティバルがあるのですが,そのトップバッターで歌うことに。
当日は三曲を演奏します。
1曲目は女声四部合唱で,「ハビエル・ブスト」の作曲による「Ave Maria gratia plena」です。
テキストは一般的な「アヴェ・マリア」と同じです。
2曲目は混声四部合唱で,16世紀・ルネッサンスのフランドル楽派を代表する「オルランド・ディ・ラッソ」による「Salve Regina」です。
こちらは時代特有の,平均律ではない和声と,ポリフォニックな曲想を目指して歌っていきます。
3曲目は日本の歌笹舟です。舵のない「笹舟」を,心揺れる思春期の中学生に見立て,応援する歌です。
本来の混声三部を私のオリジナルで混声四部合唱にして歌います。

一昨日,これの練習でしたが,後ろ二つは歌も歌いながらの「弾き振り」でしたので,かなりきつかったです。
珍しく,帰宅してすぐに寝られました。ヘロヘロでした。
ソプラノの「大黒柱」が明日帰国するので,彼女の体調しだい,最悪のケースでは「ドタキャンか」とも揶揄されています(笑)

ピアノ...以前のブログに書いたけど

2010年06月11日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
小2の終わりごろ,我が家にも突然にピアノはやってきた。
カ●イ楽器製である。
私の姉(次姉というべきか)が,高校生となり幼稚園の教諭を目指すにあたり,必須科目であるピアノを習い出したのだ。
当時,聴いた曲は全てバイエルだったのだろうが,私はたちまちピアノの虜になり,小3の頃には父に,ピアノを習いたいと言い出したのだ。

当時,父は男の子にピアノを習わせるのはどうかと悩んだらしく,私の担任の教師に相談している。
教師は,父が習うのと勘違いしたらしく「40を過ぎてもしたいことはやれば良い」と言ったそうだ。

私は幼稚園の頃,かの東京オリンピックでの入場行進で初めてマーチを聴き,何とも言えない感動を覚え,いずれはこんな曲を演奏してみたい,と思うようになっていた。
事実,中学生になった私は,トランペットを吹くことになるのだが,それはずっと後の話である。

話を戻すが,当時の私は,ピアノが何物かも知らず,ひたすら姉の弾くバイエルに傾聴していたように思う。
たまたま通ったピアノ教室の先生が国立音大を首席で卒業,という地元では有名な人だったため,たかがバイエルでも,随分と音楽的に教えていただいた。
特に,緊張しつつも楽しかったのは,30番台の先生との連弾である。
私のつたない音色を,先生の音楽性豊かな演奏がすっぽりと包んでくれる。
あっという間にそのあたりの曲は通りすぎてしまうのだが,機会があれば,また演奏させていただきたいと思う。

私は,今でも,音楽をすることも聴くことも,そして考えることも好きなのだが,地道に練習する,というのは大の苦手である。
ピアノについても例外ではなく,小5の頃には,ついつい練習をサボってしまう。
さらに,ひょんな理由(というか罰だったのだが)から剣道をやることになってからは,練習イコール教室行きという状況となり,私のピアノ教室通いも間もなく終わってしまう。

後年,私はコーラスを続け,特に指揮者などという大それた役割を担うことになった時,何気なくピアノをやめてしまった小学生時代を大いに後悔することとなるのである。

さて,やがて私の,というか我が家のピアノと私との間にも,別れの時が来た。
姉が保育専門学校に上がり,私は好きな時に自由にピアノを触れる立場になり,彼女が卒業し幼稚園に勤務,私ともある程度対等に音楽をやるようになっていたのだが,それも長くは続かず,私の高校卒業時に彼女の結婚により嫁入り道具として我が家を去って行ったのである。
恥ずかしい話だが,私は改めて,ピアノが私の,あるいは家の所有物ではなかったことを痛切に知ることとなった。

10年余りの後,結婚した私は家族とともに仙台に転勤する。
突然の環境変化で,休日にやることも少なく,私はついに2代目のピアノに触手を伸ばす。
こだわりのある私は,やはりカ●イ楽器製を選んでしまう。
オーク材を用いた家具調で,輸出用のピアノだった。
アップライトで背も低く,格別に良い音を醸すわけではないが,オーダーメイドに近い味わいに惚れてしまい,借財をしてしまう。

大好きなユーミンを弾き語ったり,コーラスの練習に使ったりと,初めは彼女との対話も多かった。
あまりの騒音に,近所から苦情が来たこともしばしばだった。
調律も定期的にしていたし,その後の3度の引越しでも,ピアノには別個の運送業者を使うなど,破格の扱いをしてきた。
さらに,新築時には,フローリングも彼女と同じ材料でコーディネートした。

今,彼女はきっと泣いている。
私はコーラスの現役を退き,音楽と言えばDTM,というかMIDIのみ,つまり音楽を含めた趣味としてパソコンに重きを置いているからである。
さらには,会社でも職責が上がり,さらには地域活動と,彼女と"対話"する機会は激減したのである。
埃にまみれ,子供たちのおもちゃを置かれて,彼女はきっと泣いている。

平成12年1月17日の手記より

(注)現在は,おかげさまで調律も復活しました。
 音取りはピアノで,編曲や楽譜製作はパソコン(シーケンサー)で,と使い分けをしています。