2014年5月8日。
この日は僕の41歳の誕生日だった。
特に信じているわけではないが、インターネットの各サイトのホーム画面などに掲載されている占いでは、5月8日の僕の運勢はいずれも最高に近いものだった。
いや、もしかしたら登録した僕の個人情報などを元に、誕生日を気分よく過ごさせてくれようとの取り計らいかもしれない。
信じる信じないはともかく、もし最高に近いような運勢ならばここはサツキマス狙いの釣行を敢行しないわけにはいかない。
転落が始まってこの日で6年目になる。
望まない不当な異動の辞令を受けたものの、当時の僕のプライドが許さず退職したのが2009年。
しかし、当時はリーマンショックの後で就職戦線はとても厳しく、約半年間僕は無職だった。
次の仕事はすぐに見つかるだろうという思いはあまりにも浅はかだったと後悔していた。
これ以上ブランク期間を延ばすわけにはいかないと思い、なんとか採用になった企業では契約社員の雇用だった。
職務は「営業」ということになっていたが、世間では「お遣い」のレベルだった。
正社員登用制度有りということだったが、そんなものは詭弁に過ぎないとすぐに悟った。
2011年に、以前勤めた企業と業界的に近いメーカーに営業職で再度転職した。
顧客の課題や問題点に対して解決策などを提案しながら関係を深めていくことが得意だった僕は、もう一度メーカーの営業として活躍したいという思いを抱いていた。
ところが蓋を開けてみれば真逆の社風だった。
メーカーとしてそれで良いのかと目や耳を疑うことが頻繁にあった。
長期にわたって顧客との関係を築くなど望めない売っておしまいの営業スタイル。
その場の雰囲気で勢いでサインさせてしまうような営業手法を推奨していた。
契約を取らねばならない、これが僕の仕事なんだと自分に言い聞かせようとしたが、顧客を騙して商売しているような気分になり、強い葛藤がいつも心に介在していた。
次第に契約は取れなくなり、僕の心は疲弊していった。
僕は鬱病を発症してしまった。
回復したと判断して社会復帰するもすぐに再発してまたドロップアウトした。
今度こそ大丈夫だと、完全に回復してから勤め始めた企業では、ある日突然「もう来なくていいよ」と言われた。
明言はしなかったがその数日前からの様子から察するに、病歴が解雇理由であることには疑いようがなかった。
そして現在も僕は無職だ。
年齢やここ数年の職業履歴から考えると、そう簡単にはどこの企業も雇い入れてはくれない。
はっきり言って、毎日面白くない。
今はもう心身ともに健康状態には全く問題はない。
けれど、勤め先がない。
40年生きてきて、今日で満41年。
這い上がれなくてもいいから、ならば這い上がれないなりにどういう生き方をしたら自分は幸せになれるだろうか。
答えは勿論釣りだ。
釣りが出来ない人生なんて考えられない。
贅沢で豪奢な生活をしたいという思いはない。
慎ましい毎日でいいから、休日に思う存分釣りのできる人生を送りたい。
それが僕の幸せだ。
夜空を見上げながら僕はこんなことを考えていた。
自宅を出た時から興奮していた僕は、釣り場に着いても車中で寝付かれなかった。
夜明けまで3時間弱。
その少し前から川の様子は分かる。
少し寒いが釣り座に着いていることにした。
今日こそサツキマスを獲る。
今日は獲れる日なのだ。
41歳の誕生日に41cmのサツキマスを獲るとか、そんなミラクルなことがあってもいいじゃないか。
ここ何年も面白くない日を過ごしてきたんだし、今日くらい楽しんでもいいではないか。
根拠は何もなかったが、僕は今日こそ獲れると息巻いていた。
しかし現実はそう甘くはない。
周囲がはっきりと明るくなったときに気付いた。
今日の長良川は濁っている。
若干ではあるが、確実に濁りは入っている。
あまりよろしくない状況だった。
前回の釣行時も、夜明けから竿を振り続けて全く反応がなかったのに、いきなり昼前になって掛かった。
そんなこともあるのだから、諦めずに流そう。
今日は平日だし、前回のように20~30mの距離の行ったり来たりではない。
もっと広範囲に探れる。
必ずここにはサツキマスが入っているんだ。
そいつを獲るために今日はここへ来たのだ。
そうやって何度も自分に言い聞かせながら根気よく流してみたものの、ウグイらしきアタリが一度。
