How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

2014/05/22 長良川 追憶のサツキマス VOL:Ⅴ ~邂逅のとき

2014-05-24 00:00:12 | 渓流釣り 釣行記(サツキマス)

長い道程だった。
僕がサツキマスを釣りたいと思って初めて長良川河畔に立ったのは2007年5月。
そのシーズンから数えて今年で8年目。
その間、5月前後にまともに釣りが出来なかったシーズンが2回。
初挑戦のシーズンは「釣りに行く」というより「見学に行く」と言った方が適切なくらいで、僕の中ではカウントはしていない。
それでも少なく考えても5シーズンを要した。



幼い頃から鮭科魚類が好きだった。
理由は分からない。
両親が買い与えてくれた魚類図鑑は、手に取ると「さけのなかま」のページが見開くように癖が着いていたし、そのページを音読しながら「さけのなかま」の魚体を眺めていたことは今でも記憶にある。
もしかしたらその精悍な顔つきが幼心を魅了したのかもしれない。
幼魚の頃に降海し、何年かの長旅を経て母川に回帰するという生活史にロマンのようなものを感じたのかもしれない。
とにかく僕は小学校に上がる前に既にアマゴ、ヤマメ、サクラマスという種のことは知っていたし、ヤマメの降海型がサクラマスということも知っていた。
しかし、サツキマスについては全く無知だった。
40年近く前には幼児向け図鑑に掲載されるほど認知された魚ではなかったのだろう。

名古屋に生まれ、14歳の時に家族で岐阜県に転居した自分には、特別に鮭と縁や接触のある幼少時代を過ごしたわけではない。
それでも物心が着くか着かないかの頃に抱いた「さけのなかま」に対する興味や憧憬はそのまま持続し、僕は「自分の住む街にも鮭が遡ってくる川があるといいな」といつも思っていた。


サツキマスという魚のことを知ったのは高校生の時だった。
世間では長良川河口堰の運用について声高に議論が交わされていた。
当時は「へえ、アマゴの降海型なんて居たんだ」と驚きはしたもののそれ以上に関心は持たなかった。

ちょっとした機会があり、30歳を過ぎてからずっと憧れていた渓流釣りを始めた。
しかし、始めて間もない頃は釣魚としてサツキマスを思い起こすことなどなかった。
何がきっかけになったのか今でははっきり覚えていないが、あるとき突如閃いた。
光の矢が頭の中を突き抜けて行ったような感覚だった。

そうだ!自分の住む街ではないけど、岐阜県には長良川があるじゃないか!
サツキマスに会えるよな。サツキマスを釣りに行こう!



このようにして追憶の日々が始まった。
それまでは渓流シーズンの解禁日が近付くと落ち着かなくなったが、その時期が約1ヶ月半遅れるようになった。
4月半ばになるとそわそわし始め、ゴールデン・ウィークは極力休日出勤が入らないように立ち回り、願わくは有給休暇を使って全て長良川でのサツキマス釣りに充てようと試みた。
そしてゴールデン・ウィーク以降も毎週末長良川に立った。
しかし、サツキマスには会うことが出来なかった。
獲れるのは明らかな戻りアマゴや「これはサツキマスとは言えないだろうな、戻りだな・・・」という個体ばかりだった。
時折本命と思われる魚が掛かったが、バラシやハリスをチモトで切られたりするなどして、ことごとく獲れずにいた。

2014年、今シーズンは4月上旬から調査も兼ねての釣行を続けた。
自分としてはかなり早い時期から長良川に立ち始めた。
しかし一向に獲れる気配はない。
ゴールデン・ウィーク中に一度掛けたものの、またもやチモトでハリスを切られた。
遡上の本陣に接触することができたものの、そのときにも自分の竿には掛からなかった。
ならばマスたちと一緒に遡上しようと、今シーズン頻繁に入った流域よりも少し上流で竿を出したもの、既にマスたちは郡上辺りまで到達していた模様で、ここでもまた空振りだった。

少しずつ嫌気がさしてきた。
いつかは獲れるだろうと思い根気よく釣行を重ねてきたが、ここまで縁がないと救いようがないなと腐ってきた。
楽しい筈の釣りが楽しくなくなって、本来の目的から外れてきた。
高望みや贅沢を言っているつもりはない。
小さくても構わないから、誰が見ても「サツキマスだね」と言える個体を一本獲れればそれで満足するのに、その一本が僕には獲れなかった。
腐った気持ちで釣りをしても釣れそうにないし、余計に運気が下がるだけだと思い、必死になって追い掛けるのは今シーズンはもう終わりにしようと一旦は決めた。

