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「余命1週間の母」を笑顔で見送った家族の結束

2021-04-01 15:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

ハンバーグを食べコーヒーを飲んだ最期の日々
人はいつか老いて病んで死ぬ。その当たり前のことを私たちは家庭の日常から切り離し、親の老いによる病気や死を、病院に長い間任せきりにしてきた。
結果、いつの間にか死は「冷たくて怖いもの」になり、親が死ぬと受け止め方がわからず、喪失感に長く苦しむ人もいる。

守本早智子(62)は、余命1週間と告知された84歳の母親を、病院から自宅へ引き取った。料理上手で、食べることが大好きな母が、点滴だけの病院生活で元気を失っていたからだ。在宅医療に加え、終末期の人と家族に寄り添う看取り士の支援も受けながら過ごした、2カ月半を振り返る。
病院で「骨と皮」の母親を見て娘が固めた覚悟
奥のベッドで、84歳の玲子さんもコーヒーを飲みたいと手を上げている(写真:守本さん提供)
「コーヒー飲む人?」
三味線を製造販売する店舗奥のリビングで、守本早智子が職人や家族にそう尋ねた。手を挙げる職人たちの後方、和室8畳間の介護用ベッドで、84歳の実母・玉津玲子も黙って左手を挙げていた。
写真はそのほほ笑ましい場面を記録した1枚。2020年9月下旬ごろのものだ。
「母はいつも2、3口程度。それでも、みんなと一緒に飲みたがりましたね。私たち家族も自宅ではなく店舗で夕食をとり、焼肉でも鍋物でも、できるだけ母にも同じものを食べてもらいました」(早智子)
できれば家族が過ごすリビングに介護用ベッドを置き、終末期の人とだんらんを共有する。これは一般社団法人日本看取り士会が勧める、最後の時間の過ごし方でもある。母・玲子はそのベッドから家族などの会話に耳をすませ、夏には窓ガラス越しに花火を楽しんだ。
母親が余命1週間と告知されたのは同年8月初頭。約4年前にわかった病名は進行性核上性マヒ。脳内の神経細胞が減少し、嚥下や歩行障害が進行する難病だった。
「コロナ禍で面会禁止になって約半年ぶりに再会した母は、まるで骨格標本みたいでした。顔色は悪いし、目はよどみ、話すこともできなかった。誤嚥することが増えて食事を禁じられ、水の点滴だけでかろうじて命をつないでいたせいです。退院させることに迷いはありませんでした」(早智子)
面会禁止になる前は早智子が病院の夕食時に介助に通い、時間をかければ、かろうじて自力で食べられていたからだ。
「残り1週間の命なら、もう治療も薬もいらない。せめて私の料理を母に食べさせて、最期はこの腕で抱きしめて看取りたい」
早智子の思いに家族も賛成し、約2カ月半の在宅介護が始まった。
病院での水分のみの点滴からミキサー食に替えて1カ月も続けると、母親はみるみる元気を取り戻した。骨と皮だった顔に色つやが戻り、目には生気が宿り、プニョプニョとした手触りの肉が体に戻り始めた。すると、短い会話も交わせるまでに回復した。
食べることは生きること──早智子は母親の復調に痛感させられた。
食べたものを喉に詰まらせるのが嚥下障害。それを防ぐためにミキサーにかけ、ドロドロにしたのが「ミキサー食」だ。
食欲をそそる手料理の数々。左は再形成食の肉うどん、右はハンバーガー(写真:守本さん提供)
