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40年にわたる父との二人暮らしは、父の死によって終わりを迎えるはずだった。しかし、息子(61)は誰にも死を伝えず、父の亡骸と暮らし続けていく道を選んだ。警察に発見されるまで、共に過ごした期間は24日。はたしてどんな思いで日々を過ごしていたのだろうか。
朝日新聞社会部記者が見つめた“法廷の人間ドラマ”をまとめた書籍『ひとりぼっちが怖かった 今日も傍聴席にいます』(幻冬舎)の一部を抜粋。父の死後も遺体との二人暮らしを続けた男性の悲痛に満ちた供述を紹介する。
◆◆◆
「ひとりぼっちが怖かった」
暑さが続いていた2019年7月末の夜、東京都足立区の団地の一室。息子(61)は91歳になる父の荒い息づかいで目が覚めた。「フー」「フー」と胸を上下させた後、呼吸は徐々に弱くなり、消えた。40年にわたる2人暮らしが終わった。だが、息子は誰にも死を伝えず、そのまま一緒にいることを決めた。逮捕されるまでの3週間あまり、息子は2人で暮らした部屋で何を思い、何をしていたのか――。
息子は父の遺体を24日間にわたって放置したとして、死体遺棄罪に問われた。11月5日、東京地裁で開かれた初公判。息子は灰色のトレーナーにズボン姿で細身の体を固くして直立し、検察官が読み上げた起訴内容について「(間違っているところは)ございません」とはっきり答えた。
検察官と弁護人の説明や、息子が朝日新聞の取材に答えた内容によると、事件に至る経過はこうだ。
両親と息子の一家3人は、息子が小学校に上がるころから足立区の団地に住み始めた。息子は定時制の高校を卒業後に衣料品の販売店員として働いたが、20歳のころに母親が乳がんで死亡。父と子2人きりの生活になった。
着物の友禅染の仕事で家計を支えていた父は、母の死を機に、より安定的な仕事を求めて高校の用務員に転職。一方で息子は28歳のころに仕事を辞めた。トラブルがあったわけでも体調が悪かったわけでもない。特に理由はなく、自宅に引きこもるようになった。父に促されて2~3年は就職活動を続けたが、うまくいかずにあきらめた。
買い物に食事の用意、洗濯、掃除。家事に精を出すようになると、父は何も言わなくなった。生活費は父の給料や年金でまかないながら、30年ほど過ぎた。
ほとんど病気のなかった父に異変が生じたのは、19年7月26日のことだ。好きなえびの天ぷらも食べなくなり、口にしたのはサラダの上にのせたミニトマトだけ。「病院に行く?」と尋ねても答えず、布団で寝ている状態が続いた。
31日の午前3時半、潮が引くように息をひきとった。体を揺すり、胸に手を当てて鼓動を確認し、鼻に耳を近づけて死を悟った。
それからどうしたのか。息子は被告人質問で、こう説明した。
弁護人「亡くなったのに気づいて、真っ先に何をしましたか」
息子「(タオルで)体を拭いて、下着とパジャマの着替えをしました」
弁護人「それから3週間以上、どうしていた」
息子「毎日、そうやって体を拭いていました」
弁護人「遺体はどうなった」
息子「何日かして、虫がわいてきました。だから、それも一緒に拭くようになりました」
検察官が法廷で明らかにした供述調書によると、息子は病院に通報しなかった理由をこう答えたという。
「通報しておやじを連れて行かれたら、本当にひとりぼっちになると思って、救急車を呼べなかった。ひとりになるのが怖かった。近くにいてほしかった」
父の死を伝えられず、毎日遺体の身体を拭いて過ごした24日間
友禅染の仕事をしていたころは感情をあまりあらわにせず、黙々と染め物に打ち込んでいた。手を上げるようなことは絶対にしない温和な父だった。母の葬式のとき、涙で目を腫らした父から「2人で頑張っていこうな」と言われたのを覚えている。
父が外で働き、自分は家事をする。それでなんとか生きてきた。数十年前に一度だけ、親子で九州を旅行したことがある。電車で各県をまわり、熊本で阿蘇山の大自然を感じた。鹿児島で桜島の迫力に圧倒され、大分で別府温泉につかった。一家3人で暮らしたころの幸せには及ばないけれども、前を向いて歩いていると実感できた。
父は75歳まで用務員として働きながら、いつも息子の体調や仕事のことを気遣ってくれた。そうやって追い詰められることなく、これまで生きてこられた。遺体をきれいにしてあげたいという気持ちは、自然にわいた。顔や脇をタオルで拭きながら、感謝の念を届けているつもりだった。
だが何日か経つと、遺体には変化が現れ始めた。全身から透明な体液がたれ始め、布団に染みていく。夏の暑い時期、においも強くなってきた。周りの住人に迷惑をかけないよう、布団と床の間にビニールを敷き、消臭スプレーでごまかした。
