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「あんたを産んだのは私じゃない」母親に薄笑いされた妊娠8カ月の娘にあふれる涙

2021-04-15 15:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

六本木で美容師をしていた女性が両親に帰郷を命令され、束縛される
「あんた、もういい歳なんだから、いいかげん帰ってきなさい!」
1993年の秋、当時26歳の蜂谷歩美さん(現在54歳)が働く東京・六本木の美容室に、母親(当時59歳)から電話がかかってきた。
「ちょうど仕事が楽しくなってきていた頃で、実家になんか帰りたくありませんでしたが、タイムリミットだと諦めました。優しい職場の方たちは、みんなで私を胴上げして見送ってくれました」
翌年、蜂谷さんは実家へ帰り、すぐに地元の美容室で働き始める。帰宅は毎晩夜の9時ごろだったが、必ず両親の近くまでいって「ただいま」と挨拶をしなければならず、残業で遅くなるときは、蜂谷さん自身ではなく、経営者から電話を入れないといけない。
両親はとにかく束縛がきつく、娘を自分の思い通りにしようとした。特に、当時66歳の父親は、蜂谷さんが忘年会などで帰りが午前様になっても居間で待っているような人だった。
1995年、蜂谷さんは29歳で自分の店をオープンする。母親も美容師だったが、開店休業状態の自宅兼店舗を改装し、店名も変えた。
開店すると、両親は店に関わりたいのか、勝手に来て客に話しかけたり、客に軽食を出したり、客の自転車を磨き始めたり。「迷惑だからやめて」と説得してもやめない。
ある日、母親がアシスタントの女性にシャンプーをさせていたので蜂谷さんが注意すると、母親はビンタを2発食らわせた。それでも我慢するしかなかった。
母の衝撃的告白「あんたは、私から産まれた子どもじゃないんだよ」
1998年、蜂谷さんは30歳で結婚。夫は婿に入った。同じ年に男の子を妊娠し、8カ月を迎えた夏、事件は起こった。それはあまりにも唐突な出来事だった。
「いいことを教えてあげようか? あんたは、私から産まれた子どもじゃないんだよ」
母親は身重の蜂谷さんにニヤニヤしながら、そう言った。冗談ではなかった。これでもかというほど涙が後から後から溢れた。時間は止まり、何も考えられなくなった。
そういえば……。蜂谷さんは、ふと子供の頃のことを思い出した。
1977年の秋のある夜、小学校4年生だった蜂谷さんは、仕事から帰ってきた父親が「ただいまー、開けてくれ」と玄関の戸を叩く音を聞いた。鍵を開けようとすると母親が止める。
「あれは狐だから、開けるんじゃないよ」
何を言っているんだ、母は。意味がわからなかった。しばらくすると父親は家の中へ入ることが許され、母方の祖母(母親の母親)と叔父(母親の弟)がやってきた。父親が電話で呼んだらしい。別室で祖母たちは、母親をなだめているようだったが、母親は大きな声でこう言い放った。
「私は、○○ちゃんみたいな子がほしかったのよ!」
それは蜂谷さんと同じクラスの優等生の名前だった。一体母は何を言いたいのか。当時は理解できなかったが、「私から産まれた子どもじゃない」発言ですべてがつながった。
翌日、蜂谷さんが学校から帰ると、父親からやぶから棒に「母さんが入院したのはお前のせいだ!」と責められた。その後、母親との面会に連れて行かれたが、どんな会話をしたのか、会話をしたのかどうかも定かではない。その病院は、高い塀に囲まれ、門が施錠され、面会室も入口に鍵がかかっていた。それだけは覚えている。
その日、父親からは「母さんが入院してることは、誰にも言うんじゃないぞ」と言われ、寂しくつらい気持ちを誰にも吐露できなかった。
「(当時)母はノイローゼと言われました。激しい波と穏やかな波を繰り返し、特にイベントごとがあると症状が悪化します。私は、『自分のせいで母が病気になったのなら、とにかく良い子でいるしかない』とだけ思って過ごしました」
母親は約5カ月後に退院したが、喜ぶことはできなかった。強権的な父と、情緒が不安定な母に囲まれた生活が楽しいはずがなかった。ただ小6の頃、母親の妹である叔母の夫が病死したため、一時的に叔母一家が同居すると、蜂谷さんの張り詰めた生活は少し楽になった。
母親の精神状態は徐々に悪化したが、蜂谷さんは高校卒業後、両親が勧めるままに都内の美容専門学校へ入学し、寮生活を開始。卒業とともに六本木の美容室に就職した。
「胃がん、認知症」連続して大病を患う父親を全力サポート
帰郷して7年たった2001年8月。蜂谷さん(当時35歳)が経営する美容室は軌道に乗っていた。ところがある日、悪い知らせが届く。74歳の父親が胃がんになり入院したのだ。幸いステージ1だったが、開腹手術を行うことに。
蜂谷さんが暮らす土地には、近隣に両親の親戚一同が住んでおり、父親が手術すると聞くと、当日、病院に10人以上の親族が詰めかけた。