だが、見た目が悪く食欲をそそらない。そこで違う食材も混ぜて本物のハンバーグや焼肉のように形や色を整え、本物のソースやタレをかけて仕上げるのが「再形成食」。手間はミキサー食の2倍はかかると早智子は話す。
「焼肉なら、ひき肉と卵に、はんぺんとお麩の粉を加えてミキサーにかけ、肉1枚相当分の量を成型シートに流し込んでラップに包みます。レンジで一度蒸し固め、フライパンで軽く焦げ目をつけ、焼肉のタレをかけて完成。家族の夕食も焼肉にして、母は肉を焼く匂いを一緒に嗅ぎながら大満足でしたよ」
在宅介護の後半、早智子のレパートリーに再形成食が加わり、母親をいっそう喜ばせた。焼肉なのに、はんぺんとお麩の粉を加える理由は、口に入れたときのフワフワ感と、口溶けの良さを出すためだ。
在宅介護が1カ月半を過ぎた頃、早智子の予定が立て込み、母親に近くの病院に3日間短期入院してもらったことがある。その際、見た目の復調ぶりとは裏腹に、血液検査で心不全などの危険性を指摘された。
しかし早智子はブレなかった。
「在宅医の先生と同様に、その病院にも『治療も投薬も一切しません』とお伝えしました。今後も母には食べたいものだけを食べてもらいます。結果、寿命が仮に1週間短くなっても構いませんからって」
早逝した長男の介護経験を母親に生かす
その固い決意は、早逝した自身の長男への後悔ともつながっていた。
早智子は息子の良平を、2010年10月に弱冠20歳で亡くしている。良平は14歳で白血病を発症。一度は症状が消えたりしたが、その後も二度の白血病などを患った末だった。
1日でも長く生きてほしい。早智子は自分の思いが強すぎて、良平に辛い治療や投薬を強いてしまったのではないか。そんな後悔をずっと引きずっていた。
「良平の最後は自力で食べられない状況でした。でも、母は亡くなる当日の昼食まで食べられた。良平への後悔をふまえ、食べることが大好きだった母の価値観と生き様を見てきた私が、たとえ寿命を縮めても、大好きなものをできる限り食べて、母らしく生き切ってほしいと思ったんです」
母親の意思も確認済みだった。長男を在宅介護した経験もあり、痰の吸引やオムツ交換の手際は、一般的な看護師より数段上だったと、元看護師で看取り士の清水直美は話す。
「お母様が食べ物を喉につまらせた場面も見ました。早智子さんがすぐに抱き起こし、吸引機の管を入れやすい角度に背中を傾ける。するとご主人の泰夫さんか、長女の彩子(あやこ)さんが、吸引機の管を口腔内に的確にさし入れ、つまらせたものを瞬時に吸い取る。完璧な連携プレーにビックリしました」
でも、圧巻なのはその後なんですよと清水が続ける。
早智子さんが「お水飲める?」と確認し、母親がうなずくと、まずは水を少量飲ませる。母親が飲むと、「どうする? まだ食べたい? 」と再び聞き、母親がうなずくと、食事がすぐに再開された。母親の食べること、娘の食べさせることへのただならぬ執念を感じさせる光景だったという。
「病院の看護師なら誤嚥されるのが怖いから、食事は中止します。お母さんも喉につまらせると息ができず、苦しいですしね。でも、ご家族の愛が、母娘の揺るぎない信頼が、看護技術や経験をはるかに上回っているから、喉につまらせた直後でも食べさせられるんですよ。ご家族でここまでできるんだって、私はもう完全に圧倒されました」(清水)