傷みが激しくなるにつれて、「かわいそうなことをしている」という気持ちになった。そんなとき、警察官が異臭騒ぎを聞いてやってきた。最初は「部屋のなかは見せたくない」と抵抗したが、心のなかではほっとしていたという。
「……迷惑をかけたくなかった。ですが、どうしても言い出せませんでした」
被告人質問では、検察官が放置の理由を突っ込んで問いただした。
検察官「8月24日に警察官が来なければ、どうするつもりだったんですか」
息子「特にどうという考えはありませんでした。誰にも言えなかったし、そのままにしていたと思う」
検察官「何が怖かった」
息子「見つかることが。見つかったら自分がひとりになる怖さがあった」
検察官「ご遺体が変わっていく様子を見て、何も思わなかったんですか」
息子「やはり、かわいそうだと思いました」
検察官「周囲に迷惑がかかるとは」
息子「もちろん思いました」
検察官「それでも孤独になりたくないという気持ちを優先させたということか」
息子「……迷惑をかけたくなかった。ですが、どうしても言い出せませんでした」
検察官「そのままにしたら、(父の)年金が払い続けられていたのでは」
息子「取り調べでそう言われて、気づきました」
銀行の口座には、父の死亡後も1カ月分の年金が振り込まれていた。息子は手をつけていないが、検察官は論告で「不正受給にもつながる悪質な事案だ」と主張し、懲役1年を求めた。
一方で弁護人は、息子の心情に理解を求めた。「親戚付き合いもほとんどなく、会話ができるのは父ばかり。知人や友人もおらず、極めて孤独だった。強く非難できない」
最終陳述で、息子は「大変な親不孝をしたと深く反省しております。外に出させていただいたときには、すぐに(遺骨を保管している)区役所に行って引き取って、一日も早く供養してやりたい」と話した。
判決は懲役1年、執行猶予2年「お父さんをしっかり供養してください」
11月8日の判決。裁判官は、懲役1年としたうえで2年の執行猶予をつけた。「お父さんが亡くなったことを届けることでひとりになるのが怖かったというのは、心情としては理解できる」としつつ、「供養もしないで1カ月近く放置したことは見過ごすことができない」とも指摘した。
息子は直立不動で、指先までまっすぐ伸ばして判決を聞いた。最後に裁判官が「お父さんをしっかり供養してください」と告げると、小さな声で「はい」と応じた。
思い出の詰まった団地には引き続き住むことで話はついている。息子は取材に対し、「父の遺骨を八王子にある母の墓に入れたら、仕事を探したい」と話した。
*追記 検察、被告側とも控訴せず、判決が確定した。
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保険は確率の商品という大前提を理解しよう
下図は保険の仕組みを表したものだ。契約者から集めた保険料は契約者共通の財産となり、契約で定めた要件に該当した人に、共通の財産から保険金や給付金が支払われる。そして、集めた保険料と支払った保険金・給付金の金額がイコールになるよう設計されている(「収支相当の原則」)のが保険だ。
ある人にとっては保険料を払うだけで何一つ見返りがなかったとしても、払った保険料以上の給付を受ける人もいる。しかし契約者全体として見れば、保険料収入と保険金・給付金支出はイコールとなる。保険料は、支払い事由に該当する確率を基に、保険会社の経費等を考慮して計算される。
一般社団法人生命保険協会HPより
このように、保険は確率の商品であることを理解した上で読み進めてほしい。
では、保険金や給付金を受け取りにくい、いわば確率に「当たりにくい」保険とはどんなものだろうか。
自由に選べるタイプの保険は壮大なギャンブル
自由に選べるタイプの保険は、どんなリスクにも対応できそうだが、確率の商品であるという基本を忘れてはならない。その確率に当たる、つまり保険金や給付金を受け取るためには、約款で定められた支払い要件に該当しなければならない。死亡保障、○○疾病保障、介護保障、入院保障、就業不能保障など、あらゆる保障を組み合わせるということは、あらゆる条件の賭け事をしているのと同じだ。
自由に保障を組み合わせて選べるタイプの保険は、各保障パーツの保障期間が10年程度であることがほとんどなので、契約から10年間の賭けということになる。10年間支払い要件に該当しなければ、払い込んだ保険料はすべて消えてしまう。正確に言うなら、要件に該当した誰かの保険金として使われてしまったということである。