しかし、9月に退院できるはずだった父親は、嘔吐が続き、再手術となるが、再手術後も嘔吐は止まらず、再々手術に。医師にも焦りがにじんでいた。父親は20キロ以上も痩せ、認知力も低下。その間、2歳になっていた蜂谷さんの息子が気管支喘息で入院し、病院に泊まり、病院から美容室に出勤した。
そして11月のある日、父親の病院から美容室に、「お父さん帰ってきていませんか?」と電話がかかってきた。蜂谷さんは一瞬「?」と思ったが、「いませんよ」と返事をする。だがその直後、点滴を2つもぶら下げたままの父親がタクシーから降りてくるのが見えた。
蜂谷さんはすぐに病院へ連絡。父親は4カ月に及ぶ入院で「家が恋しくなった」と言った。認知症が進んでいることは誰の目にも明らかだった。
悪いことは重なる。2歳になった息子が気管支喘息に続き、マイコプラズマ肺炎で入院することに。認知症の父親と息子の入院付添と、仕事の切り盛りとで疲れ果てた蜂谷さんを見かねた夫が、仕事を休んで息子に付き添ってくれた。
一方、母親は、「お父さんが死ぬのに、こんな古い家では葬式ができない。家を建て替える」と言い出し、父親の保険を解約してしまったかと思えば、今度は伯父(父の兄)に大金を渡してしまい、母親自身はそのことを忘れて蜂谷さんを泥棒呼ばわりする。
11月末。父親は退院となったものの、嘔吐の症状は変わらず。マメに動く人だったが、毎日横になり、寝ていることが増える。そしてヘビースモーカーの両親は、何度か寝タバコをして畳を焦がした。
さらに心筋梗塞、脳梗塞になった父親を母親は一切世話せず
2004年。叔母(母親の妹)と出かけていた母親(当時70歳)が、帰宅するなり喋り方がおかしい。蜂谷さん(当時33歳)が病院へ連れて行くと、母親が受けた診断は脳梗塞。2週間ほど入院することになった。
この頃、蜂谷さん一家は、実家を2世帯住宅に改築しようとしていた。夫と共に家の打ち合わせに行くが、夫は通信ゲームに夢中。打ち合わせがゲームのために中断されることもしばしばだった。
2005年2月。新しい家が完成。母親は、脳梗塞の後遺症はほとんどなかったが、仮住まいに移る日も新しい家に移る日も、韓国ドラマに夢中で何ひとつ手伝わなかった。
同年4月には息子が小学校へ入学した。
翌月、父親が心筋梗塞を起こし、内視鏡手術となったが、母親はやはり我関せずを決め込む。母親は昔から、近所の葬儀の手伝いなど、自分がやりたくないことは全部父親に押し付けていたが、父親に押し付けられなくなると、蜂谷さんに押し付けるようになった。
父親は無事手術を終えたが、再び病院を抜け出す。
蜂谷さんはケアマネジャーに相談し、父親の介護認定を打診。介護認定検査に連れて行くが、「待ち時間が長い!」と言って父親はつえを振り回す。ようやく検査を終えて帰路に就いたが、父親は車の中でも暴れた。
結果、父親は要介護3。すぐにデイサービスへの段取りをつけてもらう。
「延命措置は希望しますか?」と訊ねられ「結構です」と即答したワケ
ある晩、母親が目を離した隙に父親が徘徊。転んで額に大けがを負う。気付いた誰かが救急車を呼んでくれたため、蜂谷さんは父親と共に病院へ。父親は傷を縫合してもらい、入院した。
その退院の日にも、母親は動かなかった。蜂谷さんの夫は子育てには協力的だったが、介護に関しては何ひとつ手伝ってはくれない。だが、足腰の弱った父親を、女性の蜂谷さん一人で連れ帰るのは難しい。仕方がないので店の男性スタッフを連れて父親を迎えに行った。
2007年5月。父親はデイサービスで再び脳梗塞を起こし、半身まひに。ケアマネジャーが入居できる施設を複数提案してくれたが、蜂谷さんは入所を迷った。すると店の女性スタッフが、「入所できるところがあるうちに入っておいたほうがいいですよ」と背中を押してくれた。
父親はグループホームに入所。すると、それまで父親の症状がどんなに悪くなっても関わらなかった母親が急に「父親に面会したいから連れて行け!」と言うようになる。
蜂谷さんは39歳。昼間は美容室で働き、休みの日は父親の面会。息子の帰宅前には家にいるようにした。
6月。日差しが強くなってきたので、蜂谷さんは夫と息子とで帽子を買い、父親にプレゼント。しかし父親はもう、孫の名前さえわからなくなっていた。
その数日後、グループホームから「お父さんが肺炎を起こして発熱しました」と電話が入るが、母親はまた動かない。蜂谷さんが一人で行くと、「延命措置は希望しますか?」と訊ねられ、蜂谷さんは「結構です」と即答した。
父の葬儀の日が、40歳の誕生日。蜂谷さんは不整脈を起こし、脈拍180
「冷たく思われるかもしれませんが、好きな食べ物も食べられず、何の楽しみもない父。自分だったらと思うと、これが最善だ、もう十分だと思いました」
7月。グループホームからの電話で、「お父さん、息をしていません」と聞いた蜂谷さんは、そのまますでに亡くなった父親のもとへ向かった。母親は叔母と買物。夫と息子はゲームセンターへ行っていた。
父親の葬儀の日、久しぶりに会った従姉妹が、「誕生日おめでとう!」と、言ってくれた。偶然にも父親の葬儀の日が、蜂谷さん40歳の誕生日だったのだ。
蜂谷さんは葬儀後、不整脈を起こした。脈拍は180。時間外で病院を受診し、注射で数値を下げてもらい、念のため2時間点滴を受けた。