そう決めた翌日、ふと思うところがあった。
自分の釣り方のここが悪いのではないかという点が急に思い浮かんだ。
もう終わりにしようと決めたものの、気になったまま来シーズンまで引き延ばすのはやはりあまり気持ちの良いものではない。
釣れなくていい、というかどうせ釣れないのだから、もう一度気になる点を確かめに行ってみよう。



2014年5月22日、その日も前夜のうちに関市内の入川箇所にクルマを停めて車中泊をした。
釣り場で顔見知りになった方々も夜明け前からやってきた。
雨後の増水が減水に転じ始めたタイミングで今日は釣れそうだと誰もが思っていた。
しかし、蓋を開けてみるとその逆だった。
釣れる日は必ずと言ってよいほど朝一で誰かの竿に掛かる。
ところがその日は誰の竿にも掛からなかった。
ひとり、またひとりと川から上がっていき、気が付くと朝一で入川したのは僕とルアーマンの2名だけだった。

朝一の入川者と入れ替わりで何名か入川していた中の一人が、一帯のポイントの中ではかなり下流域に当たる部分で立て続けに2本のサツキマスを獲った。
「ああ、やっぱこんなもんだ。僕には縁がないんだな。」と思ったが、今日はそれまでとは違い腐った気持ちにもならず、諦めなのか悟りを開いたのか、それ以上は何も思わなった。
特に目的も目論みも考えもなく、ポイントを変えてみようとひとつ下流のポイントに移動したが、竿を出した直後から風が強くなりまともに竿を振れなくなった。
すんでのところで納竿するところだったが、ふと上流域の天候が気になった。
確か前夜の予報では美並辺りは昼からもそれほど風が強くならないと出ていたはずだが・・・
スマートフォンで確認するとその時点でも予報は変わっていなかった。
「行ってみるか。平日に相戸の堰堤で竿を出せるなんてこの先そうそう機会はないだろうな。」



僕が向かったのは、郡上市美並にある「相戸の堰堤」と呼ばれるポイントだった。
全国区と言ってもよいくらい有名なサツキマスの一級ポイントだ。
遡上しにくい堰堤のため、マスたちは必ずここで一旦は止まる。
止まっている間に下流から続々とマスたちが遡上してくる。
辺り一帯は非常にサツキマスが濃くなる。
必然的に出会う可能性も高くなる。
しかし、あまりにも有名なため休日に思い通りのポイントに入るのは困難を極める。
僕自身、人混みの中で竿を出すのは好きではない。
しかし今日は平日だった。
いくらかは空いているだろう。
取り敢えず行ってみよう、もし空いてなかったら自分で見つけた二級ポイントにまた移動すればいい。


相戸の堰堤に到着したのは正午を少し回ったくらいだった。
風はあるが竿が振れないほどではない。
そして、あろうことか入川者は一人も居なかった。
平日の昼間とは言えさすがにそれには面食らったが、相戸の堰堤で貸し切り状態の釣りが出来るなどという幸運にはそうそう恵まれないと思い、有りがたく竿を出させてもらうことにした。

しかし、竿を出してから20分近くは試行錯誤だった。
これまで主に竿を出してきた関市内の流れに比べると相当緩い。
流れに合わせてオモリを軽くすると風の影響もあって仕掛けが飛ばない。
通常の渓流用仕掛けならまだよいが、サツキマス用の太い仕掛けのため想像を遥かに超えて飛ばない。
仕掛けを飛ばそうとオモリを重くすると流れに乗らずに手前に寄ってくる。
両者のバランスをなんとか取れるような、いや寧ろ許せる範囲で妥協したオモリ量を見つけるのにかなり手間がかかった。

どうにかオモリの量が決まるが、僕の頭の中ではサツキマスを釣りに来たという考えが薄れていた。
釣行前に考えていた「自分の釣り方の良くない点」を確かめるにもオモリワークは重要だった。
「気をつけないと仕掛けが手前に寄ってくるオモリ量」と「太仕掛けのためにその軽さでは飛ばしにくいオモリ量」でも確実に餌先行で底を取りながらしっかりと流れに乗せて手前に寄ってこないようにドリフトさせるという訓練のつもりでいた。


気が付くと辺り一帯を1時間半近く流し続けていた。
その間20cmくらいのアマゴが1匹釣れたが、それ以外はアタリすらなかった。
少し風が強くなってきたので休憩しようと腰に下げたペットボトルに手を伸ばすが中身はほぼ空だった。
そこで一旦川から上がりクルマに戻った。
堤防道路から川面を眺めながら、一体マスは何処に着くのかなあと考えていた。
普通に本流でアマゴを狙うならここだなと見当は付くのだが、果たしてサツキマスも同じなのだろうか。
定位すると言ってもアマゴのように餌を待ち受けて定位しているわけではないし。
竿の届く範囲で隈なく探るしかないのだろうな。