「それはイヤだ」と思って、数年に一度現金が戻ってくる健康祝金等の特約を付けると、当然その特約のための保険料がかかる。そして、祝金の給付を待たずに死亡した場合、「生存していること」という祝金の支給要件に該当しないため、結局掛け捨てになる。
さらに気を付けたいのが、このタイプの保険は保険料が高いということだ。ある保険会社のサイトを見ると、35歳男性でおすすめプランのまま加入すれば2万円近い保険料となることもある。10年後の更新時はさらにアップするので、20年間の保険料総額は軽く500万円越えだ。
保険に入る前にやるべき3つのこと
このようなプランを勧められたとき、やるべきことは次の3点だ。
(1) 保障の各パーツの支払い要件をご契約のしおりや約款等で確認する
(2) 今後10年間で支払い要件に該当する確率はどれくらいあるのかを考えてみる
(3) 保障の各パーツの10年間の支払総額を計算する
これらの結果を基に、公的保障や勤務先の福利厚生制度等でどの程度カバーされるかを考慮した上で、受け取れる保険金額と支払総額とのバランスが適切かを、冷静に検討すべきだ。
どうしても手に入れたい魅力的な保障のパーツがあれば、そのパーツ単体で売ってくれないかと尋ねる。単体が無理だとなれば、そのパーツを手に入れるための、最低限の保障の組み合わせを再設計してもらう。
再設計プランを基に、(1)~(3)の検討を改めて行い、納得するなら契約をすればよい。納得できないなら、自分が欲しい保障をもっと安く、小口で売ってくれるところはないか、他の保険会社の商品を当たってみる。1つの保険会社の商品に固執して、自分を無理に合わせる必要はない。
もっといえば、「保険で何もかもカバーするのは無理」と割り切ることも大切だ。保険の支払い要件に合わせて病気になるわけにはいかないし、保険の支払い要件に合わせた治療方法を選ぶわけにもいかない。
死亡保障が必要なら割安な掛け捨ての定期保険、医療保障が欲しいなら入院と手術を保障するだけのシンプルな医療保険に加入し、何にでも使える積立貯蓄と保険料を組み合わせて将来に備えるのが賢明だ。
保険料が全額戻ってくる医療保険に潜む5つの落とし穴
払った保険料が全額戻ってくるという医療保険は、絶対に保険で損をしたくないと考える人にとって魅力的に思える商品だ。しかし、保険料が戻るという一点でお得と判断すると、思わぬ落とし穴が待っている。
一つ目の落とし穴は割高な保険料が一生続くこと。年齢・性別によって異なるが、同じ保障内容の医療保険より2倍以上の保険料負担になる。保険期間は終身で、所定の年齢に達するとそれまで払った保険料が還付金として戻ってくる。その後、割高な保険料が一生続くことになり、その保険料に戻りはない。
それでも、なぜこのようなタイプの医療保険に魅力を感じる人が多いのかというと、若いうちはさほど入院することもないから、通常の保険料はムダになる可能性が高いと考えるからだ。
しかし、そう考えるのであれば、元気な若いうちに老後の医療費に備えて積立貯蓄をしていけばよい。貯蓄であれば、今後、多少なりとも金利が上がれば、その恩恵を受けることができるが、保険料が戻る保険だと恩恵を受けるのは保険会社になってしまう。
二つ目の落とし穴は、入院給付金等を受け取っていれば、還付金から差し引かれることだ。
確かに、保険料が全額戻ってくるタイプの医療保険は、加入者が入院や手術を何度も繰り返し、受け取った給付金総額が保険料総額を上回ったとしても、還付金が受けられないだけで、差額を支払う義務はない。何だかお得そうな気がする。
しかし、同じ保障内容の医療保険が半分の保険料で加入できるなら、そのほうがコスパはよいし、浮いた残りの半分を貯蓄しておけば、給付金と貯蓄の両方が使える。
保険料総額を超えるくらいの給付金を受け取るような事態を想像してほしい。おそらく仕事にも支障が出て、家計的にも厳しくなるだろう。そんなときに割高な保険料を払い続けるのはきつい。
さらに、三つ目の落とし穴は、還付金から差し引かれるのは受け取った給付金だけではないということ。基本プラン以外に特約を付加すると、その保険料は還付対象外だ。また、先進医療特約が基本プランに組み込まれている商品もあるが、その特約保険料は還付対象外であるということに気付きにくい。
つまり、自ら特約を付加しなかったとしても、払った保険料総額より還付金が少なくなるケースがあるというわけだ。加入時には、どれが主契約でどれが特約かをチェックし、不要な特約であれば、外すことができないかも確認しておこう。