約13年間、臨床の現場で働いていた元看護師の清水は、興奮気味にそう強調した。むしろ痰の吸引が家族には怖くてできないからと、在宅介護を諦める人たちも多いのに、だ。
看取り士の清水が、早智子らに看取りの練習を実施したのは同年9月下旬。早智子と夫の泰夫、長女の彩子、彩子の長男で小学2年生の奏人(かなと)が参加した。子どもも家族の1人として尊重するのが守本家方式。清水に看取りの作法についての説明を聞き、家族で交互にやってみた。
「まるで答え合わせみたいでした、良平さんをご家族で看取られたときの経験を踏まえて、『あのときも、こうしてあの子を抱きしめて、腕や脚をさすりながら、口々にありがとうって声がけもしたよね』って、皆さんが顔を見合わせながら、話されていました」(清水)
ひ孫も参加した大切な練習
母親の彩子さんに看取り練習中の奏人君(写真:守本さん提供)
極め付きは、彩子の頭を自分の小さな両膝にのせた小2の奏人。彼は、「ありがとう」「大丈夫だよ」と言いながら、母親の顔を小さな体で抱きしめた。すると奏人はふいに涙目になり、1階に一人降りて行った。
すぐに追いかけた彩子によると、ひーばぁ(玲子)だけじゃなく、母の彩子さえも死んでしまうんじゃないかと急に悲しくなったが、その場で泣いてはいけないと思ったという。彩子は半時間ほどかけて、息子に穏やかに話した。
「人も動物も生まれたら、必ず死ぬものなんだよ。ひーばぁもその旅立ちに向けて準備をしているの。だから、みんなでこうしてそばにいるんだよ。死ぬことは怖いことではないし、恐れるものでもない。奏人も初めて練習して悲しかったり、怖かったりしたかもしれないけど、大切な練習だからね」
奏人は納得したかのように、そっかぁとつぶやいた。この経験が後で生かされるとは、誰も考えもしなかった。
それから約1カ月後のある夜、昼食にクリームパン1個を完食した母親は、夕食前までよく眠っていた。早智子がふと血中酸素濃度計を見ると、数値が通常の90台後半から80、さらに70台へ急速に下がり始めた。
早智子は近所にいる長女の彩子を呼んできてほしいと夫に頼み、自身は在宅医と訪問看護師に連絡。早智子は介護ベッド上に急いで座り、その膝枕に母の頭をのせる態勢をとった。そして顔を近づけて呼吸を合わせる。看取りの作法だ。奏人にはひーばぁの右手を握って、と伝える。
「ひーばぁ、大好きだよ、ひーばぁ」
奏人は早智子の前に立ち、大人たちが先日やっていたとおりに声がけを始める。
「ひーばぁの舌ベロが、白くなってきたよ」
「唇が真っ白、お顔も真っ白になってきた」
「あっ、目を閉じたよ」
抱きしめている早智子には見えないだろうと思い、ひーばぁの刻一刻と変わる表情を伝えようと、小2の彼が懸命に言葉をくり出している。
「ありがとうー、あなたの娘でよかったよぉー!」
早智子も母親の体を抱きしめながら最後に声を張り上げた。
LINEのメッセージに残された言葉
守本早智子さんと玲子さんの遺影(写真:筆者撮影)
その後の通夜は、にぎやかで明るいものになった。
実は、早智子は息子の良平が亡くなる際、母がとった言動でどうしても許せないことがあり、以来ずっと心から消せずにひきずっていた。しかし、母を抱きしめながら「ありがとう」と言っている間に、その思いが全部きれいに消えるのを感じたという。
「母へのマイナスの感情も、一緒に看取ってくれるんですね」
早智子は通夜を終えた後、25歳下の看取り士の清水のLINEにそう送信した。
荒川 龍 : ルポライター 