デンマーク、アストラゼネカ製の接種を取りやめ 欧州初

2021-04-15 14:01:13 | 日記

 デンマーク政府は14日、英アストラゼネカ製による新型コロナウイルスのワクチン接種を取りやめる、と発表した。接種後に血栓ができる症例や死亡例が報告されて各国が対応を検討していた。ロイター通信によると、欧州で正式に使用停止を決めたのはデンマークが初めてという。

 血栓などの症例を受け、同国では3月11日に接種を中断したが、今回は「アストラゼネカ製なしでワクチン接種計画を進める」と正式に決めた。同社製ワクチンの全ての接種予約を取り消す。1回目を受けた人には今後、別のワクチン接種の機会が提供される。

 政府高官は「科学的知見に基づき、アストラゼネカ製ワクチンの使用に関連した、深刻な副反応のリスクがあると判断した。その結果、ワクチン計画から除外する」と述べた。感染状況が落ち着いており、他のワクチンを入手できていることも考慮した。ただし、状況が変われば接種を再開することもある、という。

 欧州連合(EU)の専門機関は今月7日、同社製ワクチンの接種後に血栓ができることはワクチンの副反応との判断を示しつつも、「ワクチンを打つメリットはリスクを上回る」と結論づけている。(ロンドン=金成隆一)


93歳のばあちゃんは、メールの返信が誰よりも早い

2021-04-15 13:30:00 | 日記

下記の記事はnoteからの借用(コピー)です

私はこの春、ちょっと子どもに戻ろうと思う。

ふらりと入った雑貨屋で、空柄の綺麗な便箋を見つけた。しばらく会えないあなたへ、今の気持ちを1文字1文字、素直に丁寧に綴ってみる。
きちんと伝えられるかは、まだわからないけれど。
♢♢♢
2月の終わり頃、ばあちゃんが入院した。
身体は年々細くなっているけれど、頭はしっかりしているし、何より、よく食べるばあちゃんだ。

朝食は、自分でパンとスープとヨーグルトを準備する。昼と夜は家族が用意した食事に、食後のデザートまでぺろりと平らげる。
私がお菓子を作っていれば、「あら、今日はクッキーなのね。たのしみ」と、こっそり予約をしながらトイレに向かう。

10年程前に大手術をうけて、ビビディ・ババディ・ブーと蘇った大事な"心ノ臓"を守りながら、杖を1本(つくのではなく、まるで盗人を撃退するための武器のように)振り回し、自分のペースでゆっくりゆっくり歩く。週2回通うデイサービスが、最近の1番の楽しみだそうだ。
そんなばあちゃんが、急に腰を痛めて立ち上がれなくなってしまった。
「腰ひねっちゃって痛いわ。布団から動けない」
初めは、症状を聞く限り「ぎっくり腰みたいだから休めば治るかな」と家族で思っていたけれど、日に日に痛みが増すようで、不安になってきた。ケアマネジャーさんのアドバイスもあり、救急車を呼んで検査をしてもらうことになった。
結果は、背骨の骨折。
「これは、手術したほうがいいですね~」
ちょっとコンビニ行ってきますね~くらいのテンションで告げられた医師の言葉に、私たち家族はとても驚いた。
「93歳なのに、手術なんてできるんですか?!」
「はい、大丈夫ですよ。心臓の手術もしていらっしゃいますし」
「い、いやあ、でも麻酔とか。まさかこれが永遠の眠りとなって目を覚まさないなんてことは……」
「ははは!そんな危険があれば、手術のお話はしません。薬は少し調整が必要なので、かかりつけの先生に確認しておきますね」
そんなこんなで、ばあちゃんは手術をすることになった。
93歳で、全身麻酔をして、背骨に釘をうって固い板みたいなもんを入れるなんて、今の医学は凄すぎる。でも、それ以上に、そんな手術に耐えられるばあちゃんがすごい。
私には、きっと、いや、絶対に無理だ。
手術前日の晩、「緊張してる?頑張ってね」とメールを送ったら、こんな返事が返ってきた。

どうやら、緊張していないようだ。
麻酔科の先生と事前面談をした母から「多少リスクはあるけど、まあ大丈夫だろうって」と聞いても、完全には信じられなかった。
下を向いたまま数時間の手術なんて、私の身体でも辛いのに、あんなにか細い身体は耐えられるのか。出血が多かったらどうしよう。
そんなことをぐるぐる考えて、本人より私の方が緊張していたのかもしれない。
手術当日は、仕事が休みの私と母が待合室で待つことになった。
手術の待ち時間って、何度経験しても結構しんどい。大抵の場合予定時刻は過ぎるし、何かあった時のために、動いたりもできない。もちろん、パクパクお弁当を食べる食欲もない。
2時間だと聞いていたけれど、色々あって4時間くらい待っただろうか。
ばあちゃんより先に戻ってきた担当の先生が、パソコンを使って説明してくれた。

「成功しました。背中は、こんな感じです」
「うわあ、こりゃすごい。人造人間みたいだ」
画面を見ながら、母がついこんなことを言った。
「麻酔科の先生も言ってました、本当にお元気ですよねえって。輸血も必要ありませんでした」
「これって、リハビリをきちんとすれば背中が伸びたりするんですか?ピンって。だってほら、こんなにしっかりした板が入っているし」
私は母の言葉を聞きながら、そんなわけなかろう、と心の中でツッコミを入れた。
「はは。ピンとは伸びませんが、ほんの少し姿勢が良くなる可能性はありますね。1週間は傷口が痛むと思いますが、今回の手術は本当にして良かったと思いますよ」
ええ、そんなことあるんですか……

「本当にありがとうございました。ところで先生って、30代ですか?……ですよね?」
母の言葉を聞きながら、再び、そんなわけなかろうと思ったけれど、先生はまんざらでもない様子だった。