ただ、特約保険料が還付対象外ということは、給付金を受け取っても引かれないということだ。たとえ300万円の先進医療給付金を受け取ったとしても、それが差し引かれることはない。少しの保険料で高額の保障が得られる。これこそが保険の醍醐味であって、保険料が戻るとか戻らないというのは本質から外れているように思う。あくまでも考え方の話であって、先進医療の保障を勧めているわけではない。
四つ目の落とし穴は、途中解約や死亡時にはまったく戻りがないか、あったとしても払った保険料総額より少なくなること。保険料が還付されるのは、あくまでも契約時に定められた年齢になったときに生存し、保険を継続していることが条件であるという点だ。
受け取るまでの、数十年の間には、山あり谷ありだろう。家計のピンチや貯蓄ができない時期が訪れるかもしれない。そのような想像力を働かせてほしい。
五つ目の落とし穴は、数十年先には保障内容が陳腐化している可能性があること。
これは医療保険全般にいえることだが、保障内容がこの先数十年も変わらないのは果たして安心といえるのか。しかも、保険料が全額戻ってくる保険は数十年先になっても、現時点と同じ保障内容で割高な保険料を払い続けなくてはならない。
保険会社としては、還付金を受け取った時点で、そのときの医療提供体制の変化、たとえば入院はさほどしなくなっている等を考慮し、不要と思えば解約して還付金をそれ以降の医療費準備金に充てることを提案しているようだ。
数十年先が不確実なら、そして保険料を掛け捨てにしたくないのであれば、やはり積立貯蓄がお勧めである。支払い要件に該当しないと給付は受けられないという保険の弱点を、同じ保険で解決しようとするのは無理がある。
保険しか売るものがない保険会社と違って、私たち消費者は、1つの保険商品で何もかもを完結しようとしなくてよい。貯蓄や投資だけでなく、信頼できるかかりつけ医を探したり、家族を大事にしたり、質の良い情報を得たりなど、備えの手段はたくさんある。
どうしても医療保障が欲しいなら、月額2000円程度のシンプルで割安なものに加入しておけばよいのではないだろうか。医療費がかさむ事態になったときでも、経済的負担を感じることなく継続できるくらいの保険料にしておくこともリスク管理の一つだ。
割安な保険料と積立貯蓄を組み合わせて準備し、ある程度貯蓄が積み上がれば、医療保険は解約するという選択もある。
また、入院はしないが、通院で医療費がかさむこともある。病気予防のためにコストをかけることもあるだろう。そんなときは医療保険からの給付はなく、手持ちの貯蓄が支えとなる。
内藤眞弓:ファイナンシャルプランナー
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秋篠宮家の長女・眞子さまとの婚約が内定している小室圭さんが4月8日、金銭トラブルについて説明する文書を公表した。
文書は小室さん自身の名前で書かれており、「文書の概略」が4ページ、「文書本体」が8章構成で24ページという長文。概略と本体、36個の脚注を合わせて、文量は約4万字というボリュームになっている。
本記事では、「文書本体」のうち「3 基本的な方針について」「4 平成31年(2019年)1月22日に文書を公表した理由及び同文書の誤解されている点について」の全文と、その脚注を公開する。なお、原文中の脚注表記などについてもそのまま記載している。
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3 基本的な方針について
私や母と元婚約者の方との間にこれまであったやりとり等について説明する前に、私と母が、基本的にどのような考えに基づいて金銭トラブルと言われている事柄に対応してきたのかを説明したいと思います。ある時期から一貫して優先して考えてきたのは、元婚約者の方ときちんと話し合い、ご理解を得たうえで解決するためにはどうすればよいか、ということでした。
平成29年(2017年)12月12日に最初に金銭トラブルと言われている事柄についての報道が出てその後も報道が過熱していくなかで、どのように対応すべきなのかを考えるにあたって、私と母は、自分たちだけの判断で動くのではなく色々な方に相談したうえで対応を決めようと考えました。そしてその一環として、複数の弁護士に相談しました。その際にどの弁護士からも共通してアドバイスされたのは、反応すべきではなく何もしない方がよい、いずれにしろ話し合いで解決するのは困難だろう[注4]といったことでした。このようなアドバイスの理由としては、報道されている内容や報道の加熱具合から推測すると元婚約者の方と冷静な話し合いができる状態にはないように思えるというものや、元婚約者の方の目的がお金ではない可能性があるというものもありました。