息子の「赤ちゃんはどこからくるの?」に答えた

2021-04-01 13:30:00 | 日記

下記の記事はnoteからの借用(コピー)です

小学生のとき、たまたまテレビでやっていた不倫ドラマを見て、母に聞いた。
「このお姉さんは、どうして結婚していないのに赤ちゃんができたの?」
母は言った。
「男の人と女の人は結婚せんでもな、愛し合うと赤ちゃんできるときあるんや」
大人になって考えてみると、ずいぶんうまい言い回しをしたなと、自分の母親ながら感心する。「お茶濁し名人」と呼んで差し支えない。
だけど、大人になったからこそわかる。
「妊娠」にとって「愛」は必要条件でも十分条件でもない。

「赤ちゃんはどこからくるの?」
きた。
息子とふたりでお風呂に入っているとき、何の前触れもなくその瞬間がきた。
あまりに脈絡なく聞くので、彼がどんな思考回路でそれを質問しようと考えたのか、どんな答えが待っていると思っているのかなんてまったくわからない。
だけど、いつか息子にこの質問をされる日がくるとは思っていた。
そして、そのときこそが「チャンス」だとも考えていた。
コウノトリがとか、キャベツ畑でとか、そんな「古典」を話す気は毛頭ない。
わたしはわたしの知る事実を彼に話すだけ。嘘はつかない、誤魔化しもしない。
その決意を自分のなかで、改めて確認する。
彼が「男性」だからこそ、きちんと話してやるべきだ。
赤ちゃんは、お母さんだけがいてできるわけじゃない。お父さんとお母さんがいて、はじめて赤ちゃんができる。
自分の中に宿った命が、自分とは異性だと知ったとき、強く思った。
生涯、子供を産むことのないからだに生まれた彼にこそ、きちんと「赤ちゃんはどこからくるの」かを教えてやりたい。
「赤ちゃんはお母さんのお腹のなかで育つのは知ってるよね。その前はどこにいるか知ってる?」
「お腹のなかで育つのは知ってるの。だけど、その前がわからないの」
「赤ちゃんの種は、お父さんのからだのなかでつくられるんだよ」
「そうなの!?」
びっくりだよね。「赤ちゃんはお母さんのお腹のなかで育ちます」とか「赤ちゃんはお母さんから生まれてきます」なんてことは知っていただろうけれど、まさかそこに隣でキャッキャウフフしてるだけだと思っていた「お父さん」が介入してくるなんて思いもしなかったよね。あいつ、だいぶ重要な役割担ってんだぜ。
入浴中で素っ裸なのをいいことに、息子のからだを指差して、赤ちゃんの種はここでつくられる、それはここを通って出てくる、と教えた。
「じゃあ赤ちゃんの種はどうやってお母さんのお腹に入るの?」
もうほんとうちの息子、ロジカルシンキング。
「お腹って言うかね、女のひとのからだにはこのあたり(自分の下腹部を指して)に赤ちゃんを育てるためのお部屋があって、股の間にある穴がそのお部屋につながってるの。そこから赤ちゃんの種を入れて、赤ちゃんが育ったら、その穴から出てくるんだよ」
「へー、知らなかったー」
抑揚のない言い方で、息子が言う。
わ・か・っ・た・か・な・?
だけど、大切なのはここから。わたしにとっての本題は、むしろここから。
「だからね、男のひとのからだも、女のひとのからだも、股にあるのは赤ちゃんをつくったり育てたりするのにとても大切なところなの。息子は自分のそれを大切にしなきゃいけないし、他のひとのも大切にしなきゃいけない。息子が許していないのに、それを触ったり見たりしようとするひとは悪い人だからね。息子はそういうことがあったとき、絶対に怒らなきゃいけないよ」
「やめてって言っても、やめてくれなかったときは?」
「息子のことを守ってくれる大人に助けを求めるの。そのときすぐじゃなくても、必ずだれか大人に話すんだよ」
「あー、大人のほうが怒ったらこわいからね」
違う、違うけど、そう。
もしそんなことがあったら、お母さんは迷いなく出るとこ出る。


5歳の息子に「性」の話をするのは、想像していたよりずっと簡単だった。
息子はまだ幼児だけれど、幼児だからこそ気軽に話せたと思う。
彼にはまだ余計な知識や先入観がない。わたしの言葉を素直に受け止めて理解しようとするほどに、「性」に対する興味こそあれ、羞恥心が芽生えていない。
きっとあと数年経ったら、こんなに風に気恥ずかしさを感じずに話すことは難しくなると思う。
ひょっとしたら、今日の「赤ちゃんはどこからくるの?」を逃したら、一生、彼にわたしの口からそれを話せる日はこなかったかも知れない。
そんなことになったら、わたしはきっと後悔した。
わたしが産んだ命に、どうやってその命が誕生するのかを話せないなんて、つまらない。学校じゃなく、他人じゃなく、彼を産んだわたしこそ、彼にこの話をしてやりたかった。
お父さんがいて、お母さんがいて、あなたはここにいる。
そしてあなたもいつか「赤ちゃんをつくる」ことに関わる可能性がある。
そのことをだれよりも先に、わたしが息子に話せたことをうれしく思う。
息子もこれから先、いずれいろんな場所で、いろんな人から、いろんな知識を得て、きっと勘違いしてしまうことも、ひそかに思い悩むこともあるかも知れない。
そんなとき、今日のことを思い出してくれるといいなと思う。
それは、話した内容ももちろんそうなのだけれど、息子がわたしのことをカジュアルに「性」の相談ができる相手だと思ってくるといいなと。
すべてに答えてやることはできないかも知れないけれど、わたしは絶対、息子に対して嘘をついたり誤魔化したりしないから。それだけは誓うから。息子が悩んだとき、相談相手として「お母さん」がずっと選択肢にいればいいなと思う。
そんな祈りを込めて、今日、わたしは、息子の「赤ちゃんはどこからくるの?」に答えた。