再び川に降りてきた。
堤防道路から見ていた時には、少し下流を流してみようと考えていたのだが、いつの間に入川者が居た。
1時間半に渡りさんざん流した筋だったが、仕方なくまた同じ筋を流すことにした。

一振り目。風に仕掛けが煽られ、岸近いところに着水。
そのまま流すがオモリが川底に着いた時点で仕掛けを上げた。

二振り目。風の間隙を突いて振り込み、狙った地点に投餌成功。
そのまま餌先行で流し始めた。

ドリフトが後半に差し掛かった時にゴツゴツという鈍いアタリを感じた。
その鈍さから僕はウグイのアタリだと思った。
しかし、ここのところ微妙なアタリや違和感を覚えたらすぐに合わせるということを行なっていたため、相手がウグイだろうとなんだろうと、反射的に間髪入れずにアワセを入れた。

水の中で、何かが身体を反転させるような動きが伝わってきた。
同時に、愛竿エアマスターの胴にその重みがズッシリと乗った。
「サツキマスだ」。
瞬時に緊張感が全身を走った。
まさか掛かるとは思っていなかったが、僕はすぐに臨戦態勢に入った。

水の中の相手は首を振り、魚体を翻しながら、向かうというよりはそのまま流れていくように下流へ動いた。
竿を上流側へ寝かせて絞りながら、僕も魚に合わせて一歩、二歩と少しずつ下流へと動いた。
エアマスターはまだ絞れる。限界はまだ先だ。




2007年7月に手に入れた、愛竿にして老竿の琥珀本流エアマスター。
その年の5月にサツキマスを狙いに初めて長良川を訪れたのだが、入川箇所はまさしくこの相戸の堰堤だった。

日常生活や交友関係において、僕の周囲にはサツキマスを狙っている者は皆無だった。
釣り具屋の店員の頼りないアドバイスや、インターネットの不確実な情報などをもとに、当時所持していた初代の「琥珀本流ハイパードリフト サツキ75SC」を手に入川した。

しかし、竿そのものは非常に良くできていたのだが、いかんせん絶対的に長さが足りなかった。
その竿は同じ郡上地域でももっと上流域の川幅が狭くなるフィールドにおいて活きてくる竿だった。
それ以上に、本格的に本流での釣りをしたことがない僕が、初めての本流釣りでサツキマスを狙うなど暴挙という他ないと痛感し、先ずはまともに本流で釣りが出来るようにしなければと思い直した。

サツキマスに初挑戦した日、竿の長さがあった方が絶対に有利だと思い知らされた僕はその後の本流域の釣行でも同様の感想を抱いた。
そして当時はダイワの笹尾テスターの釣り方に感銘を受けたことも手伝って、僕はエアマスターを手に入れた。
はっきり言って、最初は分不相応な竿だった。
しかし、「この竿ならサツキマスも獲れるだろう」という思いがあったことも事実だ。

元上から曲がっていると思わせるようなその調子故、20cmあまりのアマゴでさえ抜けないし強引に寄せることもできない。
「エアマスター、ホントに大丈夫なのか?」と最初は疑心暗鬼だった。

しかし、尺クラスの個体を掛けてもさほど造作なく寄ってくる。
竿を少し強めに矯めていれば知らないうちに魚が弱って寄ってくるのだ。
魚にとっては、10mの竿を曲げて、更にそれ以上の長さの仕掛けを引きずるのは相当な体力を消費するのだろうということが次第に分かってきた。
時に大型が掛かり、穂先が自分の目の前に降りてくるほど竿を絞られたとしても、元竿をしっかり立てて矯めていれば耐えてくれるということも分かってきた。
その細さから想像する以上にパワーのある竿だと感じ、大切にしてきた。

当初僕はずっとエアマスターでサツキマスを狙い続けるつもりだった。
しかしながら2008年5月の長良川で、振り込んだ際に受けた横風のため元上を折ってしまった。
修理期間中のためのサブとして、サツキマスには少し強いかと思いながら、シマノの「スーパーゲーム パワースペックH83-90」を入手した。

飽く迄サツキマス狙いのサブのつもりだった。
パワースペックで本流アマゴを掛けてもあっという間に寄って来て面白くない。
従って、シーズンを通せばエアマスターの出番の方が圧倒的に多い。
ならばサツキマスを狙うときにはエアマスターは休ませておいて、パワースペックを使おうと考えた。
押しの強い流れもあるし、立ち込みや渡渉の苦手な自分にはある程度強引に寄せられる方が良いかもしれない。

2014年、さすがにくたびれてきたエアマスターの代替に、そしてサツキマスも射程圏内にと目論んで入手した「琥珀本流ハイパードリフト スーパーヤマメ95MR」。
実釣で初めて魚が掛かった際のアワセにより破断して現在入院中である。
昨シーズンまでの例を踏襲するなら、持ち出すのはパワースペックになる。