これらのアドバイスは、報道を見ていて私や母が感じたことと重なっていました。まず私や母が報道を受けて感じたのは、元婚約者の方のご真意が分からないということです。確かに、お金を取り戻したいだけといったことや、感謝の一言もないのが気に入らないので感謝して欲しいだけといったことが、元婚約者の方のご真意として報道されているのは見ましたが、報道されている情報の多くが事実と異なる以上、元婚約者の方のご真意として報道されている言葉も同様に事実と異なる可能性があり、報道されているものを額面どおりに受け取ることはできませんでした。
「侮辱的な内容のものが見られた」
更に、支援のことだけに言及したいのであれば必要ないようなエピソードとして事実でないかつ侮辱的な内容のものが見られたことで、私や母の恐怖は倍増しました。ここまでの攻撃をされるというのは、ご真意とされているもの以上のお考えがあるように思えてなりませんでした(もちろん、これは、私や母がどう感じたかということに過ぎません)。ただ、何もせず話し合いもしないとなると、元婚約者の方との関係が悪化し報道も過熱していくおそれがありました。そこで、早く解決することを考えると、ひとまず報道されている元婚者の方のご真意とされているものをそのまま受け止めて対応を考えるしかないと思いました。元婚約者の方は縁のある方で一時期私と母に支援をしてくださった方(詳しくは「5」(1)(2)で説明します)ですし、当時は有り難い思いで支援を受けていましたが、今となって振り返ってみれば、元婚約者の方の善意に頼りすぎてしまった、というのが客観的に見た当時の状況だと思います。そのことを考えると、報道が事実と異なることに思うところはありましたが、解決金をお渡しして和解することができればそれがよいのではと考えました。
そこで、この考えについて再び複数の弁護士に意見を求めたところ、たとえ解決金としてお金を渡したとしても、そのお金は借金の返済だったと誤解されてしまうだろう、世間からはやはり借金だったのだと見られてしまうだろうがそれでもかまわないか、といったアドバイスを受けました。報道のされ方を見ていると、確かにお金をお渡しすれば借金だったことにされてしまう可能性は高いように思えました。お金を渡してしまえば借金の返済だったと誤解されてしまうだろうとか、世間からはやはり借金だったのだと見られてしまうだろうというのは考えすぎだ、私がきちんと事情を説明すれば世間は信じてくれたはずだ、とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれませんが、当時の報道をみると、全くそうは思えませんでした。こうして、何の話し合いもせずにお金をお渡しするという選択はしないことに決めました。
借りたお金であろうがなかろうが一括でお金を渡せば済む話なのになぜそうしないのか、といった意見が当初からあることについては承知しています。どのみち支援を受けたのは事実なのだから元婚約者の方がお金を返して欲しいと言うのであれば渡せばよいではないか、たとえ元婚約者の方のおっしゃることが事実でないとしても支援に感謝しているのならお金を渡すべきだ、といった意見もあったと思います。それでもそうしなかったのは、どのような理由があろうと、早期解決と引き換えに借金でなかったものが借金であったことにされてしまう事態を受け入れることはできないと考えたからです。借金だったことにされてしまえば、元婚約者の方のおっしゃることが正しかったということになり、私や母は借金を踏み倒そうとしていた人間だったのだということになります。これは、将来の私の家族までもが借金を踏み倒そうとした人間の家族として見られ続けるということを意味します。それを仕方のないことだとは思いませんでした。一般的には金銭トラブルと呼ばれていますが、切実に名誉の問題でもありましたし、今でも、同じように受け止めています。
そうは言っても、現在まで続いている報道の状況をみると、お金をお渡しして借金だったことにされる方がまだ良かったのではないか、と思われる方が多いかもしれません。しかし、名誉を傷つけられるような疑いをかけられ、その疑いが事実でないにも関わらず早く苦しい状況から抜け出したいと思うあまり事実でないことを事実として認めるのと変わらないことをしてしまえば、一時期はそれで良くてもそのことが一生重く付きまといます。いろいろと悩みはしたものの、一生の後悔となる可能性のある選択はできませんでした。この考え方を理解出来ない方もいらっしゃるかもしれませんが、あらゆる可能性を考えたうえで決めたことでした。このような経緯で、たとえ話し合いでの解決が困難だとしてもこれを試みてみるのが最もよい選択[注5]だと判断し、元婚約者の方とお互いの認識についてきちんと話し合い、ご理解を得たうえで解決するためにはどうすればよいか、考えながら対応していくことに決めました。