眞子さま残る逆転の道は“1億4千万円放棄で皇室離脱婚”

2021-04-01 11:00:00 | 日記

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「天皇陛下のお言葉は、まったく予想外のものだったそうで、眞子さまは非常に大きなショックを受けていらっしゃるといいます」

そう語るのは宮内庁関係者。先月行われた誕生日会見で、天皇陛下は眞子さまの結婚について初めて言及された。その余波はいまだに収まっていない。

「眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」

天皇陛下はこのように、秋篠宮さまと同意見であることを強調され、眞子さまに結婚への課題を突きつけられたのだった。

眞子さまは11月に発表された文書で、天皇皇后両陛下が《私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっている》と記されていた。

しかし陛下のお言葉には、そのように眞子さまを応援するニュアンスはまったくなかった。いったいなぜ、このような食い違いが生じてしまったのだろうか?

「実は、眞子さまは両陛下に直接お会いして結婚の意思を報告されたわけではないようなのです。身位が異なる皇族同士は、公的な活動についてのやりとりを、すべて宮内庁職員を通じて行います。職員を通じたやり取りでは、両陛下の真意は眞子さまに伝わらなかったと思われます。眞子さまの意思に反して結婚を止めるのは両陛下であっても難しいこと。

ただ、両陛下がお伝えになった考えは決して“賛成”を意味するものではなかったはずです。眞子さまは両陛下から“お墨付き”を得たつもりでいらしたのかもしれませんが、実際にはまったく違い、両陛下は眞子さまの結婚に強い懸念を抱かれていたのです」(前出・宮内庁関係者)

そして、先の会見で天皇陛下は「上皇陛下や秋篠宮とは適宜連絡を取るようにしております」とも発言されていた。ただし、その詳細は明かされなかった。

「コロナ禍という前例のない事態に対処するためだけでなく、眞子さまの結婚問題についても協力して対応するための連絡なのではないでしょうか。

実は雅子さまも、美智子さまや紀子さまと、今までより連絡を取られることが増えたといいます。もともと、眞子さまの結婚についてほかの宮家の女性皇族から懸念の声が上がっているといわれていました。危機感を強められた女性皇族方は、皇室全体で対応するべく連携を図られているといいます」(前出・宮内庁関係者)
■眞子さまに残された逆転の道は“皇籍離脱婚”

窮地に陥った眞子さまに、逆転の道はあるのだろうか。

「実際のところ、眞子さまと小室さんが『多くの人が納得し喜んでくれる状況』を実現するのは、不可能に近いと言わざるをえません。もはや金銭トラブルだけが、小室さんとの結婚を祝福できない理由ではありません。秋篠宮さまや宮内庁長官の要請に応えて、小室さん側がトラブルについて説明したとしても、世論が大きく変わることはないでしょう。追い込まれた眞子さまはすでに、“皇籍離脱”という道も考え始めているといいます。

両陛下は、眞子さまには結婚後も皇室を支えてほしいとお考えでした。しかし小室さんと結婚すれば、国民の反発は避けられず、眞子さまが皇室の公務や行事に関わることは難しくなります。小室さんとの結婚に固執することは、両陛下との決別にほかなりません」(前出・宮内庁関係者)

実は、内親王である眞子さまは自らの意思で皇室から離れることができる。眞子さまが皇籍を離脱して一般国民になってから、小室さんと結婚されるという選択肢があるというのだ。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんによれば、

「仕組み上は、そういった選択も可能です。皇室典範第十一条に《年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる》とありますので、眞子さまはその意思で皇族の身分を離れることができます。

ただし、皇室会議の議を経なければならないので、そこでどのような判断がくだされるかという問題はあります。もし眞子さまが皇籍を離脱して一般人になられれば、どなたと結婚するかという条件はまったくありません。憲法二十四条に《婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し》とあるように、眞子さまが望まれるお相手と結婚することが可能です」