一旦見切りをつけようと、昼前にその場所を離れることにした。
何処から入っているのか分からない濁りだったが、少しずつ上流に移動してみることにした。
先ほどのポイントの一つ上流の有名ポイントは朝から停まっているクルマが今も動かない。
様子を見に川原に降りたが入る余地はなかった。
一人の釣り師に釣果を尋ねたところ、戻りアマゴが1本ということだった。
今日はサツキマスを釣るには難しい日なのかなと思い始めた。
再度クルマを走らせもう少し上流の有名ポイントを覗いてみたが、そこも先行者が複数名竿を出しており入る余地はなかった。
しかし、その上流にいい流れがあったことを記憶していたのでそのまま川原の道を進んでいった。
ここでは長良川の水は清澄だった。
流れもいい感じだ。
期待に胸を膨らませながら流し始めたが、程無く風がかなり強くなってきた。
時には魚が掛かって走り出したのかと思うほど竿が強く煽られとても釣りのできる状態ではなくなった。
今日は一日中竿を振っていたかったんだけどな・・・と思いながらもこの状況では為す術もない。
夕方になって風が弱まるのを待って再開しようと考え、午前中のポイントに戻り休むことにした。
時刻は16時少し前。
周囲には誰も居ない。
午前中にさんざん探ったポイントだったが、昼のうちに下流から遡上してきた新たなサツキマスが入っているかもしれない。
諦めるなと自己を鼓舞し流し始めた。
しかし、現実はあまりにも残酷だった。
午前中同様何の反応も無い。
誕生日の釣りがこんなでは今年の僕の運勢も知れたものかと寂しい気持ちになりかけたが、過去の高原川での釣りを思い起こし、根気よくと言うべきか執念深くと言うべきか、とにかく僕は流し続けた。
2008年8月の高原川。
それまでヤマメを釣ったことがなかった僕は、是非一度ヤマメを釣りたいと思い高原川に向かった。
アマゴとヤマメの違いなど魚体の朱点の有無のみで、実釣では何も変わらないだろうと言われそうだ。
僕は今でこそヤマメよりアマゴの方を好んで釣るが、その時の僕はまだ見ぬヤマメを釣りたい一心だった。
しかし、夜明けと同時に竿を振っていたものの、釣れるのは新仔ヤマメのみ。
日中風が強くなり一旦渓に入ったが、何故か渓でウグイの猛攻に遭う。
今日はまともなヤマメには出会えないのかと諦めかけたときに夕立が襲った。
恐らくそれで魚の活性が上がったのだろう。
朝一で入ったポイントに夕マズメに再度竿を出した。
もう日も暮れかけたときにあたったその魚は尺ヤマメだった。
初めて獲ったまともなサイズのヤマメが尺ヤマメだったのだ。
あのときの喜びは今でも忘れられない。
完全な負け試合だったものを、逆転満塁ホームランでサヨナラ勝ちしたような気分になった。
諦めそうになる気持ちを、高原川での釣りを思い起こすことによって何とかつなぎとめて流し続けた。
あの日ももう殆ど諦めていただろ?
日が暮れかかって今日はここまでかって思った時にあたっただろ?
絶対来るぞ、諦めたらアカン。
時刻は18時半を回った。
高原川でヤマメを獲ったのは18時だった。
もう無理か・・・そう思った時、ゴンゴンと強い魚信があった。
僕はすかさず合わせた。
魚は首を振る。
しかし、軽かった・・・
その小さな魚体からは想像できないほど強くてシャープな引きで走り回り、ヒラを打って楽しませてくれたアマゴは、20cmを少し越えるくらい。
戻りアマゴとも言えないサイズだが、暮色に染まる長良川河畔で眩しいくらいに輝く銀色の魚体は、河口付近とまでは行かなくとも、本流をある程度降った個体なのだろう。
今年一年を象徴するようなサイズになりそうだなと自嘲的になったものの、体高こそないが分厚い身体で美味しそうだった。
しかし、食べるわけにはいかない。
僕の誕生日を祝いに来てくれた愛おしいアマゴ姫ではないか。
よく見ると銀色のボディに薄く散りばめられた朱点も僕の好きなタイプだ。
日頃なら絶対に撮影などしないサイズだったが今日だけは特別にと思い、優しく丁寧に彼女に触れながら写真撮影を行なった。
「もう釣られるなよ~」と今しがた自分が釣ったにもかかわらず、勝手極まりない言葉を掛けながらアマゴ姫を流れに返した時には周囲はかなり暗くなっていた。
次回こそ、サツキマスを。