解決金については、これまで元婚約者の方にご提案することはしていません。きちんと話し合いをすることなく解決金を材料に話し合いを終わらせるのは本当の意味での解決にはなりませんし、本当の意味での解決にならなければ、解決金をお渡ししても借金だったことにされる可能性は否定できないままで本末転倒になると考えたためです。過去の経緯に関する認識の食い違いについてお互いが納得できた場合には、解決案の1つとしてご提案する可能性を考慮しながら母や母の代理人とも随時話し合ってきましたが、結局元婚約者の方との話し合いが進まなかった(詳しくは後出の「6」で説明します)ことからそうした提案には至っていません。
「解決済みの事柄である」と公に主張したことはない
4 平成31年(2019年)1月22日に文書を公表した理由及び同文書の誤解されている点について
平成31年(2019年)1月22日[注6]に私が公表した文書(以下「平成31年(2019年)の文書」とします)は、元婚約者の方との話し合いを始めるにあたって、少なくともこれだけは公にしておかなくてはならないと考えた内容を書いたものです。私と母は「2」で書いたように、当事者間での話し合いを円滑に進めるためには、自分たちの認識をみだりに公にするのはなるべく控えるべきだと考えました。一方で、母と元婚約者の方という一般人同士の事柄が私と眞子様の結婚というより大きな話題に発展してしまっている状況では、何の発信もしないまま話し合いを始めて沈黙し続けるわけにはいきませんでした。そこで平成31年(2019年)の文書を公表したのですが、同文書内では金銭トラブルと言われている事柄の経緯を詳しく説明することはせず、最小限の内容にとどめました。具体的な経緯は元婚約者の方のプライバシーにも関わる事柄であるため、経緯を明らかにし過ぎることによって元婚約者の方のプライバシーを必要以上に晒すのは避けるべきだと判断したことが理由です[注7]。
平成31年(2019年)の文書では、母と元婚約者の方との過去の関係について説明するとともに、報道されている元婚約者の方の認識と、私と母の認識が異なっていること及びその核心部分について説明し、私も母も認識の食い違いについて元婚約者の方と話し合いをしたうえでご理解をいただき問題を解決したいという気持ちであることを書きました。
私が平成31年(2019年)の文書で、金銭に関することは「解決済みの事柄である」と主張していると誤解されている方がいらっしゃいますが、それは誤りです[注8]。「贈与を受けたのだから返さなくてよい」、「もらったものだから返済しなくてよい」といった主張をしていると誤解されている方もいまだに少なくありませんが、平成31年(2019年)の文書でもそれ以外でも、私や母がそのような主張を公にしたことはありません[注9]。
平成31年(2019年)の文書を公表した後、令和元年(2019年)5月から元婚約者の方との話し合いが始まることになるのですが、その詳細については「6」で説明します。
解決済みと主張していると誤解された理由
【脚注】
[注4]元婚約者の方の「返してもらうつもりはなかった」というご発言を録音した音声データが存在します(詳しくは後出の「5」注14で説明します)。それを複数の弁護士に聞いてもらったうえでのアドバイスでした。
[注5]元婚約者の方と対立することは極力避けたいと思ったため、対立するという選択はしませんでした。元婚約者の方が縁のある方で一時期私と母に支援をしてくださった方である(詳しくは後出の「5」(1)(2)で説明します)というのも大きな理由でした。
[注6]平成31年(2019)の文書を公表するまでの間に時間を要したのは、複数の弁護士に相談したうえであらゆる可能性を考えて方針を決める必要があったことに加え、母の代理人を引き受けて元婚約者の方との話し合いを担当してもらう弁護士を選定するまでに相応の時間がかかったこと等が理由でした。
[注7]たとえ具体的でなくともプライバシーに関わる事柄であることに変わりはありませんが、私と母の認識を一定の範囲で説明せざるを得ない状況にあると判断し、やむを得ないと考えて公表したのが平成31年(2019年)の文書の内容でした。そして、この時から更に状況が変わったことにより、どこまでが「必要以上」に当たるかどうかの線引きを見直して公表したのが今回の文書です。元婚約者の方のプライバシーへの配慮と公表できる内容の範囲に制約があることについては「1」注1を参照してください。