なんだか祖母と母は似ている、と思った。

その後、ほんの少しだけばあちゃんに会うことができたけれど、麻酔から冷めきっていない状態で、きちんと話すことはできなかった。

あの日から、私は、ばあちゃんに会えていない。


感染予防のため、患者の家族であっても(必要な場合を除いて)お見舞いは禁止されている。
どんな様子なのか、ご飯を食べられているのか、リハビリは進んでいるのかなど、何もわからない。

この約1年間、色々なことを理解してきたつもりだったけれど、ここにきて「退院するまで会えない」という事実を突きつけられて初めて、本当の感染予防対策を知ったような気がした。
そんな私たちに残された、たった1つの連絡手段は
――そう。
これだけだ。
「携帯電話」
ばあちゃんが携帯を買ったのは、77歳の時。
(いつ始めたか忘れないように、とメールアドレスに"77"を入れておいた)
簡単携帯の操作マニュアルを見ながら、私が家族と必要な連絡先だけを登録し、1ヶ月かけて「メールのやり方」を教えこんだ。その成果もあり、携帯電話を使い始めてから16年経った今でも、メールができる。

…いや、「できる」という言葉はなんだか違う。
チャットでもないのに、1分以内に返ってくる。「ギャルか?」と思うほど、時には絵文字を使いこなしながら、私たち家族の誰よりも返信が早い。写真を撮って送るのもスイスイ、朝飯前だ。
例えば、こんな風に。
いいもん食べてますね。
私は今日も、社食のA定食(400円)です。

手術から数日後に届いたメールは、こうだった。
「当分メール無理」なんて書いてあるけれど、翌日から、まぁよくメールが来た。
これまでも時々していたけれど、入院中のばあちゃんとのメールは、何故だか私にとって癒しになっていた。

そのことに気づいたのは、ほんの数日前のこと。

入院前から、NHKの川柳講座を始めたらしい。
90を過ぎても何かを学ぼうという姿勢は、見習いたいと思う。
今まで恥ずかしいと言って見せてくれなかったけれど、入院中は考えた川柳を時々送ってくれるようになった。

メールを見る暇がない、と。ほう、なるほど。
結構忙しいようだ。仕事の合間にメールを見る時間がある私の方が、もしかすると暇なのかもしれない。

私と母と同じく、祖母も巨人ファンである。この日はプロ野球の開幕戦。一緒に観られないのは残念だけど、地上派で観られるよ。

どうやら四人部屋で人間観察をする余裕が出てきたらしい。
「みんなばーです」
…うん、そりゃそうだ。あなたもだよ。

あまりにメールの頻度が多いから、周りから注意されてしまったのだろうか。
でも私も、簡単携帯のミュートのやり方はすぐにわからない。
誰かに助けてもらったのか、自分で解決できたのか…一先ず良かった。今度やり方を覚えておくよ。

私が「手術の日に痛いと言っていたから正直眠れなかった」とメールをしたら、こう返ってきた。
最後、「い」を打っている最中に夕食が運ばれてきたに違いない。孫に送るメールより食欲が大事だ。
うれしくても、どうか死なないでほしい。

ついに、地上派で放送されないプロ野球を携帯で見ようとし始めたようだ。
でも、ごめんね、ばあちゃん。簡単携帯でテレビは観られない。次買うときは、テレビ観られるのにしようか。(私のiPhoneも、観られないけど)
一体どうしてそうなった?!
ごめん、ダンスは私も専門外だ。ただ、クイックの動きがわかったとしても、それをメールで伝えられるほどの語彙力が、おそらく今の私にはない。

最近胃の調子がよくないんだ、と話をしたら、消灯前の貴重な時間にこんなメールが。入院中の93歳に健康(なはず)の孫が励まされている。
なんとも不思議だ。

くだらない話が大半だけれど、仕事のことや最近あった面白い出来事を話す日もあれば、お願い事やお礼メールが来る日もある。

私にとってばあちゃんは、人生の「先生」だ。

じいちゃんと同じく、小学校の教師として長く働いていただけでなく、書道の師範でもあり、レザークラフトの講師でもあった。正月に送られてくる年賀状には、全て「先生」がついていたし、未だにそうである。

「先生」であるのと同時に、幼い頃から私の秘密を1番知っている人でもある。母親や先生には少し言いづらいことを、まずばあちゃんに相談する、ということがしばしばあった。全く甘くはなく、客観的で的確な答えが返ってくるものだから、それなりに信用している。(今でも、文章に迷ったときは、まずばあちゃんに読んでもらったりする)

入院中も、お悩み相談コーナーは健在だった。
これは、「人前に立って話すのが苦手なんだけど、どうしたらいいかな?」と相談した時だ。
家族に相談したら、私以外「人前に立っても全然緊張しない」タイプの強い(図太い?)人間ばかりで、なんでそんなこと悩んでるんだ?と、そもそも相手にしてもらえなかった。
ばあちゃんのアドバイスは、すぐにできるかと言われると難しいけれど、心はちょっと軽くなった。

メールを重ねるにつれ、私は不思議な感覚に包まれていた。

同じ場所で暮らしていた時よりも、離れている今のほうが、なんだか心の距離が縮まっているみたいだった。

私の仕事は不規則で、帰りが遅い日も多い。帰宅時間が22時を過ぎると特に、ばあちゃんとゆっくり話をする時間は、ほとんどなかった。それに、都内へ仕事に出ている私は、常に「自分が感染しているかもしれないリスク」が頭の隅にあり、ここ1年なるべく接触しないよう心がけてきた。でも、それ故に、会話が減っていたかもしれない、と反省した。