ところで、眞子さまが結婚される際には1億4千万円近い一時金が支払われることになっているが、この一時金はどうなるのだろうか。

「皇室経済法では、独身での離脱でも婚姻による皇籍離脱と同額の支給が可能になっています。ただし、国民の反発は避けられません。もしもそういった“法の抜け道”を利用した結婚で、一時金まで支給されるということになれば、余計に国民の反発を生みかねません」(小田部さん)

一時金も皇室も捨てるという選択肢しか、いまの眞子さまには残されていないのだろうか――。


イタリア「100歳以上」が多い島の食事健康法

2021-04-01 08:30:00 | 日記

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「ポリフェノール」が豊富に含まれる食品がカギ
“常識を超えた若さ”を保ち続ける人々
イタリアのサルデーニャ島をご存じでしょうか? 100歳以上のご老人の割合が世界有数の高さを誇る“超長寿エリア”です。それぞれが家族や友人と強い絆を持ち、歌や料理などの趣味を愛しながら死ぬまで働き続けて人生を謳歌しています。
また、南米ボリビアに住むチマネ族という原住民は、心臓病にかかる人が少なく、狭心症、心筋梗塞、動脈硬化などの現代人を悩ませる病気の発症率は限りなく低いそうです。80歳を過ぎたチマネ族の血管年齢は、先進国における50歳と同じレベルだったというから驚くばかりです。
彼らのように“常識を超えた若さ”を保ち続ける人々のライフスタイルを参考に、自身もいつまでも健康で若々しくありたいと思う人は多いでしょう。そんな私たちの「不老長寿」の願いをかなえるべく、科学者たちは研究を重ねてきました。
今回は、科学的に裏付けされたアンチエイジング(抗老化)の手段の中でも、近年、注目されている「AMPK食事法」を解説しましょう。
AMPKとは「肉体を効率よく使いなさい」と命令を出す「燃料センサー」のような役割を持つ酵素の一種で、このAMPKに働きかけることで、細胞のエネルギーシステムを調整します。
この「AMPK食事法」の大きなポイントが「フィトケミカルの導入」です。
フィトケミカルとは、植物に含まれるポリフェノールや含硫化合物(がんりゅうかごうぶつ)、カロテノイド、テルペン類、多糖類などの成分で、あなたの体内で「軽微な毒物」として働き、AMPKを通してホルミシスの活性につながります。
なかでも、最も簡単にAMPKを活性させられるのは、ポリフェノールの導入です。植物のポリフェノールは人体に毒として働き、AMPKを刺激。エネルギー効率やDNAの修復能力の改善、ミトコンドリア生合成の刺激など、私たちの肉体を細胞レベルから若返らせてくれます。
サルデーニャ島の百寿者も日々ポリフェノールを摂取しており、たとえばタンザニアのハッザ族が食べるコンゴロビやバオバブといった果物に含まれるポリフェノールの量は、先進国で消費されるベリー類に比べてなんと20倍にもなります。
サルデーニャ島の高齢者もブラックベリーやミルト酒(ミルトとは、サルデーニャの森に自生する古代からのハーブの1種)をたしなむことで、ポリフェノールの1種であるヒドロキシチロソールなどを大量に摂取しています。ポリフェノールの増量は、アンチエイジング食の第一歩と言えるでしょう。
ポリフェノールが最も豊富な食品は?
ポリフェノールが豊富な食品については、2010年のオーヴェルニュ大学論文が調査を行っています。過去に出た数千以上の調査からポリフェノールが豊富な野菜や果物を100種に絞り込んだもので、上位にランクインした食品は表のとおりです。ポリフェノールを増やす際の参考にしてください。
ポリフェノールを多く含む食品は?
基本的に最も量が多いのはスパイスやハーブ類ですが、いつもの料理で大量にバジルやターメリックを使うのは難しいかもしれません。カロリーとのバランスで言えば、ベリー類、コーヒー、緑茶などでポリフェノールの総量を上げながら、トマトやビーツといった赤紫色の野菜を増やすのが現実的でしょう。
さて、ここで難しいのが「1日にどれだけのポリフェノールを取るべきか?」という問題です。ポリフェノール研究はまだ日が浅く、明確な摂取量のガイドラインが存在しません。いまのところは、観察研究などから最適量を推測していくしかないでしょう。