[注8]平成31年(2019年)の文書で「このような経緯ですから母も私も元婚約者の方からの支援については解決済みの事柄であると理解してまいりました。そのため、平成29年(2017年)12月から元婚約者の方のコメントだとされるものが連日報道される事態となり、私も母もたいへん困惑いたしました。元婚約者の方のご意向を測りかねたからです」と書いたことから、私と母が「解決済みの事柄である」と主張しているかのように誤解されてしまったのだと思います。しかし、私と母が「解決済みの事柄である」と理解してきたのは、平成29年(2017年)12月以降に金銭トラブルと言われている事柄が週刊誌で数多く取り上げられたことで元婚約者の方との間に認識の食い違いがありそうだと考えるようになった時点までのことです。「解決済みの事柄であると理解してまいりました」という表現は、現在完了形ではなく過去完了形としての表現として書いたものです。更に、その後の段落を続けて読んでいただければ分かるように、平成31年(2019年)の文書では「私も母も元婚約者の方からご支援を受けたことには今も感謝しておりますので、今後は元婚約者の方からご理解を得ることができるよう努めたいと考えております」と書いているように、その後は元婚約者の方とお互いの認識についてきちんと話し合い、ご理解を得た上で解決することを目指してきました。「解決済みの事柄である」と主張するのであれば話し合いは必要ありません。後出の「7」でも触れますが、週刊現代の記事にも、私と母が解決済みと主張していると誤解した記事が掲載されています。
小室佳代さんから元婚約者への「お手紙」
[注9]公にではありませんが、私と母が、贈与を受けたものだから金銭について返済する気持ちはありませんといった主張をしたことが過去に一度あります。母が婚約を解消されて1年ほど経った平成25年(2013年)8月、元婚約者の方から、婚約解消時に元婚約者の方が「返してもらうつもりはなかった」とおっしゃったことと正反対の要求を手紙でいただいたことに対し、私と母は相談した弁護士のアドバイスに従って、同月6日、贈与を受けたものだと認識しているので要求には応じかねますと口頭で伝えるとともに、同じ内容のお手紙をお渡ししました(後出の「5」(4)でもこの手紙に触れています)。手紙には、婚姻解消の際に元婚約者の方が「返してもらうつもりはなかった」(手紙の記載は「差し上げたものだ。当初より返済を求めるつもりはありませんでした」となっていますが、これについては後出の「5」注15で説明します)ことを根拠に、「ですから貴殿の返済請求している4,093,000円は小室佳代が貴殿から贈与を受けたものであって貸し付けを受けたものではありません。従いまして金銭について返済する気持ちはありません」、「貴殿は2012年9月14日小室佳代に対し一方的に婚約破棄しておりその理由を具体的に明らかにしておりません。小室佳代は理由も告げられない一方的破棄により精神的に傷を負っております。それに対し謝罪もそれに対する補償も無い状態でこのような請求を受けることについては納得出来ません」と記載しました。この手紙が流布されたこと、そして私や母が否定しなかったことがきっかけとなってあたかも私と母が「贈与を受けたのだから返さなくてよい」、「もらったものだから返済しなくてよい」と今でも反論し主張し続けているかのような誤解を招くことになったのだと思います。しかし、平成25年(2013年)8月以降、私や母が贈与を受けたものだから返済は不要だという主張をしたことはありません。
報道が出てから私と母は実際の経緯について、あらためて弁護士に相談し、次の【1】【2】のように整理し直しました。その結果、返済する気持ちはありませんという主張をする際に述べた理由(元婚約者の方の発言を根拠にしていることと損害賠償請求との清算を踏まえたこと)自体を見直す必要はないものの、この理由を説明するにあたって「贈与」という表現をしたのは、必ずしも十分ではなかったと考えるに至りました。この表現は元婚約者の方が「返してもらうつもりはなかった」とおっしゃったことに沿って用いたものであり、私や母はそのことを強調したつもりだったのですが、当時の私や母の言葉は十分ではなく、もう少し意を尽くした説明の仕方があったように思います。
母・佳代さんの「ヘルプ」メールの真相