「400万円をポンと払えばよいと言われた」【小室さん文書全文】(4)

2021-04-15 11:00:00 | 日記

下記の記事は女性自身オンラインからの借用(コピー)です


秋篠宮家の長女・眞子さまとの婚約が内定している小室圭さんが4月8日、金銭トラブルについて説明する文書を公表した。

文書は小室さん自身の名前で書かれており、「文書の概略」が4ページ、「文書本体」が8章構成で24ページという長文。概略と本体、36個の注釈を合わせて、文量は約4万字というボリュームになっている。

本記事では、「文書本体」のうち「6 元婚約者の方との話し合いについて(令和元年(2019年)5月~令和2年(2020年)11月)」の全文と、その注釈を公開する。なお、原文中の注釈表記などについてもそのまま記載している。



6 元婚約者の方との話し合いについて(令和元年(2019年)5月~令和2年(2020年)11月)

この文書の目的は、冒頭に書きましたように、私や母と元婚約者の方との間にこれまであったやり取り等について実際の経緯をある程度明らかにすることを通じて、これまで世の中に出回ってきた金銭トラブルと言われている事柄に関する誤った情報をできる範囲で訂正することです。ここまでは、金銭トラブルと言われている事柄に対する方針や金銭トラブルと言われている事柄に対する私と母の認識について説明するとともに、平成22年(2010年)9月以降に私や母と元婚約者の方との間であったやり取りについて説明してきました。ここからは、令和元年(2019年)5月以降母の代理人が元婚約者の方とどのようなことを話し合ってきたのか、可能かつ必要と思われる範囲で説明します。

令和2年(2020年)11月30日及び同年12月11日発売の週刊現代の記事(「2」で説明しているとおり、本文書内ではこの2つの記事をまとめて「週刊現代の記事」としています)で、元婚約者の方が母との話し合いについて述べていらっしゃいますが、事実と異なる内容が多く見受けられるので、ここで、実際はどのような形で話し合いが行われてきたのかを説明します。なお、話し合いに関すること以外にも週刊現代の記事には事実と異なる内容がいくつも見受けられますが、それらについても(週刊現代以外の媒体で報道された誤った情報と同じく)可能かつ必要と思われる範囲で複数の注で訂正していますので、それぞれの注をお読みいただきますようお願い申し上げます。

(1)平成31年(2019年)の文書を公表した同年1月22日、母は母の代理人である上芝弁護士(以下「代理人」とします)を通じて元婚約者の方に対して、過去の経緯等について認識に食い違いがあるのであれば、これを精査して食い違いを解消したいというお願いをしました。

このお願いに元婚約者の方から初めて応答があったのは同年4月26日でした。その後に話し合いが始まり、令和2年(2020年)11月に至るまで何度もやりとりを重ねました。

元婚約者の方から初めて応答があった際、元婚約者の方は、週刊現代の記者をしている方(以下「記者」とします)を代理人として指名されました[注19]。それ以降、代理人は元婚約者の方及び記者と会って話し合いを進めてきました。記者とは元婚約者の方の同席がなくとも頻繁にやり取りをしています。話し合いの最中に誤った情報が報道されることもありましたが[注20]、私は「2」でも書いているような理由から、あえて積極的に否定をすることはしませんでした。
元婚約者への「3点のお願い」

(2)令和元年(2019年)5月8日、代理人は初めて記者と会いました。同月28日には2度目の面談をしています。このとき代理人から記者に、金銭トラブルと言われている事柄について、私と母が元婚約者の方との対立を望んでいるのではないと伝えるとともに、元婚約者の方のご理解を得てお互いが十分納得して解決したうえで、協力してアナウンス[注21]することを目指したいとお願いしています。記者がその言葉を元婚約者の方に伝えることを了承したので、私と母の認識と元婚約者の方との間にある認識の食い違いを解消させることを目的として、次の3点をお願いしました。

(1)金銭のやり取りがいずれも貸付けであったということであれば、その日付及び金額並びにそれぞれどのような理由での貸付けであったと認識されているのか説明していただきたい[注22]
(2)私が平成31年(2019年)の文書で説明した私と母の認識について、元婚約者の方のご認識と異なる点があるのかどうか確認し、あるのであれば指摘していただきたい[注23]
(3)解決するまでは母との話し合い内容を途中で公にはしないことを確約していただきたい[注24]

(3)令和元年(2019年)7月11日、代理人は初めて元婚約者の方と直接話し合いをする機会を得ました。

このときに、元婚約者の方は母と直接会って話をすれば解決できるので会いたいとおっしゃっていましたが、その理由を尋ねても説明はしていただけませんでした。代理人が、母と元婚約者の方という一般人同士の事柄が私と眞子様の結婚という全く質の違うより大きな話題に発展してしまっていることについてどう思っていらっしゃるのかを尋ねたところ、元婚約者の方は、自分が週刊誌に持ち込んだわけではない、言ってもいないことが勝手に書かれているみたいだ、テレビのインタビューに応じたことなどない、(私が元婚約者の方に事前に確認することなく平成31年(2019年)の文書を公表したことについて)順序が違うなどと言ったことはない、結婚問題に発展したことは本意ではない、お金を返してもらえば結婚問題は解決するはずだ、誰から返してもらっても構わない、等とおっしゃいました[注25]。