しかし僕はスーパーヤマメの戦線離脱以降、今シーズンは一貫してエアマスターを使ってきた。
何故なら今シーズンこそサツキマスを獲ってやると思っていたからだ。
いつ使えなくなるか分からないエアマスターへの餞として使ってきた。
そして今、エアマスターにサツキマスが掛かっている。
7年の時を経て、奇しくも最初にサツキマスを釣ろうと思って入川したポイントで、やっと出番が来たと竿が意思を持って意気込んでいるように思えてくる。



相手はそのまま首を振り、魚体を翻しながら下流へと向かっていった。
僕も竿を絞りながら着いて行ったが、そのままではいずれ瀬落ちに差し掛かる。
落差こそたいしたことはないが、そこまで降らせたくはない。
岸にもボサがあり着いて行きにくくなる。
僕は少し強めに竿を絞った。
まだ限界ではない。
それでも相手の動きが止まった。
上流方向に頭を向き直し、沖へ沖へと走り始めた。
僕は掛かってから初めて竿を立てて腰を落とした。
限界は近付いている。
沖へ向かおうとしていた相手との距離が縮まり始めたことが分かった。

竿の角度に留意しながら、僕は一歩ずつ岸の方へと後ずさりして相手を寄せてきた。
僕の前の流れを右に左にと向きを変えながら横切るその姿は、シルエット程度でまだはっきりとは見えない。
尚も後ずさりを続けていた時、水面を割って魚体が見えた。
間違いなくサツキマスだ。

相手がかなり弱ってきていることが分かった。
抵抗に力がなくなりつつある。
岸まで1m50cmというところまで寄ってきた。
もう一度いなせば確実に獲れるはずだ。
天に向けた竿を立て過ぎないよう気をつけながら、僕は魚体に近付いて行った。
予想通り最後の抵抗を見せたサツキマスは沖へ向かおうとしたが果たせず、竿の操作で顔を僕の方に向けらると、今度は抵抗せずに寄ってきた。

僕は10mの竿を常に10mの状態で使っている。
そして手尻は80cmある。
大型が掛かったときは、右手で竿を上げて引き寄せ、左手の玉網に魚を導き入れるということが出来ない。
でもそれは最初から承知している。

僕は掛かったサツキマスを岸にごく近い浅瀬に誘導した。
魚体が横たわった。
近寄ってももう逃げない。
最後は腹側から玉網で掬うフィニッシュだった。

長良川にて サツキマス 40cm

8年目の邂逅。
この魚体を見たかった。
安堵の気持ち、達成感、これまでの釣行の思い出などが頭の中を渦巻いていた。




この日獲った個体は川に入ってそれなりに時間も経過しているため、遡上開始直後の銀白の魚体から若干アマゴのような魚体に変わり始めてはいるものの、上品な印象の朱点の散り方は僕好みだ。
そもそも大物を釣りたいという思いでサツキマスを狙い始めたのではない。
自分の故郷、岐阜県を流れる川にも、海から遡上してくる鮭のような魚が居るならば是非とも会ってみたいと思ったのがきっかけだ。
だから大きくなくても構わない。35cmとか36cmでも嬉しい。
そんな僕に40cmというサイズが獲れた。

長良川界隈では、40cm以上の個体を「長良マス」と呼ぶらしい。
実際その呼称というか定義はかなり浸透しているようだ。
ならばこの個体も長良マスと呼べるのだろう。

僕はその呼称に異論も反論も無い。
地元の釣り師から敬愛と畏敬の念を込めて選ばれし個体にのみ特別に与えられる呼称だ。
ただ、以前から思っていたことがある。
日本語の「鮭と鱒」と英語の「salmonとtrout」は必ずしも一致していないと。

日本ではたまたまそういう呼び名が付いただけで、降海するものにも「○○マス」との呼称が付く。
サクラマス、サツキマス、カラフトマスなどがその例だ。
英語では、降海するものは「salmon」なのだ。
だから僕は「サツキマス」の英訳は「nagara-salmon」でいいんじゃないかと常々思っていた。
それは勿論、「自分の住む街にも鮭が遡上する川があったらいいな」という僕の思いがあるからなのだが。
そしてやっとその魚と対面することが出来た。
鮭のような銀白色の魚体に上品に散った朱点が美しい、僕に強い憧憬を抱かせた魚、岐阜県の鮭、長良川の鮭、「nagara-salmon」。
これがサツキマスなのだな。
脇の細流でゆらゆらと鰭を動かすその魚に僕は見入っていた。




当日のタックル
竿:ダイワ 琥珀本流エアマスター100MV
水中糸:フロロ1.0号
ハリス:フロロ0.8号
鈎:オーナー 本流キング9号
餌:ミミズ