【1】平成23年(2011年)4月から元婚約者の方が母との婚約を破棄するまでの間に母と元婚約者の方がやり取りしたお金について、個々のお金が貸し付け(借金)であったのかいただいたもの(贈与)であったのかは必ずしも明確ではありません。母が「お借りできますか」と表現したものと「ヘルプ」と表現したものの両方があったようですから、このことからもどちらのケースもあった可能性があります。母は元婚約者の方と婚約する際に金銭の使い途等についてお話をした(詳しくは後出の「5」(1)で説明します)ことから、基本的には結婚したら同じ家族になるということを前提にいただいているお金であって借金だとは思っていなかったようですが、一方で、お借りしてお返しするつもりで支援をお願いしたこともありました。お願いしたときには母としては借り入れのつもりであったものでも、その後に元婚約者の方からあげたものだと口頭で言われたということもありました。当時の2人ですら毎度明確な確認をしていたわけではないというのが実情でしょうし、万一確認をしていたとしても、証書もなく主なやり取りが口頭で(メールも一部あるようです)交わされていたため、当時の金員のやり取り全てを個別にとらえて、事後的に、あれが貸付であったのかそれとも贈与であったのかを明確にすることは困難です。更に、本人たちの認識が食い違っているものもある(詳しくは後出の「5」注11で説明します)ことを考慮すると、婚約破棄の時点までは、貸し付けであったとすべきお金と贈与であったとすべきお金の両方が存在していた可能性があると整理するのが妥当だと思われます。それが、平成24年(2012年)9月13日に元婚約者の方がおっしゃった「返してもらうつもりはなかった」という言葉によって、貸付金だったものについては(贈与だったことに転化するのではなく)母の返済義務が免除されたことになるでしょうし、贈与金だったものについては当初から贈与であったことが2人の間であらためて確認されたということになるでしょう。あらためて弁護士に相談して以上のように整理してみると、元婚約者の方からのお金について一律に「贈与」と表現するのではなく、「返してもらうつもりはなかった」と言われたことをそのまま説明するのがより的確な説明だったと思います。
【2】元婚約者の方からの一方的な婚約破棄とこれに対する母の対応に従って整理すると、次のように整理することができます。母は、元婚約者の方の「返してもらうつもりはなかった」との言葉を受けて、婚約破棄に関する損害賠償を請求する権利を放棄したと考えられます。この元婚約者の方の言葉と母の対応によって、たとえ元婚約者の方が金銭の返還を請求する権利を持っていたとしても、それは母の権利(損害賠償請求権)と共に清算されたことになり、母が元婚約者の方へ金銭を返済する義務はなくなったと解釈することができます。これに関しても、あらためて弁護士に相談して以上のように整理してみると、婚約破棄の時点までは貸付であった可能性のあるお金が贈与に転化するわけではありませんから、元婚約者の方からのお金を一律に「贈与」と表現したのは十分ではなく、「返してもらうつもりはなかった」と言われたことをそのまま説明するのがより的確な説明だったと思います。
金銭トラブルといわれる事柄が取り上げられるようになった後に、私と母はあらためて以上のように整理をし直しました。そのため、平成31年(2019年)の文書でも「贈与」という表現はしていません。同文書では、婚約解消時に元婚約者の方がおっしゃった「返してもらうつもりはなかった」という言葉を根拠に、当初の金銭授受の趣旨がどうであれ、【1】【2】の整理に基づいて、既に返済義務は一切ないと確認したと認識したことを説明しています。【1】の整理は元婚約者の方の発言を根拠にしており、【2】の整理は損害賠償請求との清算を踏まえています。上にも書いていますが、【1】【2】の整理の根本となる理由そのものは、平成25年(2013年)8月に元婚約者の方にお渡しした手紙で、返済する気持ちはありませんという主張をする際に述べた理由(元婚約者の方の発言を根拠にしていることと損害賠償請求との清算を踏まえたこと)と同じです。ここで説明しているのは、あくまで、その理由を表現する言葉として私と母が「贈与」を用いたのは十分ではなく「返してもらうつもりはなかった」と言われたことをそのまま説明するのがより的確な説明だったと考えている、ということです。
なお、法的には理由を告げない一方的な婚約破棄は損害賠償請求の理由となる余地があるとは言え、支援を受けていたのであれば損害賠償を考えるというのは理解し難いと思われる方もいらっしゃるかもしれません。この考え方はあくまで過去の出来事を振り返って法的に評価をしていただいたものです。