代理人は、大きな騒ぎになっていることが本意ではなかったということであれば元婚約者の方にとっても不幸な状況になってしまっていると応じたうえで、金銭トラブルと言われている事柄について、双方が十分に納得した形で解決し世間にアナウンスすることが求められている状況だと思うし、そのための話し合いをお願いしたいと提案したところ、元婚約者の方はこの提案を快諾されました[注26]。

そこで代理人が、母が元婚約者の方へ支払うべきものがあるのならば支払うことになるので、その有無を確定するために、まずはどこに認識の食い違いがあるのか、その原因は何なのか等について順に整理していく必要があると考えるので、3点のお願いに答えていただきたいとお願いしたところ、これについても元婚約者の方は快諾されました。このとき元婚約者の方は、ご自身の勘違いや記憶違いの可能性があることを自ら認めていらっしゃいました。こうして、先だって記者に伝えていた3点について順に整理していくことが確認されました。
「元婚約者の方からは何のお返事もない状況が続きました」

(4)令和元年(2019年)8月8日、代理人は元婚約者の方と2度目の面談をしました。

代理人はこのときに、母と直接会って話をすれば解決できるという元婚約者の方の前回のご提案に対して、認識の食い違いを確認できていない段階では応じることは難しい、まずは元婚約者の方のお考えをきちんと説明していただかないと検討しようがないとお伝えし、快諾していただいた3点を整理したうえで検討しましょうとあらためてお願いしました。元婚約者の方はこの提案を承諾されました。

この面談の場にて、お願いしていた上記の3点のうち(3)の確約を取り交わすことになっていましたが、元婚約者の方のご体調が優れないということで、次の面談時に3点まとめて回答をいただくことに決まりました。この回は、次回(8月14日)と次々回(8月22日)の面談予定を決めたうえで終了しました。

しかし、予定されていた8月14日の面談は元婚約者の方の体調不良が理由で延期となり、8月22日の面談に関しては元婚約者の方とのご連絡がつかないという理由で記者のみとの面談になりました。その後も元婚約者の方から3点のお願いに対する回答をいただけることはありませんでした。代理人は、記者と継続的に連絡を取って又は面談をして元婚約者の方との話し合いを進めようとしましたが、元婚約者の方からは何のお返事もない状況が続きました[注27]。

(5)令和元年(2019年)9月26日に元婚約者の方と面談する予定になりましたが、当日会うことができたのは記者だけで、上記の(3)については応じるつもりはないという元婚約者の方からの回答が書かれた文書が、記者から手渡されたにとどまりました。

元婚約者の方が書かれた文書によると、その理由は、話し合いの進捗や内容を秘密にするのではなく、むしろ定期的に正確な情報を公開した方がいたずらに事態をゆがめたり煽ったりするような報道を減ずることになると思う、個人的な問題なので公にすべきではないという考え方も理解はするが、既に国民的な関心事となってしまった本件については国民に対しても誠実に事の経緯を公表する方がお2人の結婚にも近づくと思う、と考えているからだということでした。

受け入れることが困難な回答ではありましたが(理由については「6」注24を参照してください)、それでも話し合いを頓挫させるわけにはいかなかったため、代理人は窓口である記者の意見を聞いて、(3)の確約は一旦措いておいて、上記の(1)と(2)の整理を先に進めることにしました。

(6)令和元年(2019年)10月30日、元婚約者の方から記者を通じて、上記(1)に答えるものとして、貸し付けの日付と金額、貸し付けの理由をまとめた資料が届きました[注28]。内容を確認したところ、これまでの報道内容と同じく、平成22年(2010年)11月に私の大学への入学金、翌年の春に授業料を貸し付けたという内容が含まれていました。「5」注11の【1】でも説明していますが、私は入学金と最初の学期は自分の貯金で、それ以降の授業料はすべて奨学金で賄っています(入学祝いをいただいたことについては「5」注11の【1】を参照してください)。そこで、代理人はそのことを元婚約者の方にお伝えしました。
「400万円をポンと払えばよい」発言も

(7)その直後の令和元年(2019年)11月13日、元婚約者の方から記者を通じて、入学金や授業料についてはご自身の勘違いであったという回答がありました。そのうえで、もはや金銭の請求はしないし、そのための話し合いは不要なのでやめたいという元婚約者の方のお考えを伝えられました。記者からは、元婚約者の方が貸した側なのに、いろいろと細かいことを整理して説明しなければならないということなら、もう金銭を求めることはしないとおっしゃっているという説明がありました。

金銭の請求はしないということでしたから、代理人が、本件は解決したと解釈して差し支えないと考えて記者の意見を聞いたところ、記者も同意したため、代理人は、このことを確認する合意書等の取り交わしを検討することにしました。ところが、その旨を記者を通じて元婚約者の方に打診したところ、決して解決したとは思っていないという回答が返ってきました。返金を求めないのにもかかわらず解決済みではないとする理由についての説明は最後までありませんでしたし、記者も明確な説明ができないと言っていました。

双方がどちらも納得しないまま、お互いの認識を確認し合う段階にすら至らずに話し合いを終わらせるということは、全てをうやむやにすることになります。解決したとは考えていないが終わりにしたいという元婚約者の方のご希望に応じることはできませんでした。