現時点で最も参考になるのは、エディスコーワン大学が5万6048人を23年ほど追いかけた2019年の調査です。その結論は次のようものでした。
・ポリフェノールを取るとがんや心疾患による死亡リスクが10~20%の範囲で低下する
・ポリフェノールの摂取量は1日500㎎前後で最大化する
「1日500㎎のポリフェノール」は、ブルーベリー100〜150g、緑茶1杯、リンゴ1個、オレンジ1個に相当します。これぐらいの量なら簡単に達成できるでしょう。毎日の暮らしで積極的に取り入れてみてください。
AMPKを刺激するには、「含硫化合物」を増やすのも良い方法です。ポリフェノールと同じく植物が外敵から身を守るために作り出した成分で、やはり体内で軽度の毒として作用します。スルフォラファン、イソチオシアネート、アリシンなどが有名で、強い風味と香りを持った成分が多いのが特徴です。アブラナ科のような苦味の強い野菜や、すりおろすと鼻を刺す香りを発する野菜などは含硫化合物を含むことが多く、AMPKが活性しやすい傾向があります。なかでも効果が高い食品を見てみましょう。
効果が高い食品3種類と効果的な食べ方
・ショウガ:ギンゲロールやショウガオールなどの抗酸化成分を含み、複数の試験でアンチエイジング効果が認められています。おもなメリットとしては、減量のサポート、コレステロールの改善、体内の炎症レベルの緩和など。いずれも精度が高いメタ分析で効果が示されており、機能性の高さは間違いありません。1日0.5gを目安に食べるのがおすすめです。
ただし、生のショウガは有効成分が減りやすく、すぐに食べないとメリットが失われてしまうのが難点。それが面倒なら、市販のショウガパウダーを使ってください。
複数のメタ分析によれば、1日にショウガパウダーを1~3g、またはショウガ抽出液を50㎎ずつ摂取すれば、およそ12週間でアンチエイジング効果が得られるようです。
・ニンニク:ショウガと並んで優良なデータが多い食材で、おもなメリットとしては、大腸がんリスクの減少、高血圧の改善、糖代謝の改善など。前述の「アリシン」という香気成分にAMPKの活性作用があり、やはり複数のメタ分析でいい結果が報告されています。大多数の試験では3600~5400mcgのアリシンを使っているため、アンチエイジング効果を得るには、1日4gのニンニクを食べればいい計算です(小さじ1杯程度)。調理が手間ならチューブニンニクやガーリックパウダーを使っても構いません。
ほかにも、タマネギ、ネギ、ニラなどのネギ属野菜は、すべてアリシンを含む優良な食材です。ニンニクをメインに使いつつ、季節に応じて他の食材も増やしてみてください。
・ブロッコリー:スルフォラファンという苦味成分のAMPK活性作用が強く、こちらも積極的に取り入れたい食材です。実験データには抗がん作用を示したものが多く、肺がん、乳がん、大腸の悪性腫瘍などの予防効果が複数のメタ分析で示されています。
その他、ブロッコリーほどのデータはないものの、白菜、キャベツ、ダイコン、ワサビ、ケール、小松菜といったアブラナ科の野菜も、AMPKを活性しやすい優良食材です。約9万人の日本人を17年追跡した大規模な調査でも、アブラナ科の野菜をよく食べる人は心疾患やがんの死亡リスクが14%低下しており、ますます評価を高めつつあります。
『不老長寿メソッド 死ぬまで若いは武器になる』(かんき出版)。書影をクリックすると、アマゾンのサイトへジャンプします
アブラナ科の野菜を取り入れる際は、調理法に気をつけてください。スルフォラファンは熱に弱く、フライパンで少し炒めただけでも量が激減します。キャベツや小松菜ならまだしもブロッコリーの生食には抵抗があるでしょうが、細かく刻めば意外と問題なく口にできるものです。よほど味が苦手でない限りは、生食を心がけてください。
含硫化合物が豊富な優良食材は以上です。どの野菜を食べるべきか考えるのが面倒なら、「苦味が強い食材を1日1品食べる」ぐらいの認識で構いません。
ぜひ、毎日の食事に取り入れ、健康と若々しさを手に入れてください。
鈴木 祐 : サイエンスライター