(8)その後の1年余りの間、先に「3」で書いた方針を変えることはせず、元婚約者の方に、双方が十分に納得した形で解決する、あるいはそれに近づけるための方法を提示していただきたいと繰り返しお願いをし続けましたが、元婚約者の方からのお返事はありませんでした。令和2年(2020年)に入り新型コロナウイルスの影響が深刻になるなか、緊急事態宣言の期間中や宣言解除後も、代理人は、連絡を取って又は面談をして、元婚約者の方が納得できる解決方法を見つけるべく、元婚約者の方のご意向について記者に尋ね続けました[注29]。記者からは、解決したかったら400万円をポンと払えばよいという発言などもありました[注30]が、「3」で書いているとおり、きちんとした話し合いをせずにお金をお渡しするという選択はしませんでした。
佳代さんと元婚約者の面会が実現しなかった理由

(9)元婚約者の方からのお返事が返ってこない状況のなか、昨年(令和2年、2020年)6月に記者から、元婚約者の方と母を会わせてあげたいといった趣旨の発言が出てきました。少しでも解決に近づける方法を見つけるべく元婚約者の方のご意向について尋ねていた際に出てきたものだったため、代理人は、それが元婚約者の方のご意向なのかと記者に尋ねました。記者は元婚約者の方に確認すると言い、後日、それでは会って話し合いたいと元婚約者の方が言っている、という答えが返ってきました[注31]。

母はそれまでの経緯もあり直接会うことを躊躇していましたが、それでも、元婚約者の方のご要望にできるだけ添うことが解決へ近づくのであればと考え、令和2年(2020年9月)、会う用意があることを、代理人を通じて元婚約者の方にお伝えしました。その際、代理人は、会うことについては積極的に応じる姿勢ではあるけれども、単に会って顔を合わせたいというだけでなくそこでじっくり話し合いたいということであれば、事前にある程度議論を整理しておかないと話し合いにはならずに終わってしまう可能性が高いと説明したうえで、いまだ対応をしてもらっていなかった上記の(2)についての回答をあらためてお願いしました。双方の認識がどこで食い違っているのかを予め確認・整理しておかないと、直接会っても単に口論になるだけで良い機会にならない可能性が否めなかったからです。しかし、令和2年(2020年)10月、記者から、元婚約者の方が(2)について回答することはできないという返事が来ました[注32]。ですので、結局、平成24年(2012年)9月13日に母が婚約解消を受け入れた際に元婚約者の方から「返してもらうつもりはなかった」等のお返事をいただいたという私と母の認識(「5」(3)及び「5」注14を参照してください)と元婚約者の方のご認識に食い違いがあるのかどうかについて、私と母はいまだにわからないままです。

同年11月1日には、単なる顔合わせであれば双方にとって意味のないことなので会う必要もないという元婚約者の方からの回答もありました。

(10)直接会って話し合うことの是非についてのやり取りと並行して、元婚約者の方からは、お金の請求はしないことと話し合いが終了したことを世間に公表したいという連絡を受けました。最初にそのご意向を知らされたのは令和2年(2020年)2月のことでしたが、10月に入ると、10月末までには何らかのコメントを出す予定だという連絡を受けました。突然公表したいと考えるに至った理由についての説明はありませんでした。

その後も直接会って話し合うことの是非についての話し合いは続けるとともに、代理人は元婚約者の方に、話し合いの内容は元婚約者の方だけでなく、圭さんの母親のプライバシーでもある、これを無断で公にすることは圭さんの母親のプライバシーを侵害する違法行為となる可能性があるから、当方の了解を得ないままで一方的に公表をすることは認めることはできない、公表するのであれば、これまで長い間話し合いをしてきたように、公表内容を双方ですり合わせたうえで連名で発信するか、もしくは少なくとも当方の了解を得たうえで進めるべきであるとお伝えしました。これに対する元婚約者の方からのお返事は、了解を得る必要はないし、すり合わせが必要だとは思わないというものでした。

そして、11月30日に週刊現代の記事が掲載されました[注33]。

ここまでが、金銭トラブルと言われている事柄に関する元婚約者の方との話し合いの詳しい経緯です。制約はあるものの、理解をしていただくために可能かつ必要と思われる範囲で書きました。
元婚約者の「窓口」だった記者とのやりとり

【脚注】

[注19]令和元年(2019年)5月8日に代理人が受け取った記者の名刺には週刊現代の「記者」であることが明記されていました。弁護士ではない週刊誌の記者が法律問題の代理人になることは弁護士法に違反する懸念がありましたから、代理人はそのことを令和元年(2019年)7月11日の最初の話し合いの際に元婚約者の方に指摘しましたが、弁護士を代理人に選任する考えはないという回答でした。弁護士を選任しない理由については、受任してもらえる弁護士がいないという記者の説明を受けたにとどまります。やむなく、話し合いを進めることを優先するために記者がこの件に関わることへ特段異論を唱えないことにして、記者は代理人ではなくあくまで元婚約者の方と連絡を取るため、話し合いを進めるための窓口であると考え、その範囲でのみ記者とやり取りをすることにしました。記者からも、自分が関わっているのは元婚約者の方が代理人やマスコミ関係者とは直接連絡を取りたくないということにすぎず、そのための窓口であって自分も代理人であるとは考えていないという回答がありました。

[注20]報道の中には、平成31年(2019年)の4月か翌年の令和元年(2019年)5月に両者が1度会ったきりであり、その後は話し合いはもちろん連絡すら取られていないとするものが多く見受けられましたが、これは事実と異なります。これらの報道は記者の発言によるものだとされていましたが、代理人が記者に確認したところ、記者はそうした発言をしたことを強く否定していました。


友達の入れ知恵で「ゲーム課金」20万円! スマホの管理に要注意

2021-04-15 08:30:00 | 日記
下記の記事はLIMOからの借用(コピー)です

今や子どもも1人1台スマホを持っている時代。メッセージをやり取りしたり、ゲーム対決をしたりと、子どもの世界でもスマホがコミュニケーションの最重要ツールになっている…といっても過言ではありません。
そして子どものスマホ普及に比例して、急増しているのがトラブル。特に、スマホでの「ゲーム課金」に関するトラブルが後を絶ちません。今回は、子どものゲーム課金に関するトラブル事例について、体験談を交えながら解説していきます。
覚えのない高額請求! その原因は…
中学1年生の男の子の母親、A子さんは、ある日、クレジットカードの引き落とし請求額を見てびっくり! 公共料金とスマホの通信料の支払いにしか利用していないはずなのに、なんと請求書に記されていた数字は25万円。
理由は、A子さんの息子のスマホ課金。A子さんの息子がスマホのゲームに、20万円を超える額を課金していたことが判明したのです。
すぐにA子さんは息子に問いただし、これだけの金額を稼ぐことがどれだけ大変か諭したところ、最初はふくれっ面だった息子も、次第に反省の色を見せ、最後には「ごめんなさい」と号泣。
罰として、A子さんは息子のスマホを取り上げ、代わりにスマートフォンタイプのキッズ携帯を持たせることにしたそう。「恥ずかしいよ」と息子は不満タラタラでしたが、A子さんは、最低1年間はそれで過ごすことにさせるそうです。
しかし、なぜA子さんの息子は、親のクレジットカードを使用することができたのでしょうか? 答えは「友達の入れ知恵」。
A子さんの息子いわく、友達とLINEでゲームについて話している時に、相手が「課金の仕方を教えてあげる」と、クレジットカードで課金する方法を教えてくれた、とのこと。
A子さんのクレジットカードが財布の中に入っているのを知っていた息子、A子さんの目を盗んでクレジットカードの番号をメモし、ゲームの課金に使ったのだそうです。
急増しているゲームの課金トラブル
独立行政法人国民生活センターによると、昨年4月から12月までの期間に同センターと全国の消費生活センターによせられたオンラインゲームに関する相談件数は、4544件(昨年同期に比べて約25%増)。その事例を見てみると…
    * 新型コロナで休校中に、祖父母に面倒を見てもらっていた小学生が、祖母のスマホを使用して、オンラインゲームで高額課金
    * 幼稚園児が、親のタブレット端末を利用して、オンラインゲームで課金
    * 中学生が、親が以前使用していたスマホをWi-Fiにつないで、オンラインゲームに約10万円課金
…など、子どものゲーム課金に関する相談が多いようです。
子どものオンラインゲームのトラブルに関しては、国民生活センターがたびたび注意喚起を行っていますが、トラブルはいっこうに減る気配をみせません。
国民生活センターでは、今年2月9日のメールマガジンでも、子どものオンラインゲーム高額課金の事例を紹介し、保護者に、「クレジットカードの管理を適切に行うこと」「子どもが使用する端末は、ペアレンタルコントロールを利用するなどして、購入・支払い制限をかけること」と、改めて広報しました。
取り消し可能な場合もあるが…
ところで、その後A子さんはどうなったのでしょうか…? 実は、民法では、未成年者が親権者など法定代理人の承諾を得ずに行った契約は、原則として取り消し可能。A子さんが消費者センターに相談したところ、請求は無事取り消しになった、ということです。
しかし、ゲームの課金は「未成年者が行った」という証明が非常に難しいうえに、遊んだ後なので、必ず取り消しや返金に応じてもらえる、というわけではありません。A子さんは、非常にラッキーなケースだった…というわけですね。
子どもがオンラインゲームで高額課金しないためには、子どもと「課金のルール」について、しっかり話し合っておくことが大切です。それと同時に、大人が、ゲームの課金や決済の仕組みをしっかり理解する、クレジットカードやキャリア決済の管理を厳重にするなど、自衛策をとっておく必要があるでしょう。
まとめ
SNSなどでも、「子どものゲーム課金トラブル」に関する投稿は後を絶ちません。中には、100万円単位の請求が来た…という投稿も!
しかし、これを他人事だと思っていてはいけません。子どもにスマホを持たせる以上、いつ我が家に同じようなトラブルが起こるとも限らない、というわけです。いざ請求が来て大慌て…ということにならないように気をつけましょう。

追記:
親のカードでオンラインゲームに高額課金!
事例
小学生の息子が、家族共用のタブレット端末で、オンラインゲームの有料アイテムを数日間のうちに次々に購入し、総額150万円以上も課金していた。タブレット端末には、父親のクレジットカード情報が登録されたままになっており、子どもが使う際も、利用できるようになっていた。
(当事者:小学生 男児)
ひとことアドバイス
    * 親が知らない間に子どもが無断でオンラインゲームに課金してしまったという相談が多く寄せられています。
    * スマートフォンやタブレット端末などにクレジットカード情報を登録したままにしておくと、子どもが端末使用時に自由に課金できてしまいます。保護者は、カード情報を削除しておくなど、クレジットカードの管理を適切に行いましょう。
    * クレジットカードの利用ごとにメール等で通知されるよう設定し、日ごろから状況を確認しましょう。
    * 子どもが使う端末ではペアレンタルコントロール等を利用し、購入・支払いなどの制限をかけることも有効です。
    * 困ったときは、すぐにお住まいの自治体の消費生活センター等にご相談ください(消費者ホットライン188)。

本情報は、都道府県等の消費者行政担当部署等からの情報をもとに編集・発行しています。